彼氏のはなし(どうも良い人のふりを13年間続けているらしい)

彼氏は出会ってこの方ずっと良い人。
常識人という意味でも、優しいという意味でも、良い人。

それを褒めると、照れ隠しなのか、「良い人のふりやで」と言う。良い人のふりが13年も続いてるなら、正真正銘良い人に違いない。

出会って13年
付き合って10年
ずっと良い人。

今日は彼氏がどれだけ良い人か、のろけたいと思う。

たとえば。尿意爆発寸前に最寄駅でそれを在宅の彼氏に伝えると、先に玄関のドア開けて便器の蓋まで開けて、トイレまでの動線を確保しておいてくれる。「彼氏のどこが好きなん?」ときかれても答えられないのは、このあたりに優しさが特化しているから。そういうところを好きの理由にはしづらい。でも良い人には違いない。

あと、階段の登り下りのときほぼ欠かさず、彼から
「気をつけて」
「手すり持って」
「しんどくない?」
と声がかかる。
ときどき介護されているのではないかと疑うほどに、甲斐甲斐しい。紳士的で良い人だ。

どれほど彼と喧嘩をしても、彼を怒らせても、悲しませても、彼のスマホの待ち受け画面はわたしとのツーショット。
誰にもわたしとの関係を隠す気がない。浮気を疑う余地もない。良い人なのだ。

喧嘩を翌日に持ち越すと、嗜められる。
彼のルールだ。彼の実家のルールでもあるらしい。
寝て起きたら、水に流す。
付き合いたての頃は納得できなくて怒っていたけれど、段々と慣れていった。おかげで大抵のことに怒らなくなった。
怒らないと、建設的な話ができる。今後の対策も考えられる。
まるでわたしまで、良い人になれたかのようだ。

彼氏は良い人でもあるし、甘い人でもある。

たとえば、料理のハードルが低い。

おかずが一品足りなくて、卵焼きを作る(作ると言うのもおこがましい)。それだけで、びっくりして喜んでくれる。まな板と包丁を出したら、くるくる回って踊って喜んでくれる。ベタ甘だ。

なんにも用意できなくて、冷凍の餃子や冷凍のパスタを出しても、
「こんなに美味しいの見つけてきたん!?すごいやん!」
と手放しで喜んでくれる。
ひねくれたわたしは嫌味かと眉をひそめることもあったけれど、彼が本心で言ってることに気づいてから、わたしも手放しで喜べるようになった。毎日ハッピーな食卓だ。何も気負わないでいい。

ちゃんとご飯を作った日は、わたしの手料理にときどき値段付けてくる。

・おにぎり1つ  480円
・お茶漬け1杯  750円
・シチュー1杯 1000円
・サラダ1皿    2800円

などなど。笑っちゃうぐらい高い。わたしはぼったくり定食屋さんの気分。
先週のハンバーグなんて、2つで2600円。シチュー1000円と合わせて、夕食は1人前3600円だった。

そして何より、彼氏がおかわりを求めてキッチンうろうろするのを見るのが、一番好きだ。なにを作っても「おいしい」「ありがとう」って言ってくれるけど、自発的キッチンきょろきょろには勝てない。

彼氏も料理をする。
彼氏が作ってくれる煮卵には無償の愛を感じるかもしれない。わたしが留守のときに卵を買ってくるところから仕込んでくれて、わたしが食べてるところを見るわけでもなくて、わたしが大げさな感想や感謝を伝えるわけでもないのに、減ったら作ってくれる。しかも美味しい。

ピクニックの日はわたしがお弁当を作るかわりに、彼氏がお茶を買ってきてくれる。
決まって、お〜いお茶のほうじ茶だ。
10年前、初めてお花見をしたときに、わたしが好きだと言ったから。律儀にほうじ茶を探してきてくれる。コンビニによっては取り扱いがないから、何軒か回ってきてくれる。それでもなければしょんぼりして、お〜いお茶の緑茶を選んでくる。
「なんでもいいのに」
と私が言うと、
「おれが飲みたいから」
と頑なになる。
わたしが好きだと言ったから、などとわたしに責任を押し付けてきたことは一度もない。良い人なのだ。

春の帰り道には桜を見に遠回りしてくれ、
夏の帰り道には稲の香りを嗅ぎに遠回りしてくれ、
秋の帰り道には団子を買ってくれ、
冬は寄り道せず真っ直ぐ帰る。わたしが寒がりだから。

付き合う前にあげたチロルのパッケージとか、7年前のバレンタインにあげたチョコの包装紙とかを彼氏の部屋で見つけてしまうと、なにがあっても嫌いになれないなぁと思う。


こんなに良い人、わたしにはもったいないと思う。
なのにもう、10年も付き合わせてしまっている。

朝の苦手なわたしを見かねて、起床時間を過ぎてもLINEに「おはよう」の連絡がなかったら、電話をかけてくれる。
ADHDの薬を服用していなかったときは、ほとんど毎日電話をしてくれた。
入試も、大学の授業も、会社も、全部頼り切っていた。自分が嫌いになるぐらい頼っていた。こんなにダラシない人間はすぐに嫌われるだろうと思っていたのに、彼氏はずっと、「電話ぐらい苦じゃない」と言ってくれる。

一人暮らしをしていた時。わたしは鬱期に入って、会社サボってしまうことが度々あった。いやもう、しょっちゅうあった。
仕事に行けずご飯も食べず薬さえ飲んだり飲まなかったりして、連絡に返信もせず呼吸だけする。そんな怠惰な一日を過ごしていると、その都度彼は、心配そうにして、時折うんざりしながら、様子を見に来てくれた。

食欲が無くても食べやすい桃のゼリーと、ポカリと、パンを手土産に。彼の家から、往復3時間以上もかけて、わざわざ差し入れてくれる。

牛丼を持って来てくれる日もあった。「食え」と。食べ終わると、急き立てられながら部屋を出されて公園に散歩へ連れていかれる。

ズルズルと歩く。ジワジワと汗をかく。次第に、お腹が減る。そしてわたしは、自分が人間だったこと思い出す。彼氏が居なかったら、どこかで事切れていただろうと思う。

彼氏といると、わたしは人間になれるなぁと感じる。未完成で不器用で欠陥だらけでも、人間として息ができる。

だけど、彼は不愉快そうに首を振る。
「おれが居らんと死にたくなるとも、おれがいるから生きていけるとも、おれがいないと寂しいとも言わんといてほしい。腹立たしいねん。おれが居らん日も、春蒔には元気に生きていてほしいから。」
真っ当に、良い人だ。
依存関係は正しくない。

わたしだって、良い人になるべきだ。

彼の実家が、わたしの母親から厄介な嫌がらせを受けたときも、決してわたしのせいにはしなかった。
彼どころか、彼のご両親も、「あの母親とは関わりたくない」と言いながら、「彼女が良い子なのは分かってる」と言い添えてくれた。ご両親も良い人たちだ。彼は良い人たちの下で、良識と優しさを教えられて育ってきた。
それがときどきどうしようもなく羨ましくて、だけどその何倍も感謝している。
せめて彼らにとって、わたしが「良い子」でいられるように振る舞っていたい。かりそめでもいいから。

今日、婚姻届を提出する。
13年間ずっと良い人のふりを続けている好い人と。

彼にとってわたしも、良い人であったらいいなと願っている。

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