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五七五 語呂が良ければ すべてよし

 今日、川柳をいくつか書いた。どこにだ、と言うと、note のリアクションに。具体的には、フォローしてくれた時のお礼メッセージと、スキのお礼メッセージに。これまで当たり障りのないお礼メッセージになっていたのだけれど、ちょっと川柳でも書いてみるかと、思ったのです。どちらかというと、ふざけ気味のやつを。

 わたし、小説なんてものを書いているけれど、文学というものに興味を持ち始めたのは比較的最近なのです。そもそも小説を書き始めたのもここ三年ぐらいで、文芸誌を読み始めたのも同じぐらい。わたしは大学へは行っていないから学業を修めた最終は高校で、高校の国語は、現代文はある程度良い成績を修めたけれど、古文や漢文はさっぱりだった。俳句や短歌もまともに詠んだことはなく、詩も、たしか小学校のころになにか賞をもらったことがあるけれど、それ以来一つも書いてこなかった。要するに、文学的にはスカスカなのです。

 先日、Muse杯に「永遠へのカウントダウン」という散文詩のようなものを書いたけれど、あれは自由詩で、一応形式らしきものはあるけれど韻は踏んでいないし、詩と言うよりも限りなく言葉遊びに近い。ああいう言葉遊びっぽいことは小説の中でもたまにやっていて(小説には形式が無く、なにをやっても良いから)、あの作品はその延長のようなものだった。

 五七五のリズムを持つけれど季語を含まなくても良いのが川柳、だと思っているのだけどこの解釈で正しいのかしら。わたしの解釈としては、五七五というリズムの文芸という集合の中に、さらに「季語」という縛りのある部分集合として「俳句」がある、というイメージなのだけれど、その集合全体が「川柳」なのか、その集合のうち「俳句」でないものの集合が「川柳」なのかがいまいちよくわからない。

 …なんてわかりにくい文章を書いているんだわたしは。集合に例えたらわかりやすいかなと思ったら異様にわかりにくくなった。つまり、「川柳」という言葉の中に「俳句」は含まれるのか、ということを今考えていたのであります。

 ひとまずどちらでもよろしい。今回私が書いたのは、季語の無いもの。五七五の集合のうち「俳句」でないものに相当するものを書いた。中にはアルファベットのものもあり、だいぶ緩いルールでなんでも許容して書いてみた。

 これが、非常に楽しかったんですね、自分でも少々意外なことに。なんだわたし川柳好きなんじゃん、と思った。短歌もやってみたいなと思うのだけれど、いやもうね、わたしのフォロイー(わたしがフォローしている相手)さんたちに上手い人がいるわけですね。ああいうのちょっとやそっとでは書けんぞと。そもそも短歌なんて読んだ(詠むほうではなく)こともほとんどないぞと。

 でも俳句や川柳、短歌といった「音」を制限された(制限されたのが「字」ではないところが重要だと感じる)文芸に挑戦することで見えてくることがいろいろありそうな気がしている。今のところ。

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