『Nameless Story』完
「それぞれの歩み」
「ほらそこ、腰が高い!」
未曾有の大震災から数年後、あんなにひよっこだった私も、気づけば後輩の指導役になっていた。
「井上!菅原!」
自然と声に力が入った。私の隊の2人だけの女性隊員だ。
「「すみません!!」」
嫌いなわけじゃない。その若さが羨ましいわけじゃない。ただ…
私の恩人もこんな気持ちだったのかな。そうだとしたら、本当に頭が上がらない。
空は透き通るくらいに青い。まだ訓練は始まったばかりだった。
「本当にありえない!」
訓練後だと言うのにさっちゃんの声は元気そうだ。
「まぁまぁ、さっちゃん落ち着いて」
「久保さん、私たちだけに厳しすぎるよ!」
泥だらけの訓練着はその厳しさを物語っている。
「私は少し嬉しいよ。女だからって優しくされてない証じゃん?」
「和が言うこともそうだけど…」
バツが悪そうに下を向く。この表情はなんだか堪らない。
「訓練は大変だけどね。さすが女帝って感じ」
厳しい隊長。でも、私の憧れの先輩。
そんなことを考えている時だった。
「隊長の悪口はいけないなぁ〜」
背後からの声に振り向く。そこには見慣れない、とても綺麗な方が立っていた。
「「お疲れ様です!」」
咄嗟に敬礼をする。胸元には久保さんと同じ階級章がついていた。
いいよ、いいよ、とその人は笑う。
「久保もやってんねぇ〜」
私たちは無言で頷く。それを見て、その人は更に笑った。
「じゃあ私は行くね。2人とも頑張って!」
そう言うとその人は直ぐに宿舎の方へ走っていった。
綺麗で、優しそうで、でも強そうな女性だった。
久保さんとはどういう関係なんだろう。
「よっ、女帝」
背後からの声に驚きはしなかった。こんな絡み方してくるのは、もう1人しかいない。
「なんだ美月、戻ってたのね」
一緒に苦楽を乗り越えてきた大切な同僚。いや、同僚以上の関係だ。
今は離れてしまったけど、お互いのことは報告しあっていた。
「なんかぁ暗くないですかぁ?久しぶりの再会なのにぃ〜」
本当は飛び跳ねそうなくらい嬉しいが、それを美月に見せるのはなんだか悔しい。
「早く着替えてご飯行こ。もうお腹ペコペコだよ」
「さすが隊長。ご馳走様です!」
「今日は美月の番でしょ!」
2人で話すと昔に戻ったみたいだった。
金曜日の街は夜でも明るい。どうしても煌びやかな光景と、あの日を比べてしまう。
自然によって壊された街は、自然に元に戻ることは無い。
言葉を体現するかのような時間だった。毎日毎日、体力が尽きるまで復興業務にあたっていた。
辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも…
いろいろな事があった。
「それでね、部下がさぁ…」
「いや分かるよ。本当に大変で…」
でも、こうしてお酒を飲みながら愚痴が言える日々を過ごせている、それだけで私は満足だ。
あの日、小学校の屋上で感じた恩を、私はやっと返せた気がした。
「き…今日からお世話になります、研修医の池田瑛紗です!」
深々と下がった頭から緊張がこっちにも伝わってくる。私にもこんな時期が…いや、当時のことを思い出すのはやめた。
「そんなに緊張しないで。私は齋藤飛鳥、よろしくね」
ゆっくりと顔を上げる。その表情はどこか解れていた。
「まずは医局の案内するね。その後に患者さんのとこ行こっか」
「はい!」
初々しい返事にどこか背筋を正される。さくらのときはこんなこと無かったのになぁ。
「飛鳥さん!お疲れ様です」
「さくらもお疲れ様。オペ早かったじゃん」
あの日、本物の現場に圧倒されていた少女も、今やすっかり白衣が板についている。
さくらは何も言わずに下を向いた。こういう所は昔から変わらない。
「あ、紹介しとくわ。こちら研修医の…」
「池田瑛紗です。よろしくお願いします!」
さっきよりも解れた挨拶だった。
「あ…その…よろしくお願いします!」
さくらは瑛紗よりも深くお辞儀をした。これじゃあどっちが先輩なんだか…
私の人生が変わったのはやっぱりあの日だろう。今では私のことを氷の女王なんて呼ぶ人はいない。
「さくらはまた後で。瑛紗も行こっか」
1匹狼のときには分からなかった。周りのみんなは凄く頼もしい。
今はもう、昔の自分に怒られることもないはずだ。
「せんせー、おさむくんがいじわるする!」
「おれなにもしてないもん!」
「2人とも喧嘩しないの。ほら仲直りの握手して!」
あれから私は仕事に復帰した。でも、昔の私が見たらきっと驚くに違いない。
乃木坂孤児院、それが新しい私の家だった。
震災の時は、何日も親御さんと離れ離れなってしまった子もいた。あまりにも悲しすぎる現実を突きつけられた子もいた。
そんな子たちを見て私は自分が恥ずかしくなった。この子たちはこんなにも自分を必要としてくれているのに、私は…
それから私は目を背けるのをやめた。昔の退職理由なんて、もうどうでもいい。
「麻衣先生、ただいま」
「桜、おかえり」
桜もそんな子たちの1人だった。私と一緒にここに来てからは、我が子同然に接していた。
「さくらちゃんおかえり!あそぼ!!」
帰ってきて早々に、桜はちびっ子たちにモテモテだ。
「今日は桜がプリキュアかな?」
「うん!さくらちゃんとわたしがぷりきゅあで、おさむくんがてき!」
「分かった。着替えてくるから、ちょっと待っててね!」
避難所でプリキュアのお菓子を美味しそうに頬張っていた背中は、こんなにも逞しくなった。
「もうすっかりお姉ちゃんね」
そんな呟きは子供たちの元気な声にかき消されていく。
あの日、両手では抱えるのがやっとだった守りたいもの。今はそれがもっと増えてしまった。
でも、はっきりと言えることがある。今の方が幸せだってね。
「進まないっすねぇ」
隣で座るアルノは暇そうにスマホをいじっていた。確かに、今日は搬入の進みが悪い。
コンコンと扉が鳴る。
「美波ちゃん、お疲れ様。今日も遅くてごめんね」
いつもと変わらない職員さん。私もいつもと同じ返しをする。
「全然大丈夫っすよ」
「あれ、お隣は…」
「後輩のアルノです。これからよろしくお願いします」
アルノは職員さんと目を合わせると軽く会釈をしただけだった。
「よろしくね。今日も人手が足りなくて、もう少しかかりそう」
「なら手伝いますよ。今日は2人馬力ですから」
アルノは手を横に振っていたがそんなのは関係ない。少しだけ顔で圧をかける。
「2人ともありがとう!じゃあまたね」
そう言って職員さんは次のトラックに向かった。
「なんでうちらが手伝うんすか?待ってればいいのに…」
まだ少し不服そうだったが、その気持ちも分からなくはない。でも…
「うちらの荷物を待ってる人だっていんだよ。昼飯奢ってやるから、いくぞ」
私はトラックを降りる。アルノも渋々だがそれに続いた。
背筋を伸ばした。腰や肩からバキバキという音が響く。
「梅澤さんも歳っすねぇ」
「うっさい。早く荷降ろし手伝ってこい」
アルノは走って前方のトラックに向かった。生意気だけど、可愛いやつだ。
荷物を運ぶのは簡単な仕事。だけどそれも誰かのヒーローになれる。
それを伝えるのも私の役割だと、今は勝手に思っているのさ。
自然との戦いに人は勝てない。強大なその力に蹂躙される度、人はまた強く、逞しく復興を遂げてきた。
大怪獣から街を救うヒーローも、
宇宙からの刺客を倒すサイヤ人も、
妖魔を倒す美少女戦士も、
現実にはいない。
現実のヒーローに名前は要らないのかもしれない。
燃えたぎる炎を消すために全力をかける消防士、
今朝、朝食を買ったコンビニの店員、
道で落し物を拾ってくれた人、
名前を知らないことの方が多いはずだ。
だって、支え合う人々に、特別なことなんて何も無いからね。
名前も知られない者の、題名のない物語。
fin.
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