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ハガルという女の物語 (ハガルと私と神のストーリーが交わる時)(2022年11月27日)

 
創世記 21:17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。
 
旅を続けていたアブラハムは、カナンに落ち着きます。それから10年、サラとアブラハムの間にまだ子供はいません。サラは夫アブラハムに提案します。自分の奴隷であるハガルを第2の妻としてアブラハムに与え、ハガルに子供を産ませようというのです。その計画はうまくいきます。第二婦人のハガルは身ごもります。しかし、ハガルはサラを見下すようになってしまいました。そこで、サラはハガルを苦しめ、ハガルはサラから逃げ出します。そのハガルは神にサラの元に戻され、息子イシュマエルを生みます。
創世記は12章から50章までアブラハム一族の話になります。神がアブラハムと結んだ契約が、イサク、ヤコブへと受け継がれていくという話です。その間に色々なエピソードが挿入されています。その一つがハガルの出来事です。何故ハガルの話が必要なのでしょうか。
ハガルとはどういう人物なのか。「抑圧者の視点から語られる物語の中で、使用・虐待・拒絶を経験する聖書の最初の女性の1人」だと言われています。サラはハガルを妻としてアブラハムに与えられますが、ハガルの意志は関係ありません。ハガルが妊娠すると、アブラハムの一族の中から追放されます。イシュマエルが生れると、とうとう本格的にアブラハムの一族から追放され、自分たちだけで生きていかなくてはならなくなりました。とは言え、それが私たちとどのような関係があるのでしょうか。
 
ハガルと神
ハガルと神の出会いから始めましょう。ハガルの神と出会いは、最初の追放の時に起こります。神の使いは、名もなき奴隷ハガルの名前を呼びます。16:8「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」そして、驚いたことに、神の使いは「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」それは過酷です。しかし、その一方で、こうも約束します。16:11「男の子を産もうとしている。 その子をイシュマエルと名づけなさい。」イシュマエルという名は、ヘブライ語の「シェマ」という「聴く」という意味の言葉から来ています。ハガルが神に叫ぶことはありませんでした。しかし、ハガルの心の痛みを神は聞いていらっしゃるのです。そして、ハガルはその神をエル・ロイ(私を見る神)と呼びます。それは、同時に「私は神を見る」とも理解できる言葉です。
 
イシュマエルが成長してから、ハガルと息子は、再びアブラハムとサラはハガルを追放します。追放され、苦しむイシュマエルの声(21:7)を「シェマ」します。つまりイシュマエルの声を聞いていました。そして、神はハガルに約束をします。Gen. 21:18 立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。」イシュマエルもアブラハムの子です。神のアブラハムとの約束に忠実であるだけでなく、ハガルの苦しみを見、苦しみの声にもこたえてくださる神なのです。
 
ハガルとアブラハム
この時代の男性中心主義の世界の視点から考えると、アブラハム一族はアブラハムを頂点として、妻サラがいます。そして、言葉が相応しいかどうかわかりませんが、第二夫人となったハガルがいます。その下に多くの僕たちがいたと考えられます。ハガルの物語を気を付けて読んでいくと、実はハガルに対応する人物がサラではないことが隠されています。イシュマエルとイサクの誕生物語、主の使いがアブラハムとハガルに神の約束を語る場面、イシュマエルとイサクが死を目の前にした場面で使われている言語が実によく似ています。このストーリーのオリジナル聞き手は、もしかしたら不思議な気持ちで聞いていたかもしれません。ハガルは奴隷の立場から、追放という形を取りましたが、自由になりました。しかし、ハガルのストーリーの根底にあるハガルの立場は、アブラハムのように族長の1人になっていく過程なんです。ハガルは、アブラハムやサラにただ蹂躙されるかわいそうな女性の話ではありません。ハガルはイシュマエルの一族の誇り高き長であり、イシュマエルの妻を選んだのもハガルです。ハガルのストーリーは、アブラハムの物語の付録というようなものではありません。むしろ、ハガルのストーリーこそ、アブラハム一族の行く末を表す大切な役割を担っています。
 
ハガルとイスラエル(読者)
最初の質問に戻りましょう。このハガルのストーリーはどんな意味があるのでしょうか。最初にこの物語を聞いたイスラエルの人々は、アブラハムとサラの子、イサクから続くイスラエルの歴史を考えたでしょう。そして、ハガルのストーリーは、イスラエルのもう一つのストーリーでもあります。ハガルの奴隷状態からの解放と彼女の一族への祝福は、出エジプトとつながります。そして、それはバビロン捕囚からの解放へとつながり、イエスの神の国の到来の宣言へとつながります。イエスの時代、イスラエルはローマの属国であり、いまだ偶像礼拝の虜になっていました、イエスは、ローマ、偶像礼拝からの解放が、神の国の到来とともに始まると訴えました。そして、21世紀、未だ罪の世界の虜になっている人間たち、被造物の解放と回復が完成する神の国の到来です。
ハガルのストーリーを読む時、単に個人的なストーリーだけではなく、社会正義のストーリーも含まれています。先々週お話ししましたが、外国人を愛するという神の命令につながります。ジェンダー、セクシュアリティ、人種、部落差別です。これらを無視して、ハガルのストーリーを十分に理解することはできません。霊的なものから、社会制度によるあらゆる種類の隷属からの解放をハガルは語っています。様々なレンズを通して、ハガルのストーリーをもう一度読み直すことができます。ハガルのストーリーの中に、様々な私が、様々な世界が映し出されます。教会こそが、ハガルの居場所となるべきところです。教会は、ハガルに希望を与えるべきところです。教会は、人間を虜にしている世界からの解放を体験する場所であるべきです。

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