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あえて今 フォークの精神を

 ゴキゲンで歌っていた。さっき。夕食を作るのにつかったフライパンをタワシでこすりながら、その時思い浮かんだ歌を熱唱する。日課だ。歌う歌は新旧洋邦問わず、ジャンルも問わず。歌謡曲からメタルまで幅広い。

 今夜歌っていたのは、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」。

 この歌、今まであまり意識していなかったのだけれど、あまりにも暗い歌詞であった。

悩みつづけた日々が
まるで嘘のように
忘れられる時が

 うんうん。いいよね。悩みつづけた日々が嘘のように忘れられる時、その時が楽しみですね。

来るまで心を閉じたまま
暮らしてゆこう

 げ。閉じちゃうの? 心…。忘れられる時まで心は閉ざしてしまうのです。

遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で

 はい。一番が終了…。悩みつづけた日々を忘れられる日まで、何もいいことがなかったこの街で、心を閉じて暮らしてゆくのだそう…。なんというこの絶望感。これ、こんな歌だったのか…。

 そして二番。少し、希望が見えるといいな…。

俺を見捨てた女を
恨んで生きるより
幼い心に秘めた
むなしい涙の捨て場所を
さがしてみたい

 見捨てた女を恨まないのはいいと思うよ。でもむなしい涙の捨て場所…。

 このあとはサビなんですよ。

遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で

 ああああ。何もいいことがなかったのか…。この街。それでもここで生きていくんだ。

 三番。

せめて一夜の夢と
泣いて泣き明かして

 なんてつらいんだ…。

自分の言葉に嘘は
つくまい人を裏切るまい

 どんなにつらくても自分を欺かず、人を裏切らない。恨みもしない。ああ。誰か彼に希望を…。希望を与えてください。

生きてゆきたい
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で

 この遠くの汽笛というのが、はるかな未知の世界を暗示させる。もっと開けた世界へと旅立つ象徴としての汽笛。でもそれはあくまで「遠く」に聞こえている。そして自分は「何もいいことがなかった」この街から出られない。

 強く前向きな意思で「生きてゆきたい」と言っているけれど、希望のようなものはほとんど感じられない。なんということだ、こんな歌詞だったのか。

 そして、この曲はフォークソングっぽくはないけれど、アリスといえばやはりフォークの精神を受け継ぎつつ、新しいサウンドをやったグループであったということに思い至る。それを「ニューミュージック」と呼んだわけだ、当時。

 今、つらい、悲しい、哀しい、悔しいといった感情は、そんなひどいことがあった、でも明日は明るい、みたいな歌になりがちだ。しかしフォークソングは哀愁の中で完結する。明るい明日を見るのではなく、悲哀の中にわずかな何かを見出して、それを支えに生きていくという精神性だ。

 そう考えると、この「遠くで汽笛を聞きながら」にある希望は「汽笛」それだけではなかろうか。遠くで聞こえる、自分には関係のない汽笛。それがどこかへつながっている。自分には関係ないけど。

 その汽笛がいつか自分をどこかへ運んでくれる、という歌ではないわけだ。自分はあくまで何もいいことがない街で生きていく。汽笛は聞くだけ。

 この感覚は、1970年代ぐらいまででなくなったものなのではないだろうか。70年代には、アイドル歌手であった山口百恵が、フォーク畠のさだまさしの手になる「秋桜」を歌ったりしていた。「秋桜」もまたすごい。

 一番のサビ後半。

明日嫁ぐ私に苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと 笑った

 これは明日結婚するという娘に、縁側で母がかけた言葉だ。今から半世紀ほど前、この歌を若いスターが歌っていたのである。「秋桜」の歌詞など、ほとんど戦地へ赴く兵士を見送るような内容で、この当時嫁に行くということは幸せの象徴でもなんでもなく、死にに行くのと同義であったのかもしれないとさえ感じる。

 急に、フォークソングの精神性って今の歌にはほとんど残っておらず、我々の日常にも残っていないのだなと思った。歌それ自体は名曲として残っているけれど、もはやその歌が持っていた時代性のようなものはすっかり脱臭されている。フォークはもともと反戦の精神から出てきた音楽だが、日本ではとくに詞の名手たちによって戦後復興期をひたむきに生きた若者たちの悲哀を映し出すものとなったのかもしれない。

「遠くで汽笛を聞きながら」が思った以上に暗い歌だったという気付きから、その時代のいくつかの楽曲を思い出してみて、どれもこれも真っ暗で、ほんのわずかな何かにしがみつくようにして前を向こうとしていることに気づいた。

 80年代に入るとフォークソングは姿を消し、急に明るい歌が増える。1980年に山口百恵が去って松田聖子が登場する。

 妙に納得する。なるほどなあ。

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