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誰が為 最終話




あの日から長い月日が経った。寺の境内は童たちの声で溢れている。


「あすか、あそぼ!」


「だめ!あすかはわたしとあそぶの!」


その中心には飛鳥がいた。泥だらけの小袖は童たちとの歴戦の証だ。


「妾は1人しかおらん。順番に遊んでやるからな」


そう言うと飛鳥は2人の頭を撫でた。




〇〇の刑が執行されてから間もなく、妾は2度目の乗り込みを実行した。

力いっぱい黒書院の襖を開ける。襖は大きな音をたて、妾は父上と爺やの視線を一身に受けた。


「飛鳥様…前にも言いましたが、」


呆れた声の町奉行。そんな声、妾の耳には入らなかった。

静止を振り切り、父上の目の前に立った。目と目がぶつかる。


一瞬の沈黙の後、妾は膝をついた。


「将軍様、私飛鳥も江戸の民の為にこの身を捧げる所存でございます。

ひいては、どうかこの場に残ることをお許しください」


後ろがざわつく。それでも妾は頭を上げなかった。

父上には情けない娘の醜態と思われるかもしれない。そんな不安は杞憂だった。


「私は娘であろうと容赦はしない。

そこの奥が空いている。面を上げたら座るが良い」


「あ…ありがとうございます」


声が裏返る。そんな妾を父上…いや、将軍様は鋭い目で見つめていた。


それから父と娘ではなく、将軍と家臣となった。

最初は誰にも相手にされなかったが、何度も食い下がるうちに、次第に信頼を得ることに成功した。


あれから江戸も大きく変わった。あの暗かった裏路地も大通りに負けないくらいに栄えるようになっている。

「おう飛鳥!団子食ってくかい?」


「ありがとう、みたらしを2つ頼む」


元の良さは変わらずに、確実に良い方向へ変わっていった。


「はいよ!」


「いつもすまない。後で頂戴する」


ここに来ると気が休まる。忙しくても隙を見ては訪れていた。


「飛鳥ちゃん!元気してるかい?」


「妾はもちろん、この通りだ。お主も元気そうだな」


妾もすっかりここに馴染んだ。居心地の良さは城以上だ。


歩みを進める。寺の入口が見えずとも、珠のような大声が道まで漏れていた。


階段を登ると、一斉に宝石のような瞳に見つめられる。


「「「あすか!!!」」」


「元気そうだな」


「あそぼ!あそぼ!」


「あ、おだんごもってる!」


「これはお主たちのでは無いぞ。ほら、爺に怒られるぞ」


「やだ、にげろー」


住職…爺は縁側で茶を飲んでいた。子は無邪気で素晴らしい。


爽やかな風が吹く。満開の桜の木も枝を大きく揺らし、妾を歓迎してくれている。

その木の下に小さな石が立ててあった。そこに持ってきた団子を1つ供える。


「モグモグ…今日は花見日和だな」


あの時、闇の中で密会を交わす妾たちには花見なんか考えられなかった。

「お主も見てるか?」


吸い込まれそうな青空を見上げる。

もちろん、返事はない。それでも妾はここに来る。


「はむっ」


最後の一玉を口に含むと懐からある物を取り出した。


「そう言えば、いつか約束したな」


爽やかな青空、満開の桜。一句読むにはこれ以上ない趣だろう。


「遅くなってしまったがな。あの頃の妾では無いぞ」


短冊に筆を走らせる。詠むことの無いと思っていた句を書き上げる。


「出来た」


墓前に句を供える。出来の方は…〇〇よ、大目に見てくれ。


「じゃあ妾は城に戻る。また来るぞ〇〇」


背中を向ける。そうすると〇〇に背中を押してもらえる気がするからだ。

振り返りはしない。振り返るのはもうやめたのだ。


別れを惜しむ風が桜花を散らした。供えた短冊が空に舞い上がる。



  追 心 消 想 泰
  憶 に え い 平
  の 残 し し を
  月 れ と 願  
    り も 事



fin.

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