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私的Muse杯 ~Muse杯の余韻に浸って

 終わりましたね。ナイトソングスミューズコンテスト。まさに真夏の夜の夢。妖精パックが軽やかな足どりで跳びまわり、それに惹かれるようにミューズたちが舞い降りる。

 結果発表はこちらです。

涼雨的Muse作品紹介

 ここでは私が個人的に好きな作品を五つ、紹介したいと思います。

『Tiny Muse』/猫野サラさん

 見終えた直後にサポートボタンを押しました。大好きです。初見時、言葉を失いました。自分からまったく言葉が出なくなって、もう一度見直してみたら、作中にも言葉がなかった。ああ、幾千の言葉を振り回すよりもずっと強い。創作の中にミューズはいた。真摯に創作へ向き合う人に、ミューズは微笑んでくれる。まさにこのコンテストに込められた思いも願いも全部表現されている。

 わたしの中に、「これだ」という声が響きました。自分の中で形を持てずにいたミューズというものがここに描いてあると思ったのです。本当にもう、語るべき言葉は一つもなくて、なにを言ってもウソのようで、ここに答えがあったと感じました。

【紙コップ・影絵】彗星の尾っぽをつかまえにいこう/池松潤さん

 アイデアと仕上がりの見事さ。こんなに身近なもので、こんなに暖かい表現ができるなんて、という驚きに満ちていました。しかも、これを作品として提示するのではなく、これ作り方、遊び方を紹介した記事なんですね。作品としての芸術性も高くていくらでも雰囲気のある作品になりそうなのに、こういう形での参加。まさに、これを見て「自分も作ってみよう」と思える。ああ、そういうことを目指していたよこのコンテストは、と思いました。これを見て、紙コップ今まで見くびっててゴメン、って思いました。

明かりを灯して/心音さん

 やさしい感触なのに、わずかに壊れそうな、こぼれそうな、ちくっとするものを感じる詩。するすると読んだのにチクリと引っかかる。

 これを書かれた心音さんという方は、今回このMuse杯で初めて知りました。心音さんはたくさんの作品をMuse杯に投稿され、わたしはこのMuse杯を機に心音さんをフォローしました。そしてその後投稿された作品を読んでいたら、「True Heart」というシリーズに出会いました。

 このシリーズを読んで、「明かりを灯して」のチクリの正体がわかりました。わたしが感じたようなものよりもはるかに大きなものがあり、それを越えられてあの作品につながっていたのだと感じました。わずかな言葉の奥に、その人の深さが秘められている。だからなにげない言葉でも深く刺さるようなものを書けるのでしょう。

青/たなかともこ@みかんせい人さん

 これはドンピシャでした。大好き。ビビッと来ちゃう一目惚れという現象に、なにかSF的な裏話を盛るというお話が好きです。『君の名は』なんかもまさにそうですよね。この作品もSFの大掛かりな話を一目惚れに着地させる手腕が見事で、SF部分の柔らかい語りもステキ。最高では…。そしてともこさんこんなのも書けるんですね、という驚きもありました。

いつか会うまでこの世界で/千ちゃんさん

 千ちゃん「さん」ってなんか妙ではありますが。詩の作品かと思いきや、詩と写真の合わせ技。かたちのないものを詩に描き、形あるものを写真にしてその向こうに「かたちのないなにか」を感じさせる。写真は命に満ちた土と緑の世界から宇宙へとつながる空に離陸していく。確かなものたちの営みと命の循環を手伝う空と雲、その先には深く濃い空、そして宙。

 そしてこの作品の後に書かれた確かな決意。

 ああ、この思いがあの作品にも、きっとこもっていたのだろうな。千ちゃんはMuse杯のまとめ記事で、すべての作品に美しいコメントを書いてくれていました。千ちゃんのコメントを読んで見に行った作品が、いくつもありました。

終わってみての思い

 ナイトソングスミューズ。本当に類まれな企画だったと思います。そもそもの「ある楽曲を聞いて、それにインスパイアされて何かを作ろう」というのが面白かった。さまざまな表現者たちが、ある共通の曲を聴いて何かを作る。その共通点が面白かったし、出てきた作品を見て楽曲を作られた広沢さんまでが作品を投稿されたのも面白かった。まさに創作が連鎖している様を日々感じることができた。わたしも当初一作のみのつもりだったのに、連日投稿される作品を見ているうちにもう一つ作りたくなった。

 一つ目の作品は楽曲に影響されて書かれたものだったけれど、二つ目の作品はそれまでに見せてもらった参加作品に影響されて書いたものだ。まさにミューズは跳びまわっていた。

 自分的には反省もいろいろあった。改めて言葉というものについて考えるきっかけになった。

 それまでに生きてきた命の重さのこもった言葉を書ける人がいたり、言葉を使わずに詩のような読後感(それを読んだと呼ぶのかはわからないけれど)を残せる人がいたり、映像によって歌自体の響き方を変えて見せる人がいたりした。

 わたしはどうも小手先で言葉を弄んだだけなのではないかという気がした。真摯に言葉と向き合っていただろうか。歌と向き合う覚悟を持っていただろうか。わたしのしたことに、不足はなかっただろうか。

 今回は、書いているときは自分なりに尽力したつもりではあった。決して安易に書いたものではない、はずだった。でもどうも、わたしが並べた言葉は単に言葉が並んでいるだけで、その後ろに命が乗っていないというか、切実さが無いし血が通っていない。薄っぺらい気がする。これは先日書いた「恋愛がわからない」話にも通じていて、わたしは人間がわかっていないのではないかという不安が出てきている。

 これが今後の課題になってくるのではないかと思う。そういうものを見つけられたことも、Muse杯に参加して得られた大きなことでした。

 参加して良かったです。これからまだ参加作品を読み進めていって、ミューズの声に耳を傾けたいと思います。

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