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「ギフテッド」と「デスノート」

「世の中には色んな正しさがある」
とよく言われている。

確かにそうだ。

しかし、
「色んな正しさとは何?」
「例えばどんな正しさ?」
と聞かれてもすぐに答えられる人はほとんど居ない。

つまり、
ほとんどの人は自分以外の正しさを知らないのである。

じゃ、
何で「色んな正しさがある」と言えたのか。

それは「自分の正しさを正当化」したいからである。
つまり「自分はちゃんと考えたと信じたかった」のである。

自分の利益のためなら、
80億人が居れば、
80億種類の正しさがある。

他人の利益のためなら、
実は正しさの種類はそんなに多くない。

何故かというと、
自分の正しさを放棄したら、
その瞬間に世の中の正しさは一つ減った。

もしくは、
異なる正しさを同時に満たせる方法を考えれば、
実質的に正しさは統合されていく。
↑日本社会はこれを理解できず多数派ばかり優先するから、
 マイノリティがどんどん死んでいく。

この話、
なかなかギフテッドの口から出るものとは考え難いと思う。

「ギフテッドは一番偉そうでしつこくてわがままじゃないか?」
という偏見は結構ある。

世の中の人々は
普段は「結果論」で物事の正しさを判断している。

しかし、
自分が最良の結果を出せなければ、
都合よく判断基準を変える。

例えば、
急に多数決で自己正当化したり、
年齢や組織内の上下関係を理由に威圧したり、
完璧と言えるほど厳しい基準で他人の結果を批判したりする。
※自分は批判対象より良い結果を出せないのに?

ギフテッドは
可能な限り自分の正しさを諦めて、
人生の中で接してきた人々の正しさを取り込み、
それを実現できる世界を目指している。

にもかかわらず、
生物的本能・衝動・欲望に反応した
体内のホルモンと神経伝達物質に従い
条件反射で生きている人々によく攻撃されている。

その結果、
ギフテッドは隠居、
ミュータント化、
自分の命を断つ選択にしたことが多い。

この正しさの話にぴったりな漫画がある。
それは「デスノート」という漫画。

デスノート

デスノートという漫画は面白かった。
海外でもかなり有名だった。

「言ってもわからぬ馬鹿ばかり」
これはストーリーの終盤に主人公が言い放った言葉だが、
これは主人公を捕まえようとする行為自体が馬鹿ではなく、
人々の「普段の生き方」が馬鹿という意味である。
※あくまで主人公の主観

何故かというと、
作中のほとんどの人の正しさと正義の基準は、
自ら考え抜いたものゼロから考えるではなく、
世の中の既存の法律・常識・倫理規範に従い、
もしくは前提としたものである。

この生き方を主人公は馬鹿だと考えている。

ちなみに、
作中に登場した「L」と「ニア」は
典型的なギフテッド。


彼らの
多才、分析力、想像力、独創性、信念の強さ、
しつこさ、子供っぽさ、負けず嫌いなどの特徴は
生涯を通じて全く変わらない。

そして、
実は主人公である「夜神月」もギフテッド。

一般的に言われているギフテッドのイメージと違うが、
それは正常にパーソナリティが形成できたギフテッドの場合である。

作中では何回か
主人公は純粋な心を持っているとの描写があったり、
他人から「L」と似ていると言われたり、
「L」からも親しく感じられたりする。

このタイプのギフテッドは、
本熊は「ミュータント」と呼んでいる。

主人公は自分の無力さを受け入れられず、
「自分の能力が発揮できる世界だけ」を作ろうとした。
そして、自分の深層心理には気づけなかった。

だから、
純粋な心と素晴らしい理想を持っているが、
その理想に合うベストな世界ではなく、
「自分が作れる世界」を優先させてしまった。

「人いっぱい殺したのに何故純粋と言えるのか?」
と思われるかもしれない。

それは「自分の利益のために殺したわけではない」からである。
あのノートを手に入れ、使う勇気があれば、
まったく自分の財産と名声に使わない人は居ないでしょう。

「完璧の世界を作る」という理想を、
主人公は最後まで失わなかったため、
この純粋さは失っていないと言えるが、
「神になろうとする」生き物の欲望も同時に存在している。

この漫画を読んでいるほとんどの人は
主人公は自分の欲望に負けたと思うかもしれないが、
本熊はそう思わない。

負けてはいないし、
勝ってもいない。

しかし、
理想と本能の統合ができていない限り、
人々に害を与えてしまう可能性がある。

極端な話、
神になろうとすること自体は、
人々に害を与えるとは限らない。

だから、
神になろうとする目的だけで、
主人公を善か悪と判断できない。

本当に主人公が素晴らしい神になったら、
「悪」を前言撤回して「善」と言い始めるのか?

結局、結果論じゃん。

主人公は孤独な環境で育てられ仲間を知らない、
かつデスノートを手に入れたことによって「ショートカット権力」を得た。

しかし、
正規ルート積極的分離の完成でしか得られないものはたくさんあった。

ショートカット権力を使った結果、
能力に見合わない精神力とのギャップが生じ、
心が蝕まれた。

作中の主人公は凄まじい精神力を持つと評されているが、
本来はこの段階に留まらず更なる向上ができていたはず。

究極の精神力は
他者実現のために自分の能力を制御する精神力である。

だから、昔から
「実績」ではなく、
「人格」として評価されている偉人たちは
自ら「ショートカット権力」から身を引いている。

しかし、ほとんどの場合、
人々は目的を達成するために「権力」と「肩書き」を取りに行く。

かつ、ほとんどの場合、
人々は他人の「肩書き」と「実績」を盲信する。

かつての世界はそうだった。
今の世界もそうだ。

そういう意味で、
目的を達成するために
法を破る手段まで実行できる「L」も「ニア」も
ミュータントとそう遠くないと言える。


余談だが、
ニーチェはこの世界を
「超人」が「奴隷道徳の信者」を導くべきと考えたため、
デスノートの主人公と近い思想を持っていると言えるが、
ニーチェは極端な手段を使用するとまでは思わなかった。
※ショートカットがなかったからとの可能性もあるが

しかし、
その思想はナチスに悪用されたせいで、
何となくニーチェの思想を冷酷に感じる人は多い。

また、
ニーチェは積極的分離と戦ってきたが、
やはり最後は敗れて発狂して死んだ。

無理に強行して失敗したら死ぬ理論は恐ろしいよな。

先ほどのデスノートという漫画の中に、
「ワタリ」という人物は積極的分離を極めた者である。

主人公である「夜神月」も
「ワタリ」に育てられたら、
「L」や「ニア」と早く出会えたら、
運命も変わったかもしれない。

意識的・無意識的に積極的分離を進めようとする者たちの戦いとして、
よく描かれた作品ではある。

かつてのミュータントだった本熊からすると、
感慨深い作品であった。

あ、でも今はNOTEを持っているけど、
デスノートは持っていないから安心してください。


今回の記事はここまで。

お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻