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「第三の居場所」は「自分の中に」つくって自分で育てていくもの。

学生時代は「クラスメイト」よりも距離が近くて、放課後も一緒に遊んだり、互いの家を行き来したりなんかして仲良く遊ぶのが、「友だち」となんとなく思っていた。

その中から、さらにちょっと深い話とか悩みも話せるのが「親友」。

で、社会に出るとしばらくその感じ続く。
「仕事の同僚」の中からちょっと仲良いメンバーが生まれる時もあったり。

で、結婚して家庭をもつと、学生時代の友人とは また違う「ママ友」ができたりなんかして。

・・・という感じで、「友だち」「人付き合い」ってライフステージで変わっていく。

実際に私も、「仕事観」「家庭観」みたいなのが近しい人は、話していてオープンマインドになれて心が通い合う感覚があって、居心地がいいのはいうまでもないけれど、世の中そんな人ばっかりじゃないのも、もちろん、知っていて

そこはうまいこと距離を調整できる(割り切ってうまくこなす)のが「大人」だよね、きっとね、と思っている。


いろんな「友だち」「人付き合い」のかたちが 同時にたくさん存在するのが
「大人の世界」で、
子ども・学生の頃のそれとは、ちょっと違う。

自分自身を振り返って、また我が子やBASEにくる子どもたちを見ていて思うことだが、
子ども・学生の頃は、「いつもの友だちや仲間との関係」が、生活全般に占める割合がかなり高い。(例えばクラスの友人関係でこけたら、たちまちクラスにいるのが嫌!学校自体が苦痛!もう全部嫌!ってなりやすい。)

だからこそ、「おうちではしっかり受容して、無条件肯定が大事です」
「子供の安全基地の土台は家庭にあり」と言われたり、
または「第三の居場所」が必要です、と言われる。
地域で子育てしようと地域全体にネットワークを作る必要性が叫ばれるようになり、実際に子ども食堂・子供の居場所・・・あちこちに増えた。実際に私もそういった活動をしている一人だ。

ここで、「第三の居場所」っていうワードが出てきた。
「サードプレイス」とも言うやつだ。


「学校や職場(=公的・お仕事・外向けの)」でもない
「家庭(=私的・プライベート・個人的、内向けの)」でもない
「第三の」・・・とかいうよね〜

この、「第三」「サード」っていう言葉は、非常にわかりやすい反面、
「仕事と家庭」「公的か私的か」みたいな二極論的固定観念を産んでしまう側面も持ち合わせていて、そこがなんか窮屈で厄介だな〜と最近やたら思うようになった。


多分、働き方を変えたことにより、私の中に「変化」が起きているのだと思う。

私は、2022年4月〜公務員を辞めて
自宅の一階部分を事務所にして、小さなNPO個人事業を始めた。
「通勤時間0分」
家庭と仕事が同居する環境は、子どものペースに合わせて仕事を調整できるし
非常に便利で、子育てしながら動きやすいしとにかく勝手がいい。

その、「ふんわりと仕事と家庭が一体化」した私にとって
「第三の・・・」はなんだか、もはやよくわかんない感じになってしまったんだと思われる😅

例えば、会社員だったら「通勤したら仕事モードON」「退勤したら仕事モードOFF」っていう感じでわかりやすい線引やスイッチがある。

今の私には、それはない。

それは、決して悪い意味ではなく、
もはや私にとってBASEの運営はライフワークなので、
家事をしているときも、
コーヒータイムも、なんなら睡眠中も、
常に仕事のこと・人生のこと・幸福感を得られる生き方・事業をどう展開しようか、どうやったら地域や社会がハッピーになっていくかな〜何が楽しいかな〜・・・などと、どこかにふとあれこれ思いを巡らせている。

そんな話をすると、大概の人は「良くもまぁそんなことずっとやってられますね…」と言う。
そして、そこには見えない壁やベールが一枚あるのが感じられる。

でも、「一部の人」とは、そのベールや壁がなく、めちゃくちゃ心が通うことがある。
おぉ〜!!ってなる瞬間だ。(笑)

この「ベールや壁の存在」に、かつての私は一喜一憂していた。
なんで?私が変人なのかな〜とか。やっぱりこんなことやっても意味ないのかな、とか思い悩む時期もあったけれど。

今はだいぶクリアになった。

多分、それは「雇用されて働く人」と「経営主」の「仕事観」の違い、
「本業とその他」みたいな区別が、ある人とない人のちがい、
単にそれだけのことなんだと気づけたからだ。

気づいたらあとは早い速い!

いろんな人がいる中で、この多様なもので一個成り立っている奇跡の星・地球で
私は何をするか?何をして今日1日を過ごすか?

生きるとは ただ、それだけだ。

本当の居場所=自分が自分らしくなれる場所
だとしたら、

その「生きるを思いっきり感じ切れる場所」が
自分にとっての「本物の居場所」ではないだろうか。

「数字」にとらわれ、惑わされる必要はない。
優先「順位」とか、何番目とか、そんなものはどうでもいい。サードもファーストもセカンドも、
全部ひっくるめて「自分」でしかないし、全部全部、大事なのだから。

私が自分の居場所をつくることが、
BASEの運営で、縁があってBASEにやってくる、BASEとつながってくださる人たちとも、
そんな
思いを共有できたらこんな最高なことはないと思っている。

・・・じゃぁ具体的にBASEでは何をしてるかと言うと・・・

これについては、また後日。。

いただいたサポートは、このnoteのおよび、私が代表をつとめる地域団体「食と農の学び舎BASE」の運営に充てさせていただきます♩