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【君死にたまふことなかれ】①

⚠私の独断と偏見の価値観による【ひとりごと】を
綴りたいと思います。
これはあくまで私個人の考えや想いであり他者に対して押し付けようとか正しい正しくないとかコントロールしようとか、そういう意図はありませんので不快に思われた方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
途中で読まずにスルーして下さいますようお願い致します。


少し前Xにて呟いたのですが私は電車通勤をしています。
最近特に人〇事故が多くなったように思います。
余りに多いので出勤時間の30分前には着くように乗車するようにしています。
それでも危ない時もありますが……
以前は事故処理に1時間以上でしたが1時間もかからずに運行再開されるようになりました。
通勤者にとっては有難い事ですが作業効率が良くなるぐらい頻繁に起こっているという事なんだと思うと複雑な気持ちになります。

NEWSでも報道がある度に考えてしまいます。

自〇を否定とか肯定とか良いとか悪いとか
生命の選択について私が言えることは無いです。
人それぞれ選択は自由ですし、人生で生きてゆくという選択が出来ない状態の方々もいらっしゃると思うからです。

当事者じゃないので心情を全て分かるなんて無理ですが誰でも人生に1度くらいは思った事があるのではないでしょうか?

17歳の冬のある日まで唯一の私の夢は自分の存在を消すことでした。
小学校高学年から何度も未遂を繰り返していました。
【この世に必要の無い存在】
【愛されて無い存在】
「なんでここにいるんだろう?」
「いなけりゃいけないんだろう?」
とずっと思っていました。

私は3歳から不眠症で病気がちな子供でした。
いつも周りの人達の顔色を伺いビクビクして暮らしていました。
頭の中には様々な声や感情が渦巻き自分じゃない誰かの思考や映像に悩まされ気が狂ったかのように叫びだしたりと常軌を逸した子供時代でした。
私の田舎では(影起きる)とか(虫が騒ぐ)と言って〈虫下し〉という甘いシロップの薬を飲まされていました。

今思えば薬では無かったように思います。
でも確かに少しの間だけは楽になれました。
毎日頭が割れそうに痛くて世界がぐるぐると回っているように感じ息をするのもやっとな感じでとにかく苦しかった事を覚えています。
近所の子供達からは虐められていました。
大人達からも疎まれていたように思います。
子供らしい子供では無かったし、私に悪気は無く意図していない事も周りから見れば奇異な言動に受け止められる。
田舎は良くも悪くも狭い社会です。
人と違う物は徹底的に排除しようとします。

大人の噂話を子供は知らないうちに聞いています。
大人も子供も噂話は面白いからです。
ある事ない事を面白可笑しく妄想交えて話していますが聞いた子供は黙っていることが出来ません。
1人の子が言い出すと皆が言い出します。
「貰いっ子」「変な子」
私は自然に独りで遊ぶようになりました。
山に良く山菜採りに連れて行ってもらっていた事もあり私は幼い頃から独りで山に行くようになっていました。
山には熊も居るし蛇も居るし虫も居る。
でも山菜も有るし野いちごやあけび等いっぱい美味しい物があるのです。
思えば幼い頃から食い気ばかりでした(笑)
山に行くと自由になれるのです。
虐めてくる大人も子供も居ない。
頭の中も空っぽになるので痛みもなく楽しくて仕方がありませんでした。
歌を歌ったりずっと話していました。
その頃から私は独りが自由で楽だと考えるようになりました。
ひとは怖い……苦手だ!!
ひとと関わることが未だに苦手だし面倒に感じます。

子供は体力の限界が分かりません。
いつも私は疲れきっていて夕ご飯を食べると失神するように眠ってしまいました。
1時間程は眠れますが、目が覚めてしまうと不眠症の私はもう朝まで眠れません。
幼い子供にとって夜の闇は恐ろしくトイレに行くのも怖くて叱られるのも承知で我慢出来ずにおもらしをしてしまったものです。
闇の中優しい手も言葉もありませんでした。

私は養女で育ててくれた母は望んで受け入れた訳ではありませんでした。
赤ん坊を引き取ったものの世話をする気にはなれず軒下に放置していたそうです。
不憫に思った近所の方が暫く世話をして下さり母に口添えをしてくれ「これもご縁なんだから」と諭して下さったそうです。
55年も前の話ですが、その頃でも養子縁組には裁判所等の公的な手続きが必要でした。
犬や猫の子供が産まれたから貰ってくるのとは事情が違います。(愛犬家、愛猫家の方ごめんなさい💦)

母は晩年 妹(母の実の娘)にお父ちゃんが「 犬の子貰ってくっから」と言って貰って来たのが私だったと語っていたそうです。

私が聞いた話とは随分違っています。
私の産みの親は体に障害を持っていて子供も既に何人も居た為育てる事が難しい状態でした。
なので私は産まれる前から養子に出される事が決まっていたのだそうです。
ですがそう言ってしまいたいほどの思いが母にはあったのでしょう。

母には一緒になろうと約束した方がいました。
その頃祖母が乳がんで余命いくばくもない事が分かり家族の為に諦め父と結婚したそうです。
今思えば母も自分の幸せを犠牲にするしかなかった可哀想な人生だったと思います。
昔は家族の為が罷り通る時代でした。
祖母の為に自分の幸せを犠牲にし、ましてや父方の親戚達に子供を産めないなら養子を取れと言われ押し付けられ……
今の時代なら考えられない事だと思います。

今の私なら色々な事情も分かるし理解も出来ますが
子供の私には分かりません。

無意識の領域で赤ん坊の頃の出来事が
私の中に刻まれてしまったのかも知れません。
「次こそはきっと上手に出来る……楽になれる」
この世界に自分は必要じゃない。
居なくなっても誰も悲しまない。
どんなに頑張ってもテストで100点を取っても通信簿(今は違う物なのかな?)で5を頂いても褒めて貰ったことはありませんでした。
虐待されたりネグレクトをされたりはしませんでした。
母も初めての子育てでましてや病気がちで変わった子供でしたから苦労したと思います。
望んでした事では無かったし他人の子です。
それでも育ててくれた事は本当に感謝しています。

良い子だろうが疎まれる。それは周りの大人全てに当てはまり私は生きているだけで苦しくて何も考えずに眠れれば幸せでした。
なのに私は眠ることさえ出来なかったのです。

そんな子供がどんな風に育つのか?
すくすくと元気に育つはずがありません。
私には他にも人と違っている所が沢山ありました。
自分の体は女性として産まれましたが心の中では男の子でもあり女の子でもあると思っていたのです。
どっちにもなれると……
ある時女性に対して嫌悪感を抱く出来事がありトラウマになりました。(女性蔑視では無くある特定の人物に対してのみです)
セクシャリティな内容ですので詳しい内容は省かせて頂きます。
子供だった私はその時男の子になると決めて叶うと信じていました。今は無いけれど成長すれば体に生えてくると思っていたのです。
(生えるわけねぇだろ!)ツッコミいれときますね。

それは起こること無く私は自分の体を恨みました。
小学高学年になると学校を度々サボるようになり中学生の時には頻繁に登校拒否に。
この頃から自〇を考え始めて未遂を繰り返すようになりました。
自分のことを「オレ」と言い始め女性的な目で見られる事が苦痛で男子的な振る舞いや服装をするようになりました。
友達と同じように恋バナをしてみても理解出来ません。
好きという感覚がわからず話を合わせているだけ……わからないから知りたい気持ちは強く当時流行った交換日記の配達人をしたり友達同士をくっつけたり(笑)

私は1つの事に興味が湧くと猪突猛進良くも悪くもトコトンまで集中して突き詰めてしまうのです。
白か黒 竹を割ったようなハッキリした性格で曖昧模糊な状況にはイライラしてしまい、それならばいっそ壊してしまえと全部ダメにしてしまう。
そうやって気に入らなければ良好だった人間関係さえ
捨ててしまっていました。
そんな自分が良い関係を構築出来る筈もなく益々独りの方が楽だと孤立して行ったのです。

何度も自〇未遂を繰り返しました。
「次はきっともっと上手に出来る」
考えると馬鹿だなと思う事ばかりしていました。
今のようにネットもないし情報が薄いのです。
ドラマや映画からしか知識は無く確実にこの世界から消える為にと色々試してみるけれど上手くいかない。
田舎に住んでいれば農薬を飲めば〇ねるとわかってはいたけれど厳重に保管されているし私の家は農家では無かったのでそもそも手に入らない。
子供の私は初めての時殺虫剤をサイダーに入れて飲みました。
不味いだろうから大好きなサイダーに入れれば飲めると思ったのです。
我慢して飲みましたが不味いし飲みにくい💦
致死量に至るわけもなく3ヶ月程口の中はただれ
お腹が焼けたように痛くてトイレに入る度に血だらけになっただけでした。
リストカットもしたけれど小さな血管を切ることは出来ても太い血管に辿り着くまでに血液中の脂で滑り届かない。

17歳の冬の日 何度目かのリストカットで太い血管まで届き血が止まらなくなりました。
体温は34度まで下がりぶるぶると体中は震えて今度こそはと思った矢先 母に見つかり病院に連れて行かれました。
まだその時私は「きっと次こそは上手くやれる」と希望を持っていました。

手首を縫う時麻酔を打つのですが傷口の1番深くに注射針を打つので酷く痛いのです。
「痛っ‼️」と声を出してしまいました。
その時治療していたお医者様が呆れたように仰ったのです。
「切った時の方が痛いでしょ‼️」
そう言ってまだ麻酔も効いていない手首を
縫い始めました。

「君みたいな子沢山来るよ。どうせ〇ねないのにね。脳みそが違うんだよ‼️〇ぬ子と〇ねない子はさ。
〇ぬほど苦しい思いして胃洗浄何度もしてる子もいるけど脳みそが違うから無駄なんだよ‼️」
痛みに耐えながら私はお医者様の言葉に納得していました。
「あ~脳みそが違うんだ‼️だから私は〇ねなかったんだ」と。




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