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詳説・症拙小説

 部屋に差し込んだ光を感じて、布団の中で伸びをした。目覚ましを止めた記憶はないからまだ鳴る前だろう。寝返りを打った。すると目覚ましが大声を上げた。

「いかん!」

 ぎゃふんと叫んでおれは跳び起きた。

「いかんいかん! 小説を朝目覚めるところから始めるなど許されん」

「なぜです?」

「目覚めは象徴的な始まりであって、小説の始まりが朝からというのは凡庸すぎるからだ」

「そうなんですか。でも『それから』という作品は朝布団の中で主人公が目覚めるところから始まりますよね」

「なんだその小説は。そんな作品は知らん。わたしが知らないような駄作に用はない。目覚めから始まるなどという当たり前の事態はあってはならんのだ」

「そうなんですね。ではどのように始めたら良いでしょう」

「朝じゃなければ夜だ。いいか。歴史と子どもは夜作られるんだぞ。夜から始めろ」

「しかしこの主人公は独身の一人暮らしなんです。子どもを作るあてはないんですが」

「では歴史を作ればいいだろう」

「え。そんな大それたやつじゃないんですよ彼」

「歴史も子どもも作らないような主人公に魅力などない。そんな主人公はやめてしまえ」

「は、はあ。では主人公を変えて夜から始めてみます」


「ただいま」と言っておれは玄関の框を上った。都心の豪奢なビルディングで仕事をしているおれは、築六十年にもなる古いアパートに暮らしている。居間へ入って行くと一緒に暮らしている恋人が言った。

「いかん!」

ぎゃふんと叫んでおれはその場に正座した。

「いかんいかん! 小説を主人公の自己紹介から始めるなど許されん」

「なぜです?」

「主人公というのはその小説を牽引する重要な存在だ。それが自ら自己紹介を始めるなど、ここが始まりですよと言わんばかりだ。そんな捻りのない濫觴など許されんのだ」

「そうなんですか。でも『吾輩は猫である』という小説は猫の自己紹介から始まりますよね」

「なんだその小説は。猫が書いたものなど相手にはしておらん。こちとらは人間様なんだぞ。バカも休み休み言え」

「はあ。文豪の作品だと思ってたんですが」

「文語? 文語の作品など時代遅れのコンコンチキだ。そんなカビの生えたものを有難がっているようだからおまえはダメだと言っているんだ」

「なるほど。精進します」

「ところでおまえ、まさかプロットも立てていなかったりしないだろうな」

「プロットですか。なんとなくは立ててあります」

「いかん!」

 ぎゃふんと叫んでおれは床にひっくり返り、頭から土間へ落ちた。

「ててて」

「プロットは命だ。三幕構成でなければいかん。なぜならヒットする映画はみんなこれだからだ」

「はあ。三幕」

「日本にも序破急という言葉がある。三幕こそ至上なのだからそれ以外は許されん」

「なるほど。だからオバQの髪の毛は三本なんですね」

「そうだ。おまえにしては上出来だ。あれは一本ずつが「序」「破」「Q」を表している」

「そうだったんですね。「オ」「バ」「Q」だと思っていました」

「惜しいな。「Q」だけ正解だ」

「しかしもうすぐ四本目の「シン」が登場するんですが、これはどう考えればいいんでしょう」

「そんなものは無い。序破急は三段で終わりだ。それ以外は蛇足であって見る必要はない」

「え、でも「Q」は明らかに途中みたいなところで終ったんですよ。みんなどうやって終るのか楽しみにしてるんです」

「いらん!」

 おれはぎゃふんを踏みとどまって踏ん張った。屁が出た。

「とにかく小説たるもの、三幕構成でなければならん。主人公は問題を抱えていなければならず、作中で成長を遂げねばならん」

「ねばならんことが多いんですね」

「あたりまえだ。ねばねばだ」

「Never Nevada」

「なにか言ったか」

「いえなにも」

「主人公は冒頭でまさに今のおまえのようにダメなやつである必要がある。シンジ君だってダメダメだっただろう」

「あれはダメダメなんですかね。唐突に使途が襲ってきて実のおやじが妙な手袋をしてたんですよ。誰でもああなりませんか」

「それはおまえが凡人だからだ。しかし小説とは凡人の共感を得なければならない。だから共感を呼ぶ弱いものを主人公にするのだ。そして作中で成長を遂げさせることで更なる共感を呼ぶ」

「でもシンジ君はなんだかんだ、選ばれしサードチルドレンですよ。凡人じゃないのでは」

「屁理屈はいいからさっさと貴様の小説を書け」

「はい、はい。わかりました」


 炎に包まれた隕石は札幌の中心部に落下し、一瞬にして60km四方を灰にした。180万の人間が町と共に消えた。たまたま根室の実家へ戻っていたおれは災厄を免れた。残してきた家族は木っ端みじんになったのだろうか。テレビのニュースを見て呆然としているおれの耳元で父が叫んだ。

「いかん!」

 ぎゃふんと言っておれはテレビに頭から突入した。画面に亀裂が走り、映像は消えた。

「札幌を丸ごと粉砕する隕石が落下したのにテレビが相変わらず放送されているはずはない」

「はあ。主人公に問題を抱えさせようと思ったんですが」

「主人公一人が偶然実家に居て難を逃れるなどご都合主義も甚だしい。お膳立てのために適当な設定を作ってはならん。それに考証はいったいどうなっている。どの程度の隕石がどこに落下すればどういった結論を招くのか、ちゃんとシミュレーションしたのか」

「いえ。なにしろ今言われてとっさに書いただけですから」

「ばかもん! そんな安易な書き方をしてはならん」

「はい。それについてはおっしゃる通りと思います。やりなおします」


 細く切られた扉が開き、トレーが差し入れられた。食事だ。窓のない独房に食事だけが出入りする。看守はいやな男だ。囚人どもを口ぎたなく罵り、いつもふんぞり返っている。少しでも逆らおうものなら見せしめとして皆の前で鞭打ちを食らう。横暴にふるまっているくせに重そうな防弾ベストやプロテクターを身につけていつでも重装備だった。

「おい、飯は食ったか」

「ああ」

「ああじゃない、はいだろ」

「はい」

「態度に気を付けろよ。規則も守れ。わかっているだろうが貴様らに自由など無いからな」

「はい」

おれは従順に従った。看守がおれを睨みつける。

「いかん!」

 その言葉を予期していたおれは看守を睨み返した。

「副詞は徹底的に排除しろ。「おれは従順に従った」の「従順に」は不要だ。形容詞も極力減らせ。すべては描写で表現しろ。わかったか。そぎ落とすんだ。そぎ落」

 おれと看守の間にあった鉄格子が飴のように融け始めた。看守は釣り上げた金魚みたいに声もなく口を動かしている。おれと看守を隔てるものはなくなった。おれが独房から一歩踏み出すと足下から光が広がり、あたりは見わたすかぎりの砂漠になった。

 目の前のさっきまで看守だった男は目を見開いてあたりを見回しながら、足下から砂に沈み始めた。

「重そうですね、それ」

 男は何事か叫んでいるようだったけれど何も聞こえなかった。砂地が波打って海になった。

 男は沈んだ。

 おーっほっほっほっほ。おれは高らかに朗らかに健やかに笑った。

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