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TWO

「私、彼氏できたんだ」

 二人で一年ぶりの旅行だった。その帰り道、車を運転しながら花梨《かりん》がそう言ったとき、助手席に座っていた俺の思考が一瞬だけ止まった。一秒とない間だったが、もしその瞬間に弓矢や石礫やミサイルが降ってきたなら何の回避行動もとれずに三途の川の向こう岸送りになっていただろう。
「———いや、おめでとう。それはめでたい」
 まずは祝辞。それが礼儀というものだと俺は知っている。別に、何も悪いことじゃない。彼女が新しい幸せを掴んだことを嘆く理由がどこにあるというのか。
 そもそも俺たちのこの関係自体、今日まで続いてきたことがそもそもおかしかったのかもしれない。
 花梨とはネットゲームの繋がりで知り合った。最初はゲーム用のメッセージ通話アプリでやり取りをしていたのが他のプレイヤーを交えたオフ会で顔を合わせ、お互いそのゲームの熱が冷めた後も数年以上、ダラダラとSNSでテキストベースの交流を続けた。同い年だったから一緒にゲームしていた他の人たちと比べれば話が合ったというのもあるかもしれない。でもそれも頻繁にじゃない。話題が無い時や互いに仕事が忙しい時期は一月以上連絡しないときもあった。互いに住んでいるところは気軽に行けるほどの距離ではなかったから会うとしてもせいぜい年に一度。地方で互いに行きたいイベントがあったりとか、あるいはどちらかが気晴らしで遠出をしたいときに都合のいい道連れが欲しいときとか。
 それだけの、浅くて細くて中身のない関係。互いに互いのことをそこまで大事にもしてなかった。異性として興味もなかった。ただの友人A。あるいは二号。
 そうだと思っていたのに。

 ———どうして、こんなに寂しいんだ。

「てか、彼氏ができたのに俺と旅行来てよかったのか?」
「うん、今回の旅行が決まった後で付き合い始めたし。その辺は向こうにも了解とってあるよ」
「相手とはどこで知り合ったんだ?」
「学生時代の同級生。向こうから告られた」
「ふーん。まぁ、花梨結構モテそうだしな」
「あんたよりはね」
「俺だってモテる」
「へぇそうなんだ~」
 そう勝ち誇るような声色で返事する花梨を他所に、俺は内心かなり動揺していた。花梨に彼氏ができたということは、もう今まで通りの接し方はできない。ネットで知り合った今の俺達には共通の友人と呼べるような存在もいない。
 つまり、花梨とこうして会えるのは、きっと今日が最後だ。
 唐突すぎやしないか。人の関係はこうも簡単に終わるものなのか?別に今までだって疎遠になった知り合いや友人は沢山いる。進級、進学、就職。そんな人生の転機と節目を何度も超えてきたのだから当然だ。いつの間にか去っていくのも友達なのだと、自分は既に理解しているものと思っていたのに。
「だから、二人で一緒に旅行できるのは今回で最後ということで」
「そりゃ残念だ」
「別に、他にも一緒に遊んだり旅行行く友達は沢山いるでしょ?」
「それはそう。でも—――」
 でも花梨との関係は、他の友達とは少し違っていて、特別だったんだ。少なくとも俺にとっては。
 たまにしか話さない、会わない、年一レギュラー出演みたいな友達。でもたまに電話したり会ったりすればまるで昨日も一緒に遊んだみたいなノリで何も気を遣わず楽しく過ごせる。幼稚園や小学校に通っていた頃、特に約束を交わさなくてもクラスメイトと放課後にグラウンドや友達の家に集まってただ無邪気に遊んでいたように。
 そんな相手、そうそう居るもんじゃないんだ。
「———花梨とは、もう少し長い付き合いになると思ってたんだけどな」
 小鳥の鳴き声のようにか細く漏れたその言葉は、果たして花梨の耳に届いていたのだろうか。彼女の返事がなかったのは聞こえなかったからか、それとも聞こえたものの返す言葉がなかったのか。
 頭では分かっていた。お互いにもういい歳なんだから、いずれ花梨にも良い相手が見つかって、結婚して家庭を持てば俺との関係はそこで終わるなんてこと。
 花梨は女で、俺は男。男女の友情なんてそうそう上手くはいかないんだ。たとえ下心や後ろめたい事実が何もなかったとしても。そしてもし本当に俺たちの関係が終わったとしても、自分の心は大して痛まないと思っていた。たまにしか会わない友達の一人や二人いなくなったところで、普段の日常生活に何の影響があるというんだと。

 今になって思う。この曖昧な、けれど小気味いい関係が永遠に続けばいいと願っていたこと。
 俺は花梨のことを、友として心から好きだったということ。

「そろそろ駅に着くよ」
「ん、あぁ」
 頭の中で様々な感情が湧き上がっては消失を繰り返すうちに、彼女との面会時間は残りわずかとなっていた。
「なぁ」
「ん?」
「もし俺が女か、お前が男だったら、俺達もう少し今のままでいられたのかな」
「たらればの話は好きじゃないの、知ってるでしょ?」
「そうだったか?」
「そうだよ。どれだけ長い付き合いだと思ってるの」
「こんな女々しいこと口走るほど、若くはなくなったつもりだったんだけどなぁ」
「昔からあんま変わんないと思うけどな、そういうとこ」
「そうか?」
「そうだよ」
 そんなことを話しているうちに、車が駅前のロータリーに停止する。ここから先、俺と彼女の帰り道は別々になる。まるで俺たちのこの先の人生のようだと、俺はもの悲しい気持ちになった。
 トランクから荷物を引っ張り出して、最後に助手席の窓から彼女に声をかける。
「じゃあありがとう。とても楽しかった」
「バイバイ、さよなら~」
「“さよなら”じゃなくて“またね”って言ってくれよ、嘘でもいいから」
 今生の別れとでもいうように笑いながら別れを告げる彼女に俺は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
 はいはいと、花梨は笑う。
「またね」
「うん、また」
 短い言葉を交わすと、花梨の乗った車は走り去っていった。もしかしたら本当にこれが最後になるかもしれないと、俺はその場から動かずに彼女の車の灯りが見えなくなるまで手を振り続けた。
 『またね』。本当にまた会うことがあるのだろうか。俺は今日、大切な友人を一人失ったのではないだろうか。
 でも、進まないと『また』は来ない。二人の道は交わらない。これから自分が乗る電車の先が、彼女の住む街にも続いているように。
 
 いつの間にか去っていくのが友達だ。
 いつの間にか戻って来るのも友達だ。
 その時は彼女とどんな話をしよう。
 きっと『またね』と、その時も今日と同じ約束をするんだ。

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