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とても当たり前なこと。

私たちが普段、訪問リハビリを行わせていただいている方は、どうしても自宅から出られない方が多くいます。

理由は様々あるが、共通項も多い気がしていて…

それは、

人と人とのコミュニケーションの中で、
たくさん傷ついた経験を持っている。

それは、そうだよね…と思う方も多いと思います。でも、本当にそれは『大前提』と思って、会話をしてにる支援者はどのくらいいるでしょうか?

1.どんな方々??


『傷ついた経験を覚えている方』もいるし、

『自分は人が嫌いだから近づかないだけであって、傷ついたわけではない』…と人格形成されてしまった方もいるし、

また、『それすら話してくれない方』もいます。

そのような経験を多く持った方は、
色々な過去があります。

若い頃に伴侶を亡くして壮絶な日々の中で一筋の光(信じられるモノ)に出会い、その活動を信じ・頑張ることで毎日を払拭し続けてきた方、

定年まで仕事一筋で頑張ってきた方が、仕事を失った時の喪失感と恐怖。加えて、未婚や出産していないという劣等感と沢山の誹謗中傷を受けた方、

自閉症スペクトラムを持つ方が、クラスで事件が起こった時に、唯一信用していた親友から犯人扱いをされてしまい、『自分はやってない』と言えなかった方

世界的なコンクールに呼ばれるような才能のある方が、同級生・友人などを見て、『俺は健常者じゃないから、落ちぶれている』と、吐露する方、

等、皆さん精神疾患を患って、『辛い』と話す方々です。

2.当たり前で、とても忘れやすいこと。基本!!

私はとある本を読み、

ある覚悟を持って支援

をすることにしました。

300年以上前は、精神疾患に対しても知識がなかったため、たくさんの偏見があり、牢獄に入れられたり、血を抜かれたり等、ほぼ拷問と言われる内容でした。

しかし、それでも(今となっては当たり前だが、)患者さんは良くなる訳はなかったよう…。そこで、とある医師が修道院に行き、そこで驚く光景を見たそうです。今まで、自分が見てきた精神疾患の方々が、牢屋にも入らず、落ち着いて過ごしていた。

それは、何か、一生懸命に考察した結果、

道徳的対応


だったそう。

そこから、たくさんの変化をしていく間に、
精神分野の作業療法が確立されていったそうです。

私も、臨床を行なっている中で、『道徳的対応』を疎かにしている場面を多くみかけました。特に精神科病院では、(仕方がない場合を除く)、隔離、教育と称しての拘束・罰等は多くあり、心苦しいことも何度もありました。


3.実際の臨床での考え方

患者さん達は、
「食事は?睡眠は?幻聴聞こえてる?」
「これ出来た?じゃぁ、まだ次へは行けないね」等の、

病気を示すWord

に飽き飽きしています。
そして、それを使えば使うほど、

患者役割

に仕立てあげています。

私が実践していることは、ただ、

『人としての興味』
『人として対話』

ただ、それだけです。
「えっ?それだけ?それならやれている」と思われることも多いと思いますが、こんな普通のことが出来ていない支援者は多いです。

私もかつてはそうです。
「なんとかしないとリハビリの意味がない」と、病院時代の私は思っていました。その影響で、患者さんに対して、『動かす様なWord』をたくさん使ってきました。もちろん、患者さんの状態を良くしようと思っていた。けど、結果、患者さんから、

『圧が強い!』

と、怒られてしまったことがあります。

あなたを動かそう(患者さんが想定した未来に近づけるための圧)としていることが、しっかり伝わってしまっていたのです。

なので、私は、
少しアクセルを緩め、ニュートラルに患者さんをみることにしました。
そうしたら、なんと、患者さんのことを全く知らない自分に気付きました。その後、患者さんのことを知りたくなって聞いてみたり、ふとした気付きを共有したり、患者さんが誰かと聞いて見たかったという音楽を聞いたり、一緒に漫画本を買いに行ったり、、、そんな毎日を過ごしていく中で、

あんなに動かそうとしても変わらなかった方々が、
『外へ出られた!』
『友達が出来た!』
『初めて電車乗れた!』

という状況がたくさん産まれました。
詳細に書くと、経過は長いので、今はそれを省きます。

そして、本日の臨床も、
『人としての対話』の重要性を改めて感じ、noteしてみました

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