[映画]ブルーベルベット

 今夜のU-NEXTは『ブルーベルベット』。1986年の、デビッド・リンチ監督の作品だ。

 デビッド・リンチ監督のその後の入り組んだ作品群からすると大変わかりやすいストーリー。少なくとも、見終えて「なんだったのかわからない」ということはおそらくない。今となっては、デビッド・リンチがこんな作品を撮っていたこともあるのだなあという、ほとんど歴史上の作品だ。

 よく物語は起承転結というようなことが言われるけれど、この作品は「起」の破壊力が巨大。作品のテーマとなっているメロウな歌が流れ、あたたかな映像がスローモーションで流れる。そこからわずか数分で、主人公が人間の耳を拾うという衝撃のシーンへと落下する。この急降下ぶりはものすごい。一気に事件のど真ん中へ踏み込んだ主人公は、少々行き過ぎた行動をとる。本来ならここまでの間にこの主人公がどういう人物かを見せて、この行動に説得力を持たせたりするのだろう。起承転結の起にはそういう意味があるはずだ。ところがこの作品はそういうものをすっ飛ばしていきなり主人公が動き出す。この主人公はこういうやつなの、文句ある? というスタンス。少々強引な展開なのに、やはり「人間の耳を拾う」という事件のインパクトが強すぎて、もうこちらは見せられるものをただ追うしかない。

 ストーリーはわかりやすいけれど、そういう意味でこれは客に迎合したエンタテイメントではない。監督はその強力な作家性で観客を引っ張る。これがおれのやり方だと言わんばかりに。

 主人公は切り離された耳の事件を自力で捜査し始める。これはサスペンスかと思わせるけれど、そこはデビッド・リンチ。ただのサスペンスではない。濃密かつぎりぎりの世界が展開する。緊張感がまったく緩むことなく、ラストまで引っ張っていく。

 そういう意味で、この作品は見るのに体力を要する。次から次へと違ったタイプの緊張が訪れる。あらゆるシーンが濃密だ。登場人物はもっとも一般的な主人公を中心に、正気と狂気の境界でぎりぎり正気を保っているような人物、完全に向こう側の人物、ズレかたがユニークで読めない人物など、振れ幅が広い。暴力もセックスも変態行為も冷めた目線で描き、ひたすら乾いている。

 クライマックスではリンチ監督らしい色使いで、リアリティよりも色彩を優先した絵作りがされる。ストーリーこそわかりやすいけれど、これはまぎれもなくデビッド・リンチ作品だ。ピーキーでぎりぎりの、日本刀の刃の上を歩いているような作品である。

 病のように、身体のどこか奥底のほうに沁み込む映画だ。もう、これを見るまえのわたしには戻れない。

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