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106ページ3行目 まとめ その1

 Twitter で面白そうなタグが回ってきた。仲良くしているニツカちゃんがこのようなツイートを。

 一目見て、面白い!と思った。何が面白いってもちろん、「106ページ3行目」という「わからなさ」。106ページの3行目にいったいなにがあるというのか。ちょっと思い出してみてほしい。何度も読んでいる大好きな本。106ページの3行目に何が書いてあるか。

 そんなのわかる人がいたらすごいを通り越してちょっと怖い。最初の一行とか、末尾の一行などは割と覚えていたりするかもしれないけれど、106ページ3行目はあまりにも根拠が無くてわからない。この面白さはタダゴトではないと思って、普段あまりこういう「いいねの数だけ何か」というのには参加しないのだけれど、今回はやってみることにした。

 このような募集ツイートを投げ、一応期間を区切って「いいね」を募集。まぁ私のツイッター使用感から言っていいとこ15ぐらいかな、と見積もりつつ待ってみる。最終的に、14日夜の時点で23になった。ちょっと予想よりも多かった。押してくれた皆さん、ありがとうございます!

 では、上記のスレッドにぶら下げた23冊分の「106ページ3行目」を眺めてみましょう。ツイートでは引用のみを出して後でまとめのnote(これ)を書いて引用元を紹介する、という形にしました。このnoteへのリンクを上記スレッドの末尾に足して完結としたいと思います。

1冊目

 これ。ジャスティンが手がかりになりそうだけれど、ジャスティンはそれほど珍しい名前じゃないので難しい。しかも「二人のギー」とはいったいなんだ。もちろん106ページ3行目は4行目に繋がっているわけで、文の途中で改行されているわけだが、この一行だけでなんの作品か当てるのは至難の業のような気がする。

 これの引用元はこちら。

『ブリーディング・エッジ/トマス・ピンチョン』

 驚異の小説家による驚異的な小説。ディテールを積み上げることで世界を生み出すという手法は映像でも文章でもよくあるわけだが、ピンチョンのそれはあまりにも詳細に渡り、リアリティが異常に高い。しかも、本人はどの作品の舞台になった場所にも行ったことがないのだという。(作品によっては時代的に自身が存在しえないものもあり、その想像力の詳細さたるや不気味なほど)
 何も起こらなくてもその場を緻密に描写すればそれは小説たり得る、ということをピンチョンから学んだ。『ブリーディング・エッジ』はその極限みたいな作品で、ちょうどこの時代にわたし自身が生きていたために、他の作品以上に異様なリアリティを感じることができた。

2冊目

 これの引用元はこちら

『私はすでに死んでいる/アニル・アナンサスワーミー』

 この本は書店で偶然見つけて天啓を受けたように買い、読んでみて唖然とした。簡単に言うと、例えば「自分には右腕がない」と思い込んでいる人が、実際には存在している右腕に違和感を覚え、日常生活もままならない状態になってしまう。そのような人の該当部位を、いろいろと理由を偽装して手術によって切除してくれる医者がいる、というような話。これは実話で、心と体の違和として、性的違和と並んで存在している症状なのだ。

 後天的に四肢を切除した人が、存在しないはずの四肢の痒みを感じたりする、という現象が知られているが、実際にはある部位を無いと認識する状態はその逆の現象と言えそうだ。

 実は私は日頃から脳と身体の関係についてあれこれ考えていて、その部分をテーマにしたSFを書いたりもしている。構想として、認知している身体と実際の身体にズレがあり、自分の体のある部位を意識下に置けない、という人物を考えていた。まさにそれに似た状態にちゃんと病名があり、医学的に研究されているということを、わたしはこの本で知った。はまり込んで一気に読んだ。

 この本では、健康な状態で持っていた腕に違和感を覚え、それを切断することで安心を得た人物の実際のところが紹介されている。本人にとっては、健康で正常な腕を持っていることこそが不完全な状態だった。五体満足とはいったいなんだろうということを考えさせられる。片腕を切断することで自分としての「完全」を手に入れた人にとって、腕のない状態こそが「満足」なのである。この本は本当に目の覚めるような驚きだった。

3冊目

 これの引用元はこちら。

『U&I/ニコルソン・ベイカー』

 これはニコルソン・ベイカーがジョン・アップダイクについて語る、という体裁のエッセイ。引用部分にある「強迫観念の等級表」というワードの力がものすごい。ベイカーと言えば一風変わった小説の作家として有名で、わたしはかなり強く影響を受けているのだが、ベイカーのエッセイというのは特に邦訳では珍しく、この本はちょっと特殊ではあるものの実に興味深い。ベイカーという人がどういう人なのかが垣間見られる。おおよそ想像通りの人物でますます好きになった。

4冊目

 後で気づいて補足したけれど、この引用は間違っていて、本来は「ラザレット通り」とカタカナです。申し訳ない。
 これの引用元はこちら。

『こころの旅/須賀敦子』

 何度か紹介しているけれど、わたしが思う、美しい日本語の文章と言えば筆頭がこの人なんですね。須賀敦子さんの文章は本当に美しいと感じる。あぁ文章がうまいというのはこういうことを言うのか、と読みながら何度も思った。
 同時に、これも何度か書いているけれど、須賀敦子さんのような文章を美しい文章と感じるけれど、自分がこういう文章を書きたいとはあまり思わない。わたしにとってこれは心地よく読んでいたい文章だけれど、目指すべきものではないと感じている。たいした根拠はないのだけれど。

5冊目

 ツイッターでも書いたけれど、今回紹介した23冊の中で、これがもっともわかりやすいだろう。106ページ3行目がどうとかいうことは除いても、メモ用紙と三角定規がやり取りするような小説はそうそうない。もちろん引用元はこれ。

『虚航船団/筒井康隆』

 文房具によるスペースオペラという奇想天外なお話『虚航船団』。読んだことがあるという人は少なくないだろうが、この単行本で読んだことがある人は今となっては少ないのではなかろうか。なお、わたしの持っているこれは完全に偶然だけれどなんと初版である。
 「爆笑の純文学」というものすごい文言が帯に踊っている。「爆笑」と「純文学」の相性の悪さが強烈。わたしの書いているあらゆる文章はおそらく筒井康隆の影響を受けている。特に小説については小説との向き合い方そのものについて、わたしは筒井翁の影響を受けまくっていると思う。いつだったかもう遠い昔、最初の一篇を読んでしまったときに大げさではなくたぶん人生が変わった。齢80を過ぎてもまったく衰える気配さえないその圧倒的な文章に、わたしは今も驚かされ続けている。

6冊目

 これの引用元はこちら。

『サピエンス前戯/木下古栗』

 タイトル勝ち。もうこれ、手に取らないという選択肢が無い。「なんだよこれ」とツッコミながら手に取り、読んでしまったら「この作家の他の作品をよこせ」という気分になる。そしてあっという間に、販売されている作品が全部手元に揃ってしまった。木下古栗ファンのことを「フルクリスト」というらしい。わたしもあっという間にフルクリストである。
 この作品には「長編」が3本収録されている。もちろん単行本1冊に3本入っているのでそれは「長編」なのか?という話はあるのだが、それも含めて表現であろう。どの作品もすべてバカバカしいアイデアをアホほど全力で追及していて、行ききっているせいでどんなに下品でも高尚にさえ感じるという世界なのだ。もうわたしの評価軸自体がどこか異次元に飲まれている可能性もある。キャラクターの設定からしてぶっ飛んでいて大変すごい。
 なお、タイトルから想像できる通り、全編下ネタ満載なのでその辺に拒否反応のある人は要注意です。(そういう人が「前戯」とついたタイトルの本を買うことは無いだろうが…)

7冊目

 これの引用元はこちら。

『心の進化を解明する/ダニエル・C・デネット』

 認知科学方面の本としてよく読んでいるダニエル・デネットの比較的新しい著書。彼の過去の著作もいくつか読んできていて、これはその道筋の集大成的な作品なので、復習の意味も含めて読んでいる。なお今回紹介した23冊のうちこの本だけが未読了。今読んでいるところです。
 AI の研究を通して人は改めて「人間とはなにか」「心とはなにか」「意識とはなにか」というトピックと向き合っているため、そういった方向の著作が多数世に出てくるようになり、また海外の著書もどんどん翻訳されて手に入りやすくなっているのが嬉しい。この種のデネットの本は、どの作品を書くときに参考にした、といったことは無いのだけれど、わたしの書いているものの大部分に影響を与えているのは間違いない。参考文献として参照はしていないものの、おそらくデネットの著作を読んでいなかったらそもそも書こうとすら思っていなかった作品は多いような気がする。

8冊目

 これの引用元はこちら。

『日々雑記/武田百合子』

 これは今回の23冊の中で、おそらくもっともフォロワーさんにおすすめしやすい作品。これを気に入る人は多そう。これはいわゆる日記文学のような作品で、日常のあれこれを個人的な日記のように書き綴ってある。その文章が実に素晴らしく、風変りな人物の描写なども絶妙な距離感でされていく。須賀敦子さんとはまた違った方向に、わたしにとっての「良い文章」がここにある。

9冊目

 これの引用元はこちら。

『マイナス・ゼロ/広瀬正』

 時間SF作品で、初見時に大きな驚きを感じた作品。時間SFで大きなトリックがあるのでネタバレ的に何も言えないのだけれど、ライトな文体のSF作品が好きな人(平たく言うと星新一みたいなのが好きな人)にはぜひおすすめしたい作品。広瀬正は若くして亡くなったので作品数こそ少ないもののの、長らく絶版だったこの全集が今は文庫になっているので、広く手に取られやすくはなったような気がする。

10冊目

 これの引用元はこちら。

『心を操る寄生生物/キャスリン・マコーリフ』

 この分野も大好き。この分野は「自由意志」というのは本当に「自由」なのか、というような話を追っていて辿り着いた領域で、実は体内の微生物に左右されている部分があるという興味深いお話。「選択」が様々な要素に左右されていて、自分の意思で選んでいると思っているものが実はけっこう他の要因で操作されているという話はいろいろあるのだけれど、その中で最も驚きがあったのがこの微生物の領域。これはまだ自分の作品に持ち込めるほど理解できていないのだけれど、この本を読んだことで得た着想から思いついた話は一本温めている。

11冊目

 これの引用元はこちら。

『少女地獄/夢野久作』

 『ドグラ・マグラ』で有名な夢野久作の作品なのだけれど、わたしはどちらかというとこの『少女地獄』の方が好き。文章の濃密さが大変なことになっていて、いわゆる「良い文章」というものとは全く違うような気がするけれど、このべったりと脳裡に残っていくような文章はとても好き。どちらかというとわたしが書きたいのはいわゆる良い文章ではなくこういうものなんですよね。直接夢野久作みたいなものを書きたいとはあまり思わないのだけれど、こういう残り方をするものを書きたいとは思う。

12冊目

 106ページ3行目がこの「本棚が縮むか?」という文だったときニヤニヤしてしまった。というより、この人の本をどれか紹介しようと思っていくつも開き、一番おもしろい106ページ3行目のものを紹介したというのが実態なんですがね。これの引用元はこちら。

『紳士の言い逃れ/土屋賢二』

 土屋賢二先生のエッセイ。シリーズで大量に出ているけれど、どれも基本的に同じなのでどれを読んでも良いし、よほど好きでない限り端から全部読むことはないだろうと思う。わたしはとりあえずほとんど全部読んだし持っている上に、何度も読んでいる。ただ、あのエピソードがどの本に書かれていたか、といったことはわからないし、わからなくて困ったこともない。とりあえずどれか開いてみれば土屋節が満載で満足できる。偉大なるワンパターン。大好き。
 なお、土屋賢二先生は大学の哲学の先生であり、哲学の専門家である。先生のエッセイを読むと、哲学というのは屁理屈であるということがよくわかる。哲学的視点の根っこには屁理屈があり、なんにでも屁理屈をこねてみると世界が違って見えるということを学んだ。物事の見方という意味で、わたしはたぶん土屋賢二先生の影響をけっこう受けていると思う。

13冊目

 これの引用元はこちら。

『少年アリス/長野まゆみ』

 今のわたしの作風からすると「長野まゆみ好き」って言ってもあまり信ぴょう性が無いような気がするが、実はかなり好きで、ほとんどの作品を単行本で持っている。『少年アリス』は長野まゆみのデビュー作で、のちに文章を一新した新版が出ているけれど、圧倒的に元のものの方が良い。というより長野まゆみワールドを愛好している人はこの最初の『少年アリス』が好きなんだよ。稲垣足穂、宮沢賢治的耽美世界の文章で、確かにご本人がこれを「若気の至り」と感じ始めて別の表現にシフトしていったのは理解できる。でもファンが好きなのは昔の作風なのだ。そういうことは往々にしてあるよなぁと感じる。この作品は何度読んでも「やっぱり好きだな」と感じる。

14冊目

 これの引用元はこちら。

『中二階/ニコルソン・ベイカー』

 3冊目でも紹介したニコルソン・ベイカーの小説作品。初めて読んだニコルソン・ベイカーがこれだったのだけれど、これを読んだときの衝撃は忘れられない。まさに、求めていた小説はこれだ、とさえ思った。
 前にどこかで映像の演出について書いたときに、時間の操作について書いたことがある。編集された映像は基本的に実時間よりも映像の時間の方が短く、一般的な映画は上映時間よりも作中で流れる時間の方が長い。文章も同じで、一般には時間が短縮されていて、場面転換等で大胆に時間や距離がジャンプすることが多い。しかしこの作品は逆に伸長されていて、エスカレーターに乗っているわずかな時間に頭の中で展開する「考え事」を異様な執着で描写した文章になっている。こんな方法があったのかと衝撃を受けた。

15冊目

 これの引用元はこちら。

『イヴの末裔たちの明日/松崎有理』

 理系の研究者から小説家になった松崎有理の短編集。サイエンスのブレンド率が絶妙で読みやすいのにちゃんとサイエンス。実はこういうバランス感覚のSF作家って珍しい。デビュー作『あがり』で衝撃を受けてそれから著書をどんどん買い足してしまった作家。こういう感じのものも書いてみたいという思いはあるのだけれど、如何せんわたしは大学に行ったことが無いのでキャンパスライフも研究者の日常も何一つわからない。この領域の話は逆立ちしても書けないため、単なるファンとしてどっぷりと読んでいる。


 思ったよりもはるかに多くて書き終わらないため、いったんこの辺で公開し、16冊目~23冊目は後編として次のエントリとして書きますね。

つづく!

※追記
続きはこちら!


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