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天満レインボーチャーチはどんな教会ですか:女性のための教会

2022年5月29日 第2回
聖書箇所:1コリント11:3
すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。
 
前回の配信では、天満レインボーチャーチはLGBTQフレンドリーの教会ですと申し上げました。今回は女性のための教会というタイトルでお話しをしたいと思います。
私の経験ですが、私が行った教会のほとんどで、礼拝に来ていらっしゃる方のほとんどが女性でした。女性が8割から9割で、男性はわずかです。恐らく、日本中、世界中の教会でも似たような状況ではないでしょうか。
ところが、私が行った日本の教会で、女性が主任牧師の教会は1つだけでした。それも教団の教会ではなく、単立の教会でした。
日本では、4月が新しい年度の始まりですが、日本の教団も4月から新しい体制で始まります。キリスト教の月刊誌には、新しく任命された教団代表や教団の各部署の担当牧師が掲載されます。日本の教団の代表で女性はいないのではないでしょうか。教団の各部署の担当牧師もほとんどが男性ではないでしょうか。
私は以前にある教会で、役員というのをやったことがあるんですが、先ほど言いましたように、教会に来る人のほとんどが女性なのに、選ばれる役員はほとんど男性なんです。その男性を選ぶのは女性なんですけどね。女性が女性を選べばいいじゃないかと思うかもしれません。しかし、教会に来ている既婚女性の多くは、そのパートナーはクリスチャンではありませんでした。役員会というと、なんかやたらと長くなるんですね。休日に夫を家に長時間ほったらかしにするわけにはいかないのでしょう。こういう「女性への配慮」ということで、女性が教会のリーダーシップから遠ざけられます。
1つの問題は、役員会のようなものが、男性がやりやすいようにできているということです。家のことは妻に任せて、独身男性なら自由に時間が使えるでしょう。女性が役員になり、教会でリーダーシップを発揮する環境は整えられていません。
こういうことは、この家父長的な社会で起こっていることと同じです。教会は無批判に同じ家父長制を取り入れました。そして、それを聖書的だと考えている人が少なくありません。あとでまた触れますが、今日最初に読んだ聖書のことばを、その理由に挙げています。
先ほど、女性のクリスチャンが男性のクリスチャンを役員として選ぶということを申し上げました。アメリカの女性の牧師さんの話ですが、タラ・ベス・リーチという牧師さんがいます。この方は、2017年に20代後半でメガチャーチの主任牧師となりました。アメリカの教会史上、最年少の女性主任牧師となられた方です。博士号を取得し、これから牧師として、神学者として活躍が期待されています。みなさん、この方、どんな方だと思いますか?バリバリ仕事をこなし、研究もできる、自信にあふれた女性でしょうか。
この方、自身の著書の中で告白しているのですが、「確かに主任牧師になったのだけど、自信がない。皆私のことを買いかぶっている」というのです。「僕も重大な仕事を任されたら、自信ないわ」という男性もいらっしゃるでしょう。しかし、彼女はさらに告白します。「私は詐欺師症候群(インポスター・シンドローム)なんです。」インポスター症候群(詐欺師)とは、仕事でうまくいっても、「これは自分の能力や実力ではなく、運が良かっただけ」「周囲のサポートがあったからにすぎない」と思い込んでしまうことです。男性優位社会、家父長制社会で、自分の能力に自信がもてなかったり、自分を卑下してしまうことが習慣化してしまうという現象です。女優のエマ・ワトソンさんも自分がインポスター症候群になやんでいると告白しています。女性だけではありませんが、女性に多くみられるそうです。日本では、謙遜や内助の功などというのが美徳して考えられ、女性が人前にたつと出しゃばりのように思われてしまうと感じる人がいるのが不思議ではありません。
タラ・ベス・リーチ牧師は男性に、「もっと女性を励ましてほしい」と言っています。タラ・ベス・リーチ牧師の神学校の先生で、有名な神学者でスコット・マックナイトという人がいますが、この人はリーチ牧師の著書の前書きでこう言っています。
 
「壇上の男性(教会で説教している男性牧師のこと)は、女性に場所を譲る必要があります。男性が権力を持っているのは事実であり、才能ある女性がその才能を発揮するためには男性の許可が必要なのです。そうです、まさにその通りです。男性が説教の壇にいて、女性がアクセスするには男性が移動するしかないのです。」
牧師になろうとしている男性がいるとしたら、その男性は無条件で主任牧師になる資格が与えられています。牧師になろうとしている女性がいるとしたら、その女性は多くの場合、牧師になろうとしている男性の妻となるか、独身で牧師になることが、暗黙のうちに期待されています。現代の家父長制の中では、女性が主任牧師になることは、きわめて例外的なことにすぎません。
私は天満レインボーチャーチの主催者として、今お話しをしていますが、この教会の立ち上げに多くの人がかかわるようになり、地域の教会としてその働きを始められる時がきたら、女性やLGBTQのクリスチャンの方々がリーダーシップをとっていただきたいと願っています。男性、シス男性は、この教会ではリーダーシップを取りません。こういう意味で、この教会は新たな世界への実験かもしれません。
さあ、最後にきて聖書のことばに戻りましょう。
1コリント11:3
すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です
 
1コリント11章1-16では、教会で祈る時に被り物をしない女性を糾弾している箇所です。コリントという町では、宗教的な状況で女性は被り物をしていたようです。そこで被り物をしない女性がいたということです。このことが何か教会や普段の生活の中で問題を引き起こしていたのでしょうか。現代で女性が教会で何かかぶってないといけないというわけではありません。パウロは教会での秩序について語っているのかもしれません。ここで、パウロは人間の頭とかしら(何かの集団の長という意味でのかしらというのことば遊びをしています。
「女のかしらは男」というようなフレーズから、男性は女性よりも優れているとか、偉いというわけではないけれど、神は男性が社会のあらゆるところで「霊的リーダー」であるというようなことを言うクリスチャンがいるわけです。聖書は何もジェンダーによるリーダーシップを説いてはいませんし、そのように含意している箇所もありません。
「女のかしらは男」という前に「男のかしらはキリストであり」とあるわけです。キリストという時に、忘れてはいけないのは、キリストが十字架に至る苦難の生涯を送られたということ、そして、私たち、男性、社会の中で男性が権力を持っているのは事実です。その男性はかしらである苦難のキリストに倣わなければならないと思います。ジェンダーの観点でいうと、男性の苦難は、その権力を捨てて、すべての人に仕えることを学ぶことです。すでに多くの苦難、差別を負っている女性にこれ以上の苦難を負わせてはいけません。
天満レインボーチャーチは女性のための教会です。私は今主催者として話をしていますが、いつかシス女性とLGBTQの方々が教会のリーダーとなり、牧師となり、福音を語ってほしいと願っています。シス女性とLGBTQの方々だけで、教会のリーダーシップチームを作っていただきたいと思います。シス女性とLGBTQの方々が、シス男性のようにならなければならないということはありません。シス女性とLGBTQの方々も自分自身のままで、リーダーシップをとっていただければを思います。天満レインボーチャーチは、ともに教会開拓に携わってくださるLGBTQとアライの皆さんを探しています。教会開拓に興味のある方、どうかご連絡いただきたいと思います。

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