寄り添う、とは。

先日、長年保育に携わって来ている方とのお話しした時の事を書こうと思う。

悩んだし、私から見た会話になるので
私の考えに偏ったところがあるけれど、
それでも、スッキリしないので吐き出したい。

私は話し始めた2分後から
違和感しか感じなかった。

発達に躓きがあると「よく気付いたね。」とそこから話が始まった。

長男のように言葉が出ない、指差しをしない(共同注意がない)と言う特性があれば
少なからずとも違和感がある。
相談しても様子見、と言われ
先延ばしになる事も多い。
実際に我が家もそう。

そして話の流れで

「あなたが発達障害なんじゃないの?」

おぉ。。。

それは子供の発達のことを考え始めた時から、心の片隅に置いている事なので、驚きこそしないものの、その言葉が支援者側から出た事に驚いた。

そうかもしれないですね、とは返しておいた。

そして私が色々と調べた事、
私の意見に関して

「決めつけから入ってる」

そこはまぁ、致し方ない。

「あなたのように調べている保護者には支援側も、お医者さんも何も言わなくなるよ」

ほ?

この言葉が出る少し前に
まだ診断を受けていない事や
併用と言う形を取るまでの事を話した。
通いながら、相談した上で医療機関での診断をどうするか決める、と話した後だった。

どの家庭もそうだと思うけど
障害の受容はそう簡単ではない。
いろいろ悩み葛藤し、
今も我が家はその渦中にいる。

ここでもう一度言うと
この方は支援者側の人だ。

いえいえ、受けないとは言ってませんよ。
専門家の意見を聞いて、必要なら受けます。と、返しておいた。

「発達に気がかりがあるのに、どうして2人目を産もうと思ったの?興味あるんだけど。」

お????
なんだ?

そういう事を言う人もいるのね。
いわゆる、親亡き後問題的なね…。

事実のみ、答えました。

子供を産めないはずだったのに
2人も授かったので産みました。
ありがたいですよね。と。

実際に2人は私の宝物だ。
宝物の2人のこの先のことは
わからないけど
私が死ぬまで責任を持つし
それぞれに生きる力を身につけさせたい。
私は2人なら出来ると信じてるもの。

この辺から、時々話が入って来なくなりました。

「社会性を身につけて行く事が大事よね」

そうですね。

「就学前、就学してからもいろいろありますよ。いじめとか、不登校とか。」

まぁ、学校も1つだけじゃないんで…。

「変えてそこがダメだったらどうするの?」

支援する側の人が、“この子たちはダメだ”
と言うフィルターをかけている場合、前向きな意見はどうやったって得られない気がしている。

この方からすれば
そこに不安を感じ、自分を縋って来た人を救いたいと思っているのだろうけど。

なぜ、最初からダメだと決めつける?
やってみなきゃわからないし、
やってみてダメなら次に進むだけ。
学校を変えると言う事を安易に考えているわけじゃなく。(子供を守る為の相当な覚悟の上だよね。)

いじめや不登校、起きたときの問題は
発達に問題のある子だけ?

そもそもの“いじめ”が普通にある事だと認識してない?

私たち夫婦は、長男が何も出来ない子だとは思っていない。
むしろ逆で。

なんでも出来る、なんにでもなれると思って育てている。

療育に通わせる前にも何度も夫婦で話したけど
長男が楽しく「できた」「できる」を経験していく環境にしてあげたい。
その上でコミュニケーション能力を獲得していって欲しい。

それでもうまくいかない、問題にぶつかる事は多々ある。
家で注意されることはほぼ毎日だ。

その時に、じゃあどうする?の
カードをたくさん持っておきたい。

(その意味もあってこの方を訪ねたけど、今後この方に頼ることは無いと思う。まぁ、相性の話です。)

あまりマイナスな事は書きたくない。

だけど今回ばかりは、
モヤモヤがはれない。

そうか、療育に通わせるという事は
これから先も
各方面で一定数いる
「自覚のない無知」と向き合わなければならないのか。と思った。

無意識に知らないもの
理解できないものに対して
マイナスイメージを持つことは
自然なことかもしれない。

が、ちょっと納得いかなかった🤣

居場所は自分で作るんだって
長男の好きな歌で言ってたよ。

今日、いろいろ積み重なって泣く私に
「おかあさん疲れたの?泣いちゃダメだよ?」と言ってくれた。

私が泣くから
長男は頑張りすぎるのかもしれないな。
笑っていなければ。

寄り添うつもりで
寄り添われている。

子供は大人が思うよりずっとずっと優秀だ。

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