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鈴木さんの珈琲

 むかし、と書き出してみて、むかしとはいったいどのぐらい前のことを指すのだろうと手が止まってしまった。むかし。それが少なくとも過去を指す言葉であるということぐらいはわかる。でも「むかしレーザーディスクっていうメディアがあってね」というのと、「むかし地球には恐竜ってのがいてね」というのが同じ「むかし」でいいのだろうかと考えると、むかしの懐の深さに感心しながら、ちょっぴり呆れる。

 さて、その「むかし」だ。わたしが大人の入り口に立つ程度には成長していたぐらいのむかしだから、レーザーディスクよりももっと近いむかし。あるところに、なんだろうなこの昔話の定型みたいな入りは。でも某所。どこだかはっきりしない場所。或る、ところ。その店があった。今思うと夢か幻か、はっきりと現実であったはずなのに思い出の中であいまいににじんでいるような、その店があった。

 神奈川県の南の方だったと記憶している。国道246号線を南下して、どこからか側道へ降りてどこかの駅へ向かうと、駅前の繁華街と静かな住宅街の境界のようなところに、ひっそりとその店は建っていた。

 コンクリート製の菱餅のような建物だった。いや、ショートケーキのような形だったかもしれない。あるいはまったくの記憶違いで、普通の直方体だったのかもしれない。コンクリートの塊の道路に面した面にすっと切り込みを入れたような扉がある。扉は人が出入りするものにしては高さがあまりに低く、普通の大人なら腰をかがめなければ通れない。コンクリート打ちっぱなしみたいな壁に切られた不自然に低い扉はわずかに開いていて、中からあたたかな灯りが通りに漏れていた。扉の前には「鈴木」と書かれた表札がかけられている。

 普通、店舗の場合、屋号を掲げたものであればそれは看板であり、表札とは呼ばないだろう。でもその店では表札と称した方が良さそうなものだった。しかも「鈴木」なのだ。

 ここまで書いて疑問がわいた。なぜ私は、それが店であるとわかったのだろう。思い出しながらその様子を書いてみたのだけれど、明らかにそれは「おしゃれな鈴木さんの家」ではないか。

 私がどうしてその店を知ったのか。あるいは見つけたのか。定かではない。おそらく当時交際していた年上の異性が、誘ってくれたのだと思う。細く開いた鈴木さんの低い扉を開けて腰をかがめ、暖かい灯りの中へしみこむ。分け入るのではなく、しみこんでいくような気分だった。

 中に入ると奥に向かって長い長方形のテーブルを囲むように椅子が並んでいて、その奥には金色に輝く不思議な機械が鎮座していた。室内の灯りを受けて柔らかく光るその金の反射を全部吸い尽くすような黒のベストを着た男性が、機械の向こう側から会釈する。

 私たちは、そう、私と当時交際していた人と二人だったはずだ。私たちは長いテーブルに沿って奥の機械の前を通り、再びテーブルの向こう側の辺に沿って入口の傍の椅子に腰を下ろした。

 あれは何時ごろだったのだろう。だいぶ夜が深まってからだったように思う。客が10人も入れば満席になるような小さな店で、いつも七割ぐらい席は埋まっていた。どんなメニューがあったのか、覚えていない。珈琲を出す店だった。後になって知ったのだけれど、あの金色に輝く不思議な機械は珈琲豆を焙煎する機械だったようだ。焙煎機はいくつも見たことがあったけれど、スチームパンクの世界から出てきたようなその店にあったタイプは、今に至るも他では見たことがない。

 その店の記憶は何もかも曖昧なのに、珈琲が信じられないほどおいしかったことだけは覚えている。その後私は自家焙煎の珈琲屋をめぐっては豆を買い求めたり、生豆を買ってきて自分で焙煎してみたり、淹れ方もあれこれ工夫してみたり、珈琲店のセミナーに参加してみたりして珈琲にこだわっているけれど、あの「鈴木」の珈琲には遠く及ばない。他のどこでも味わったことのない味だった。

 私たちはそこで緩やかな時間をすごした。店の空気に誘われて心なしか自分の話し方まで妙に落ち着いているような気がした。当時の私などまだまだ若造だったのに、円熟のロバート・デ・ニーロにでもなったような気分でゆっくりと、普段よりも低い声で話したような気がする。

 夜も深まってから出かけて行き、細く低い扉から漏れる光の中へとしみこむ。夜は歩みを緩めて私たちを別の時間へと誘う。夢のような深い珈琲の味と香りに溶かされ、しばし世界から遠ざかる。

 「鈴木」はそういう店だった。どこにあったのか。今もあるのか。そもそも本当に存在したのか。なにもわからない。でもわたしはその頃、何度か足を運んだ。それだけは間違いない。どうやって行ったのかはわからない。でもそこで流れた穏やかな時間は、私の記憶の中で今もゆっくりと呼吸している。

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