『Nameless Story』⑦
「大学生 遠藤さくら」
昔から物静かで、人前に出ると緊張で言葉が上手く出てこなかった。
「さくらちゃんってさぁ…」
そんな陰口を言われたことなんて幾度となくある。
もう唇を噛み締めることすらしない。ひっそりと生きて、ひっそりと死んでいく。そう決めたつもりだった。
頭だけは良かったから、将来のことも考えて医学部に進んだ。
人付き合いから逃げるために勉強をしていただけなんだけどね。
その日は講義に向かう途中だった。大きな揺れに驚いていると、間髪入れる時間もなく、街が崩れ始めた。
人の波にもまれながら避難所に着いた。でも、そこも安心出来る場所じゃなかった。
そんな避難所を鎮めたのは1人のお医者さんだった。
「この中に一緒に手伝ってくれる人いない?」
かっこいい、私もこうなりたい。でも…
葛藤を押し殺し、私は恐る恐る手を挙げた。
「あの…私…まだ学生なんです。でも…それでもいいですか…」
足でまといに違いない。でも、どうしても何か役に立ちたかった。
ゆっくりとその人は近づいて来る。齋藤先生と呼ばれていた彼女は笑っていた。
「当たり前じゃない。あなた、名前は?」
「え…遠藤さくらです…」
名前を聞くと齋藤先生は私の背中をポンと叩いた。
「さくら、やるわよ」
「は…はい!」
自分でも驚くくらい大きな声が出る。そんな私を見て齋藤先生はまた笑った。
「んっ…明る…」
目が覚めると、そこは雲の上ではなかった。いつもと変わらない嫌な太陽が、何事も無かったかのように輝いている。
「要救助者発見。美月、手伝って!」
目の前の瓦礫が退かされていく。
「大丈夫ですか!」
「あっ、はい」
自衛隊…?にしては凄い綺麗な子だ。
「良かった。今、足元の瓦礫も退けますね」
その2人は懸命に私を助けようとしてくれていた。
「久保、これ重すぎるわ。2人じゃ無理」
「応援は…無理そう。2人でやるしかないよ」
細い腕に力が籠っているのが分かる。こんな私のために…そんな気持ちが口走ってしまった。
「私なんか別に…」
2人は腕の力を緩めない。それでも私は喋り続けた。
「大した人生でもないんです。だから、もうここで…」
言い終わる前に私の体は自由になった。私は手を借りて立ち上がる。
「ハァ…ハァ…、歩けますか?」
無言で頷く。2人の服も顔も泥まみれだった。
「避難所までは別の者が案内します。向こうの待機所まで行きましょう」
また無言で頷く。美月と呼ばれていた隊員に付き添われて、家だった場所を後にした。
「あの!」
別れ際に呼び止められる。久保と呼ばれていた隊員がこっちを見つめていた。
「人生がどうかなんて、まだ分かりませんよ。あなたは助かったんだから、どうか生きてください」
泥まみれな綺麗な顔は力強く笑っていた。でも、直ぐに次の人を助けに走り去っていく。
「私もそう思います。でも、ちょっと格好つけすぎですよねぇ」
そういう彼女は誇らしげだった。2人の関係性が何となく分かる。
「ありがとうございます」
別れ際、深々と頭を下げる。
「お礼なんて。だって私たちは自衛隊ですから!」
そう言い残して、彼女もまた崩れた街に戻っていった。
「さくら!トリアージ終わった?」
「はい!」
避難所はまさに戦場だ。あの後も何人かの人が協力を申し出てくれたのが救いだった。
みんなの協力もあり、大きな混乱は起こらずに診ることが出来ていた。
「…ですね。足の痛みは次第に引いていきます。ただ、骨折の可能性もあるので固定だけしておきますね」
次から次へと運ばれてくる患者。休む暇も、手を止める気も無かった。
「飛鳥先生!」
突然、さくらの大きな声が聞こえた。
「レベルは?」
「赤です!意識有りですが、右下肢に出血と複雑骨折が…」
「すぐ行く!」
嫌な予感がする。骨折と出血は相性が悪い。最悪の場合…
固定を看護師の方に任せ、さくらの元へ急いだ。
入口に近い担架には高校生くらいの男の子とそのお母さんがいた。
「先生!息子を…息子を助けてください!」
「お母様、落ち着いてください」
さくらは必死に母親を落ち着かせている。それもそうだろう、息子の右足が潰れているのだから。
「いたい…先生…」
出血も酷く、意識が朦朧とし始めていた。悩んでいる時間は無い。
「さくら、医療バックある?」
「さっき救急の方に頂きました。飛鳥先生…まさか…」
さくらが唾を飲む。私の背中を汗が伝った。
「この子の右足を切る。バックと綺麗なタオルをあるだけお願い」
さくらの腕の中で母親は気を失った。医療班は一斉に準備に取りかかる。
「先生…俺は…もう…」
「もう喋らないで。大丈夫、あなたは私が助けるから」
彼の右手を強く握った。この約束は小指だけじゃ大きすぎるから。
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