『Nameless Story』⑥
「忘れていた想い」
「なにこれ…」
揺れが落ち着いた後、すぐに私たちは災害救助に派遣された。
「うそ…」
目の前の光景に美月も私も言葉を失う。あるはずの建物は崩れ、無数の人々がパニックに陥っている。
私はあの日の東北を重ねる。この後、起こることは嫌というほど記憶に染み付いていた。
「あの日と同じね。ほら、行くわよ」
新内さんは冷静だった。
行かなければならない。そんなの分かっている。
それでも隊の誰1人として足が前に進まなかった。
「私たちが動かないで、誰が市民を助けるの」
いつもなら大声で怒る新内さん。今日は何かを噛み締めるような、淡々とした一言だった。
「美月、行こう」
隊の心に火が灯る。私たちは混沌とした東京に駆け出した。
「ん…私は…」
凄い地震があったことは覚えている。それから確か…家が崩れて…
「逃げなきゃ」
そう思い、体を起こそうとする。しかし、私の体はそこから動けなかった。
「嘘?!足が挟まってる…」
焦ったのは一瞬だけ。意外にも私は冷静だった。
「あぁ…これで終われるのか」
無味乾燥な人生の終わりは呆気なく、しかし甚大なものだ。
私はゆっくりと目をつぶった。
次起きる時は幸せな雲の上だといいな。
「嘘…だろ…」
大阪で荷物を積み終わった、ちょうどその時だった。
『東京湾でM8.0』
そのニュース速報が大々的に流れた。テレビ番組も一気にニュースに変わった。
「社長!」
電話を掛けても繋がらない。回線は既にパンクしていた。
「くそっ」
持っていた缶コーヒーを一気に飲み干し、急いで車に戻る。
エンジンをかける力が強くなる。東京に向かって、アクセルを踏んだ。
地震発生から1時間ほどしてから、私は避難所に辿り着いた。
避難所の体育館も大混乱している。
「こっちに来てください!」
大声で話す市の職員さん。
「まだ主人が家の下敷きに!」
泣きながら外に出ようとするご婦人。
(いつまでカッコつけているの?)
「おかーさん!おかーさん!」
泣きながら母親を探す小さい男の子。
「痛い…誰か医者を!」
医師に助けを乞う人々の声。
(うるさい…イライラさせないで)
耳を塞ぎたくなる現実に嫌気がさす。本当は今日は休みなのに。
「齋藤先生!」
1人にバレる。その一声で私の周りに人だかりができた。
「齋藤先生、この子を…」
「こっちにもけが人が!」
(こんなときも一匹狼でいるのね)
「薬が手元に無くて!」
「飛鳥先生だけが頼りなんです!」
「齋藤先生!」
(あなたしか頼れる人はいないのよ?)
「齋藤さん!」
(今やらなくてどうするの?)
「飛鳥先生!」
それでもいちばん大きく聞こえるのは外からの喧騒では無かった。
(あなたはどうして医者になったの?)
いつも私をイライラさせる、耳障りなその声。でも、確かに聞き馴染みのあるその声。
群衆の奥に1人の背中が見えた。まだあどけない少女の背中。
物言いたげなその背中はゆっくりとこちらに顔を向ける。
そこには昔の私がいた。
昔の私は目が合うとフッと笑った。
(本当、大人になっても変わらないのね)
昔からこんな自分が嫌いだった。いつも達観したフリをして、目の前の出来事に背中を向け続けてきた。
大人になっても同じだ。医者になっても何でも自分で出来ると思いこんでいた。
だから誰とも馴れ合わず、いや、馴れ合うことが出来ずに、気がついたら1人になっていた。
でも、今は逃げる訳にはいかない。
(いつまで意地張ってんの)
(うるさい、何にも分かってないくせに)
(分かるよ。だって私はあなただもん。あなたの強情で意地っ張りなところも…)
(うるさい)
(本当は弱虫なところも…)
(うるさい)
(本当は人一倍、他人思いな所もね)
そう言ってニカッと笑う。そんな姿に無性に腹が立った。
(あなたはどうして医者になったの?)
そうだ私は…
困っている人を助けたいからこの道を選んだんだ。
「うるさいなぁ!」
気がついたら大きな声を上げていた。あれだけ騒がしかった避難所がシーンと静まり返る。
「私がこの避難所を診る。だから、今は皆落ち着いて!」
医者というものの言葉の重さをつくづく感じさせられる。
「でも…私だけじゃ、私一人だけじゃ無理。この中に一緒に手伝ってくれる人いない?」
この規模を1人で診るのは無理だ。それに、今は1人でも多く仲間が欲しい。
そんな私の願いは脆くも崩れ去る。誰1人として手を挙げる者はいなかった。
今は大地震の直後、誰だって被災者なのだ。自分のことすら手一杯なのに、他人を助けるなんて…
「あ…あの…!」
そんな私の考えを止めたのは、か細く、でも力強い声だった。
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