『Nameless Story』⑨
「決心と決断」
昼前に起こった地震。既に空は赤らみ初めていた。
辺りを見渡しても、まだ手が着いていない瓦礫の方が多い。
「久保、こっち手伝って!」
また1人救助者が見つかった。私たちが手を休める暇など、1秒たりとも無かった。
「すぐ行く!」
私は焦る気持ちを抑えながら、美月の元へ走る。
どうしてそんなに焦っているかって?だって…
私たちは夜、救助は行えないから。
「…くら、さくら!」
大声で呼ばれて我に返った。
「ご…ごめんなさい…」
「大丈夫?」
直ぐに頷くことは出来なかった。さっきまでの血塗れのブルーシートが脳裏に焼き付いて離れない。
「飛鳥先生…すみません」
気持ちと反して涙がこぼれる。実際の医療現場は忙しなく、生々しかった。
「さくら、ちょっと外の空気でも吸いに行こ。すみません、5分で戻ります!」
他の先生たちに頭を下げながら、飛鳥先生は私の手を引いた。
私は完全に気圧されてしまった。あの時、勇気をだして手を挙げた私はもう居なかった。
「はい、深呼吸して」
体育館裏の階段で、言われるがままに深呼吸をする。夜の匂いを含んだ空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
「どうよ、実習なんかじゃ見られないでしょ?」
悪戯な笑顔。今日初めて会ったけど、飛鳥先生はこういう人なんだとよく分かった。
「体が動かなくなっちゃって…。皆さんの足を引っ張ってばっかりで…」
また涙が頬を伝う。
「あー、もう泣かないの。誰だって最初はそんなもの。私だって最初は怖くてたまらなかったよ」
「なんだか意外です」
「良くも悪くも慣れなの。まぁこんな一大事に慣れてる人なんかいないけどさ」
その横顔は凛々しくてかっこよかった。
「飛鳥先生、かっこいい」
一瞬、照れた表情が見えた気がした。直ぐに隠されてしまったけど。
「さっきのあんたの方が何倍もかっこいいよ。誰にだって出来るわけじゃない」
街はまだ崩れた家々でいっぱいだった。夜になっても、避難所に来る人は減らない。
「医者は神様じゃない。だからこそ、全力を尽くすしかないの」
そう言って飛鳥さんは持ち場に戻っていった。
解けかけた心の糸は、たった一言につなぎ止められた。
小さいけど大きな背中はもう見えなくなっていた。
パシッと顔を叩いく。慣れないことをしたから、力加減を間違えた。
じんわりとした痛みを我慢しながら、私も避難所へ戻る。
「すみません、戻りました」
「早かったね。まだ先は長いよ?」
「はい!」
声に力が入った。さっきとは違い、飛鳥先生は優しく微笑んだ。
「頬赤いけど、どうしたの?」
この質問には恥ずかしくて答えることは出来なかった。
「どうしてですか!」
上官の決め事に意見するなんて、規律違反なのは分かっていた。
「まだこれだけ瓦礫があるのに、撤退だなんて!」
「お前の言っていることも分かる。でも上が決めたことだから、仕方ないんだ」
18時を過ぎると、辺りは一気に暗闇に包まれた。闇夜の救助は危険すぎるのも百も承知だ。
でも私は知っていた。
瓦礫の下で救助を待つ人がいることも。
連絡の取れない大切な人を心配する人がいることも。
暗闇の中で一晩を過ごす不安も、寂しさも。
「でも、それじゃあ…」
私の言葉は遮られる。
「俺だってここで引くことが正しいとは思わない。でも、俺らにはそれを覆す力がないんだ」
その拳は強く握られていた。
誰だって思いは一緒のはずだ。でも、それは自分たちの身を危険に晒すことでもある。
「……」
言い返す言葉がなかった。唇を痛いほど噛み締めている、その時だった。
『ザザッ……あー、新内隊の皆聞こえてる?』
無線から新内さんの声が聞こえた。
『そろそろ日没だけど、あんたたち分かってるわよね?』
撤退を渋っているのがバレたのだろう。こうなってはもう出来ることはなかった。
『何ぼさっと帰還しようとしているの?
まだ多くの市民が助けを待っているはずよ。何のために今日まで訓練してきたの!
私たちにしか出来ないことを放置して逃げ出すなんて、絶対に許さない。
私のクビをかけてあげる。だから、1人でも多く助けて来なさい。
最後に、絶対全員無事で戻ること。以上』
そう言うと無線は切れた。
明らかな規則違反。それでも異を唱える人は1人もいないだろう。
さっきまで言い合っていた上官は、もう現場に向けて走り出していた。
「久保、新内さんに怒られるよ?」
本当に生意気な同期だ。
私たちは闇夜の街に駆け出した。それが今、私たちにしか出来ないことだから。
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