私の心を掴んだ記事。

フォローさせていただいている、にじいろそらさんの記事。


怒りの延長線上には願いや思いがある

っていう言葉が、すごく刺さりまして。

あらためて、
自分なりにイメージをおこしてみました。

イヤイヤ真っ只中の我が子の癇癪…
ついつい 癇癪そのものに、目がいって、「もう!いい加減にしなさーい!」となったり、
うんざりしちゃったり。

でも、根っこには、地下には、
ママにもっと甘えたい、
もっと自分に目を向けて欲しい、
眠い、飽きた、下の子へのジェラシー、

いろーんな気持ちが沸々と、「マグマってる」んだよな。。

そして、
ドッカン煙の向こうには、粉塵やら何やらで
よく見えないけど

ホントは

もっとお母さんと笑顔でいたい
お母さんにハグされたい
なんならお母さん笑って欲しい
お姉ちゃんな私になりたい
泣き虫は卒業したい
ちゃんと幼稚園にいくんだ

とかなんとか「願ってる」かもしれない

…とか考えたら、胸が
キュッとなっちゃう。

そうだよな、
私なんかが思う以上に、
子どもは、
自分自身のなかに
「なりたい自分」描いてるのかもしれない。

それをアシストするのが
私の役目だよなぁ…って。

そんなこと言うと、

"そういう考え方は
自分で自分に「親としてこうあるべきだ、と
呪いをかけている」"

なんて言われたりもするかな?
もしかして。

その方面の話は、すごく深堀りが必要で
また長くなるから別で考えるとして。。


見えない部分に手を当ててみよう

にじいろそらさんの記事から

そんなメッセージを受けとりました。

この場を借りて、
感謝を申し上げます^_^

気づきを
ありがとうございます🌈
にじいろそらさん^_^

いただいたサポートは、このnoteのおよび、私が代表をつとめる地域団体「食と農の学び舎BASE」の運営に充てさせていただきます♩