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『Nameless Story』⑩


「自衛官 新内眞衣」




「要救助者発見!」

私たちは無我夢中で瓦礫をどかした。

「美月、合わせて。せーのっ!」

もう熱い日差しは感じない。それでも、流れる汗の量は変わらない。

「もう大丈夫です。こちらへ」

何度目か分からない誘導。それでもまだ足りない。

「久保、こっちも頼む!」

「はい!」

それでも辺りは刻一刻と闇が深まっていった。



夜になっても運ばれてくる患者の数は変わらなかった。

「さくら!そっちは?」

「トリアージ赤、JCS200です!」

「OK、今行く」

まだもうひと踏ん張りだ。時計を見ると、時刻は夜の9時を回っていた。



「大丈夫、大丈夫だからね」

子供にとって夜はまだ怖い。ましてや1人の夜など当たり前だ。

肩を擦る。最後の一人もしっかりと寝かしつけることが出来た。

「みんな、よく頑張ったね」

ご両親と出会えた子もいればそうじゃない子もいる。激動の1日を、この子たちはその小さな体で駆け抜けていた。

まだ避難所は慌ただしかった。医師の先生方、自衛隊の方々はまだまだ忙しそうだ。

「んーっ」

大きく伸びる。もう夜の22時だ。



『あー、あー、みんな聞こえる?

今日はもう撤退して、体を休めなさい。

明日は6時からよ。寝坊は許されないからね。

お疲れ様』

最後のお疲れ様にはいつも以上の温かみを感じた。時刻は…22時は優に過ぎているだろう。

「久保、そんな顔しないの」

「えっ…」

「まだまだって顔してたよ」

そんなつもりはなかった。でも、頭のどこかで思っていたのかもしれない。

「待ってる夜は寒いからね」

自然とあの夜を思い出す。寒かったのは季節のせいだけじゃない。

「私たちが倒れたら誰がみんなを助けるの。

今日はご飯食べて寝よ」

美月の笑顔はこんな時でも明るかった。それが私の救いでもあった。


「今日の救助は以上です。皆さんもありがとうございました」

避難所の医師の方に頭を深く下げた。

「分かりました。皆さんもお疲れ様でした」

どこか安堵の雰囲気が流れる。まだ油断は出来ないが、ひとまず各々の1日が終わった。

避難所の明かりが少し落とされる。私たちは校庭にテントを貼った。

「ねぇ、久保。向こうにあの人いたよ」

「あの人?」

「今日、救助を唯一断りかけたお姉さん。久保が格好つけたあの人だよ」

美月は笑っていた。この笑顔はさっきと違い、どこか悪魔的だ。

「やめてよ。あれは…ちょっと昂っちゃったの」

「人生がどうかなんて…」

「もう美月!怒るよ!」

こんな時でも私たちはいつも通りだった。きっと、新内さんに見られたらお風呂掃除をやらされるだろう。




当たりはすっかり静まっていた。さっきまでの激務が嘘のようだ。

「私…連勤じゃん」

昨日は当直をしていた。私は丸々1日以上働いていたことになる。

それでもまだ寝る訳にはいかなかった。夜に患者が急変することなんてあるあるだからね。


「寝ないんですか」

背後からの声に驚く。少し怖かったけど振り向くと、そこには軍服を着た女性が立っていた。

「な…なかなか寝付けなくて」

何故か意味もない嘘をつく。

「無理もないです。隣いいですか?」

無言で頷くと、その人は隣に腰掛ける。足の長い、綺麗な自衛官さんだ。

「話は聞きました。避難所でも治療を引き受けていただきありがとうございました、飛鳥先生」

名前を呼ばれた時はドキッとした。心拍数が少し上がる。

「私の出来ることはそれくらいしかないので。

皆さんこそ、遅くまで大変でしたね」

綺麗な横顔は凛々しく前を向いていた。

「私が隊のみんなに無理させちゃいました。多分、上に怒られます」

そういうわりには晴れ晴れした顔をしていた。

「そんな決断が出来るなんて凄いです。私なんてうじうじしてばっかりで…

お姉さんは強いですね」

その言葉に、お姉さんは俯いてすぐには答えなかった。



「東日本大震災のとき、私宮城にいたんです」

少しの静寂の後、お姉さんは口を開いた。

「震災直後から救助に入ったけど日が落ちると直ぐに撤退でした。

次の日の早朝、海辺の小学校に行ったんです。そこは津波で海に囲まれて、生徒たちは屋上の倉庫で一夜を明かしていて…。

救助ヘリに生徒たちを乗せていると1人の女の子がみんなを誘導していたんです。

あぁ、この子は強い子だなぁ

最初はそう簡単に分かった気でいたんです。その子は最後まで下の子たちを支えていました。

でも、本当は違った。最後に「頑張ったね」って声をかけたら、その子は震えて涙を流したんです」

私は黙って聞くことしか出来なかった。お姉さんはゆっくりと本のページをめくるように話を続ける。

「私は後悔しました。

もし昨日の夜に救助出来ていたら、この子は怖い思いをしないで済んだに違いない。

この子に身の丈に合わない負担をかけることは無かったはずだって。

だから今日は撤退の命令がなかなか出せませんでした。規律違反でも、そこに待っている人がいたから」

なかなか次の言葉が出ない。それくらい覚悟のある話だった。

「その子は今も誰かを支えていると思います。

お姉さんに助けられたことは必ず活きているはずですよ」

在り来りの返答だったかもしれない。私にはお姉さんの覚悟を形容する言葉は持っていなかった。

「その子は自衛官になったと聞きました」

「なら今日もどこかで活躍しているはずですね」

「…本当に良い部下を持ちました」

お姉さんは空を見ていた。私も上を見上げる。

明かりの消えた街からは星が落ちてくるくらいに煌めいて見える。

「綺麗ですね」

「本当、皮肉なくらいね」

私たちは目が合うと自然と笑っていた。


それからは少し身の上話をした。この人は新内さんといい、結構偉い自衛官の方らしい。

「飛鳥先生は寝ないんですか?」

「急に誰かの容態が変わるかもしれないので。職業病ですかね」

体は疲れているはずなのに、無駄に頭が冴えていた。これではよくないとは思いつつ、職業病とは怖いものだ。

「それなら、尚更寝てください」

新内さんは私の頬をつねった。

「私では病気や怪我をした人たちを救えません。それが出来るのは、飛鳥先生たちだけなんですよ」

「でも…」

「何かあったら勿論叩き起します。だから、後は私に任せてください」

とても圧のある、でも優しい言葉だった。

「は…はい。よ…よろしくお願いします」

その言葉が心強くて、一気に眠気に襲われる。私が戻っても、新内さんはまだ外に座っていた。

毛布を被ると、私の意識が落ちるのに時間はかからなかった。


次の日もその次の日も、私たちは救助を続けていた。でも、3日もすると救助以外にある問題にも直面した。

「美月、どうだった?」

「やっぱり足りない。備蓄用はそれなりにあるけど、何せ人が多すぎて…」

今回の災害は私たちの予想を遥かに上回っていた。

「そんな…でもどこも動いてないし…」

頭を悩ませているそんな時だった。

「なぁお姉さんたち自衛隊だよな。ちょっと運んで欲しいもんがあるんだけど!」

振り返ると、柄の悪そうな背の高い女性が肩で息をしながら立っていた。

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