疑念が人を救う

Noteは素晴らしい場所。
様々な意見が発信されています。
人々は支え合っています。
ここに多様性があると感じられます。

だからこそ、
僭越ながらも、
少し「Noteの常識」から「ズレていること」を言います。


情報に対する責任

熊の心がけです。
情報に対する責任です。

世の中は常に「正しい知識」と「間違っている知識」がある。
いかに正しいと思われる知識でさえ間違っている可能性がある。
逆も同様。

今正しいとされている知識が
未来においても正しいかを考え続けます。

理不尽に聞こえるのは分かる。

熊は知識の正しさに対して、責任を負うつもりはない。
正しさは結果であり、つまり運でもある。
気まぐれな結果に誰も責任を負うべきではない。

だけど、姿勢は違う。
正しさを追求しようとしましたか?
自分が他人に伝える知識は自ら検証しましたか?

この社会においてのギフテッド関連知識が
ウイルスのように蔓延する前に、
熊は既に世界中の様々なギフテッド関連知識を検証した。

その中で、
間違っている知識がたくさん存在していることに気づいた。

ギフテッドの研究者を熊も知っている。
対話もしている。

熊が発信している知識の全ては、
自分の身を通して検証したものです。

熊が正しいとは言えないが、やれることは全部やった。
もしやって欲しいことがあれば、教えてください。
やります。

熊は全世界のギフテッドの人生を体験したわけではなく、
彼らのことを彼らより理解しているわけでもない。

だけど、
一つ確実に言えることがある。
全てのギフテッドに共通する最大の苦しみを、熊は分かる。

それは
自分の才能のほとんどが、一般人に脅威と思われることです。

自己愛性の高い人は、
ギフテッドの持っている能力の特殊性に気づき、
その才能は自分の利益
(財産、名声、承認欲求、支配欲)を脅かし得ると考え、
ギフテッドを潰しにいく。

普通の人は、
何もしない、もしくは自己愛性の高い人に加担する。

良識のある人は、
ギフテッドの異質さに抵抗を覚えるため、距離を取る。
ギフテッドが何をされようか、見なかったことにする。

どんなギフテッドだろうが、
どんな種類の才能だろうが、
ギフテッドの「社会生活(殺され方)」は一緒です。

「どんな種類の才能は流石に言い過ぎでしょう?」
と思う方もいるかと思う。

本当にどんな種類の才能もそうだ。

ギフテッドの知能は
定型発達の人々の知能の延長線上にない場合が多い。
もちろん、ドクターたちも基本定型発達グループ

ギフテッドの一番哀れなところは、
人間と同じ見た目をしていることです。

見た目が違ったら、
「そういう生き物も居るね」
と済ませてくれるかもしれない。

見た目は一緒で、中身が違うから
「なんか変」
となってしまう。

だから、
どのギフテッドを見ても、
熊は「分かる」と言える。

分かると言いたいのではなく、思わず言ってしまう。
まるで自分のことみたい。

疑念が人を救う

少し話題を変えます。
何故、
本熊は主流のギフテッド知識をよく否定しているかというと、
「たまたまそうなっている」からである。

主流の知識が間違っているから、
熊はそれを間違っていると言う。

熊のせいじゃない、主流のせいだ。
これははっきり言わせてもらいます。
間違ったものを間違ったと言って何が悪いんだ。

「色んなギフテッドが居るから、
 一概とは言えないでしょう?」
 とよく言われている。

これを言っている人は「どんな立場」で言っているの?

「色んな」ギフテッド?
当事者じゃない人が「色んな」ギフテッドと言っている?

「色んなって何?」と聞いたら、
彼らは自分で検証したことのない「主流知識」を持ってくる。

これが積極的分離の「レベル1」です。
知識量は関係ない、それはただの暗記量です。

本熊が君たちの言っているその「色んな」の一人、
でも君たちは部外者でしょう?


「何故主流が間違っているかが分かる?」と思うよね。
もう一度ギフテッドの定義を見てみよう。
・常識では説明できない考え方
・現代科学では説明できない能力
・人の感情と思考を読み取れる。
 たとえ相手自身が気づいていなくても

主流は「常識の塊」です。
主流は「追従から逃れない」のです。

少しでも常識、いわゆる現代科学では説明できないものは
主流から弾かれます。

ギフテッド研究は、
主流を疑う研究者でしか進められないから遅いんだ。
これはあらゆる分野に対しても言えます。

ギフテッド研究が少し進んだのは結局「認知神経学」のおかげです。
この科学も長い間に馬鹿にされていた。

どの分野の科学者も、
自分の分野が一番正しいと証明したい。

彼らは自分の分野を疑わない。
その分野が本人自身のプライドでもあるからだ。

でも助けを待っている人々のためなら、
全てを疑うべきだと分かる。
自分自身も。

熊はいつも自分の言っていることを検証している。
自分では気付けないことも教えて欲しいです。

しかし、
教えて欲しいのは「どこから持ってきた主流」ではなく、
あなたが自分の目を通して検証した「知恵」です。

もちろん主流が常に間違っているとは言っていないが、
ギフテッドを理解するつもりがあれば、
「主流を疑う姿勢」が大事です。


私たちは主流の被害者です。
ギフテッドに限らず、全てのマイノリティがそうです。
これは正々堂々と言えます。
命の危険に晒されて生きてきました。
逃げても人間は追ってきます。
隠れても逆に人間の残虐性をそそってしまいます。
今までも、今も、おそらくしばらくは続きます。

Noteに来る人々だって、
主流の被害者でしょう。

全てを検証しましょう。
そして「主流」ではなく、
「当事者の声」を最優先にしましょう。


対話する空間

「ギフテッド研究は学び合う」
とあるギフテッド研究に人生を捧げたドクターの言葉です。

それに対して、
今のギフテッド研究のどこに対話の空間があるのか?

勝手に研究して、勝手に論文や本を出して、
勝手に自ら体験したことのない知識を広めて、
勝手に支援者の熱意で支援体制を作る。

その研究結果の妥当性に、
ギフテッドのコミットを取ったのか?

何で取らなくていいと思うの?

・ギフテッドを助けたい
・自分の研究結果が正しいと証明したい
どっちが本音ですか?

君たちの心、見たくないよ。
でもはっきり見えるから、ギフテッドが苦しむ。

知っている?
どんなギフテッドだろうが、皆の願いは同じ。

誕生日ケーキの前で願い事を三つまでなら
「普通になりたい」
「普通でありたい」
「ほっといてください」

お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻