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蒼月を見上げて

 だいぶ遅くなってしまった。

 先日、「あなたへの手紙コンテスト」という私設賞で蒼月賞という賞を頂いた。

 身に余る光栄です。ありがとうございました。なんと上記の結果発表で発表されている三賞はどれも、受賞者に合わせて賞の名前を考えてくださったそうだ。それを聞く前に、わたしは「蒼月賞っていう名前は涼雨っぽいな」と勝手に思っていて、あとからわたしをイメージしてつけた名前だと聞いて、「そんなことあるんかいな」と思った。

 月というモチーフがわたしっぽい、と自分で勝手に思ったのだけれど、わたしの名前は雨であって月ではないのだった。わたしが勝手に持っていた月のイメージがうたさんに伝わり、こんな素敵な名前の賞になったということで、なんだか嬉しさが何倍にもなった。

 このような光栄な賞を頂いたので、この作品を書いた経緯を振り返ってみようと思う。

応募作を書くまで

 水野うたさんと言えば、たぶんけっこうファンの多いnoter さんなのだろう。実に失礼なことに、わたしはあまりそういう風に意識したことがなくて、個人的にzoom でお話したこともあったり、割と身近なお友達という感覚でいた。そんなうたさんが10月の初旬にこんなnoteを書かれた。

 わたしはうたさんのファンというよりお友達感覚で、お月見コンテストもいちまいごはんコンテストも見ていて、その上でこれを読んでいた。

 どうでもいい余談だが、わたしはお月見コンテストには別名義で参加(誰も知らない誰かとしての参加)、いちまいごはんには「これをここに出すのか」というやつをぶちかまして笑いをとる、という形でどちらもエキシビション的に参加した。

 で、これを読んだときに、うたさんが何か企画をやるならそれはもう応援しよう、盛り上げよう、と思っていた。企画を盛り上げるのに一番いいのは、その企画に応募することだろう。どんな企画であれ、応募者がいなければ成立しないのだから。

 だから実はわたし、企画がどんな内容であれ、絶対に何かしら応募する、ということだけはこの時点で決めていたのでありました。全然書けないような内容だったらどうするつもりだったのか当時の自分に聞いてみたいが、どんな変化球になろうともたぶん投げるつもりでいた。

 この日以降の日記を読み返しながら、わたしの怒涛の10月を振り返ってみよう。誰も興味ないかもしれないが、10月のわたしはちょっと尋常ではない状態にあり、とてもじゃないけれどこれ以上書くものを増やすなんて無理なんじゃないのか、というような状況にあった。それでもうたさんがなんかやるなら絶対何かしら書く、という意思だけは強くあった。

寄稿原稿

 実は10月、寄稿依頼の小説を抱えていた。これは神谷京介さんの出版社、世瞬舎が文学フリマに出すフリーペーパー「世瞬」のvol.2 に掲載されるという掌編で、2000字のものを書くというオーダーだった。これをちょうど8日に納品し、納品後のインタビューという形で11日に世瞬舎マネージャの小川さんとzoom で対談している。ここに書いたのは「シフト」という作品で、原稿料を頂いて「世瞬vol.2」に載せていただいたので、他のところへ転載する予定はありません。ぜひ「世瞬vol.2」をお求めください。

公募原稿

 さらに、10月〆の公募(なんてものがほとんどないのですぐにわかると思うから書いてしまうが、群像新人文学賞です)に出すための作品を書いていた。こっちはひたすら難儀していて、15日Web応募〆切に間に合わず、31日の郵送〆切を目指して必死に書いていた。(群像はなぜかWeb応募のほうが〆切が早い。普通反対なのだけれどなぜかこのようになっていて、郵送の方が猶予がある)

 日記をいくつか抜粋してみよう。

15日 小説書けなさすぎである
19日 小説はかなり苦戦している
25日 ワクチン二回目
26日 副反応で37.6度。休み取って原稿書いたが具合悪くて寝た。寝ても良くならん
27日 まだ37.5度ある。小説ラストが決まらない→風呂で思いついた。
28日 推敲
29日 脱稿、投函した。noteの有料マガジン作成

涼雨零音の日記

 途中でワクチン打って副反応でやられたのであった。さらに、31日当日消印有効ではあったが、31日が日曜だったため、事実上29日(金)中に投函しないとマズイ状態であった。つまりギリギリ間に合ったのである。

 で、終わって投函したとたんに有料マガジンを始めている。なぜこのタイミングで始めたのかは今もって謎に包まれている。これは11月に入ってからでよかったんではないか…。

 そのあと30日(土)は期日前投票をしたり映画評を書いたりコラムの原稿を書いたりなどしている。

お手紙はどうなったのか

 絶対に参加すると決めていた「あなたへの手紙コンテスト」〆切は31日の夜であった。実に、一文字も書いてないどころか何一つ考えてすらいない状態のまま31日を迎えている。

 当初、うたさんの企画だから盛り上げるべく参加するぞ、と思ったわけだが、締め切り当日まで応募もできておらず、盛り上げるもなにもどういうことになっているか追えてもいなかった。しかしそこはさすがうたさん、大盛況であった。めっちゃ盛り上がっている上、31日になってもまだ新しい作品が投稿されていた。既に複数の作品を応募している人もいたり、大いに盛り上がっていた。

 良かった盛り上がっている、これならわたしが出さなくても大丈夫だね、と易きに流れそうになったとかならなかったとかありつつ、「いや出すって決めただろ」と自分を鼓舞。そもそもお手紙かどうか発表される前から、うたさんがやるなら出すんだと決めたんじゃなかったのかと。

 よし。お手紙。

前略

 本気でノープラン。31日日曜日。夕食を終え、風呂から上がってPCの前に座る。もう21時。締め切りまであと数時間。もはや今から「何を書こうかな」なんてことをやっている余裕はない。手紙だろ手紙。

 とりあえず書いた。「前略」と。手紙だから。

 自分でもだいぶイカレてると思うが、お手紙と言われ、誰宛てなのかということを考えるよりも先に、「前略」と書いたのである。誰に向けた手紙なんだよ。

 前略と書いたら、中略、後略、と出てきて、終わり、となった。その昔わたしはこういう手紙を本当に書いたことがあった。そこからもう一歩進んだ手紙として、「全略」というのも書いたことがある。そんなことを思い出して笑いながら、略って何を略しているのだろう、と思ったのだ。

前略
1 手紙で、時候の挨拶などの儀礼的な文を省略する意で冒頭に書く語。「草々」「不一」「不尽」などの語で結ぶ。冠省。
2 文章を引用するとき、前の部分を省略すること。→中略・後略

大辞林 第4版

 2番の意味として、中略、後略という言葉は本当にあるらしい。あるね、そういえば。見たことがあるような気がする。ここではお手紙なので1番の方の意味だ。

 この辺から、前略で略されるもの、というところに意識が向かって行った。「前略 中略 後略」という手紙は面白いかもしれないが、これだと一発芸で深みがない。そこで、この手紙を受け取った人による返信として書いたらどうか、と考えたのだろう。何を考えたのかは覚えていないけれど、全部略されるという事態の面白さに興味が向かったら、あとはするすると書けた。

 大事なところが略された手紙。むしろ不要なことだけが書かれていて、大事なことは書かれていなかったらどうだろうか、といった方向に話が向かい、あんなことになった。

 書かれていない部分が本体で、書かれている部分は影のようなもの。そんな使徒がいたよな。エヴァンゲリオンに。レリエル。本体に見える影を攻撃すると影に見える本体の虚数回路が開き、シンジ君はそこに飲み込まれてしまう。結果シンジ君はエヴァ初号機と過度にシンクロし、液体になってしまう。エヴァは母であるので、胎内回帰したという話だ。レリエルのエピソードはシンジ君が一度母に胎内回帰した上で別の女たちのところへ戻ってくる、という極めて重要なエピソードなのである。

 話が反れたが、この「影の方が実は本体」という発想は異様な力でわたしを惹きつける。そんな手紙ってあり得るだろうか。あるような気がする。本当に言いたいことを書かずに、周囲を埋めていくことでそれを匂い立たせる。あるような気がする。

 そんな風にして、言いたいことが書かれていない手紙への返事を書いた。不要なことを残して書かれていく手紙。大事なことが増えるたびに書かれる文字が減る。「前略 中略 後略」の先はどうなるだろう。きっと何も書かれない。伝えたいことがあふれ、言葉が失われる。白紙の便箋が届く。

 なんということだろう。わたしは自分で書きながらびっくりした。

 伝えたいことを言語化すると解像度が下がる。言語などというスカスカなもので、無段階の感情など表現しきれるはずがないからだ。伝えたいことが曖昧な、微妙なものになればなるほど、あてはまる言葉がなくなる。うまいことを言ってしまえば何か違うものになってしまい、違ったということさえ思い出せなくなる。

 実はそんなことを「磨け感情解像度」のときに書いた。

 大切にすればこそ、言葉にしたくない。そんな思いってあるんじゃなかろうか。

 手紙はついに白紙の便箋で届き、そして何も届かなくなる。

今あなたの手紙は手紙であることを略され、無となりました。無駄がそぎ落とされ、きっと伝えたいことだけになったのです。

「前略」/涼雨零音

 自分でこのフレーズを書きおろして、鳥肌が立った。わたしが言いたかったことはこれなんじゃないかという気がした。

 そして、この時点に至ってもなお、この手紙は誰に向けて書いているのかわかっていなかった。わたしはいったい誰に向けて手紙を書いているのだろう。もちろん、手紙であることを略した手紙を送ってくるようなやつに向けてであるが、それはいったいだれなんだ。

 そんなことをするのはわたし以外にない。そんな気がした。これはわたしとわたしの往復書簡の、その片側なのだろう。

わたしとあなたは前略の中でつながっているのですね。

「前略」/涼雨零音

 その通りだという気がした。前略の中でつながっている。なんということだろう。思ってもみなかった。

 そして差出人の名を最後に書いた。わたしの名と、書き終えた時刻。なんと、30分しか経過していない。わずか30分で、この自分が書いたとは思えないような作品が書きあがった。

 この時点では、わたしはこの作品を書いたことで何もかも満たされていた。もちろん仲良しのうたさんの企画を盛り上げるべく書いたのだけれど、それ以前にこれが書けたからいいという満足感があった。もとより賞を狙おうとは思っていなかったし、大いなる自己満足で、それで結構と思うぐらい満足した。

 そうとうヘンテコなものになったような気がしていたので、正直なところ、これが好評を得るとは全く思っていなかった。でもこの作品は、公開直後から大変光栄なコメントをたくさんいただいた。衝撃を受けたという主旨のものが多く、あぁこういうものを深く読んでくれる人がこんなに大勢いるんだなと妙に感激した。

 そして最終的に、蒼月賞という栄誉ある賞を頂いた。この作品は自分で読み返してもとても自分らしい作品だと思うし、これを書けたこと自体が嬉しい。そんな作品が賞を頂いたことは望外の喜びでした。

 ありがとう水野うたさん。うたさんがお手紙企画をやらなければ、わたしはこの作品を書けていないし、これを書いて気づいたことに、まだ気づけていなかったと思います。前にも書きましたが、これ企画者がうたさんじゃなかったら、きっと忙しかったし「ま、出さなくてもいっか」ってなってたと思うんですよね。ほんとに、うたさんで良かった。

 最後に、作品を再掲しておきます。良かったらぜひ、今一度ご覧ください。


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