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「33画の呪い」

「弟」「ネット」「ゲーム」幼少期の私にこの内のどれか一つでも欠けていたら、今私は確実に生きていない。

これは僕とキミの、持論の話。

※本作品は実際の人物とめちゃくちゃ関係がありますが、普通に書くと気が狂うので、物語調でお届けします。何を信じるかは、貴方次第。

さて、キミは明日節目の日を迎える。朝早く家を発つ予定だったが、前日に不幸な出来事があり、寝付くことができないどころか今この記事を書いている始末だ。
節目を前に、抱えた遺恨の棚卸しをするのも悪くない、そう思ったキミは、筆を取った。

まず、何から語ろうか。カメリアンコンプレックスの父と、シンデレラコンプレックスだった母の間に生まれた第一子であるキミは、後に生まれた年子の弟と一緒に、父の実家ーーつまりキミの祖父母が経営するアパートで、一家4人無家賃で暮らし始める。
まあ、最初は払っていたのかもしれないけど、何せ借金を隠して結婚したような男だし、僕は知らないからそこは憶測で。

幸せだった記憶は、いつからいつまで?
正直、昔の記憶は覚えていない。いや、覚えているものは沢山あるけれど、取るに足らない小さな事だ。それはつまり、幸せだった記憶なんだけど。

子供2人が小学生になってくると、4人で1人用のアパート1室には収まらないから、キミと弟の〝子供部屋〟は隣の1室になったね。
この頃ーーいや、もっと前かな?キミ達の両親は冷え切った関係になっていたみたいだけど、部屋が違うから全く知らずに幸せに過ごしたね。

小2になった時、何故だか仲良くしていた友達2人がそれぞれの事情で転校してしまって親しい友を失ったキミは、以前から付き合いのあった近所の子とも遊んでみたけれど、最下位のポジションが馴染まなくて結局居場所にはならなかったね。2人で遊べば平和なのに、3人になると損な役回りを押し付けられる。とても不思議で、だけどきっとよくある現象だ。
自分の友達と遊ぶより、弟の友達と遊んでる方が多かったかもしれない。

低学年の写生の授業で表彰が貰えるんだけど、「2年続けてになっちゃうから譲っていいかな」って言われたのは、幻だったのかな?何年も前のことだから、捏造しているのかもね。

小3で眼鏡をかけ、月経が始まる。お母さんがいる間に始まったのは、良かったかもしれないね。もしかしたら眼鏡はもう少し後だったかな?

そして小3か……もしくは小4の時かな。お母さんは遠くにお引越ししちゃうんだ。いわゆるリコンってやつなんだけど、そんなことは知らない僕たちは笑顔で別れたんだ。兄弟は一緒にしておきたくて、2人なんて到底養えないから、お母さんは一人で遠くに引っ越したんだよね。まあ、僕たちを養ったのは他ならぬ「あの人」、おばあちゃんなんだけどさ。

アパートの大家の家から、おばあちゃんは僕たちのお部屋にご飯を持ってくるんだ。お父さんとは、そんなに仲良くした覚えはない。側から見たら大分異常なんだけど、僕たちにとっては普通だったね。

一方で学校のキミは、一人で居る事は苦痛では無かったけれど、「四天王」という、不名誉な称号を得ていたね。ちょうど男女2人ずつ、「嫌われ者四天王」だ。
まあ、単にひとりぼっちの4人がそう呼ばれていた様な気がするし、キミが嫌われてるという理由は「太っている」くらいなものだけど、他の3人はその肩書きに気づいていたのかな?

集会で前の男子が干からびたトカゲでわいわいやってるなあと思ったら下駄箱でご対面したり、宛名の書いてないラブレター風な手紙が来てたりしたけど、キミは本当に可笑しな子だよね。
だってトカゲは無反応でポイっとして何事もなかった様に上履き履くし、手紙は「名を名乗れ」と思いながら家のゴミ箱に破いて捨てたもんね。本当に〝いたずら〟しがいが無いコだよ。

授業で何故だかゴールキーパーになって「居ても居なくても一緒」って言われた時は「一緒って言いましたよね?」と言わんがばかりに棒立ちに切り替えて仕事を放棄して、言い放った男子がペコペコ謝っていたよね?

正直、家にいる「ラスボス」の方が厄介だったから、学校での〝いじめ〟についてはみんな陳腐に見えたんだよね。子供が心ない、みっともない言動をするのは当たり前のことだからね。

キミが〝あの人〟を信用しなくなったのは、お母さんが帰ってこなくてわんわん泣いていたあの夜の日のことだ。それは同時に、キミが声を上げずに泣く事を覚えた日でもある。

2階の寝室で皆んな寝る時間、階段の下の方でキミはわんわん泣いていた。勿論、狭い家中に響き渡っていたことだろう。そこへやって来たあの人は、何て言ったと思う?

「弟が寝れないじゃないか」ってさ。

聞いた?もう一度正式に言うよ。

「うるさい!!!!!弟が寝れないじゃないか!!!!!!!!」って、そう言ったのさ。

年齢1桁の、親と離されて辛くて泣いている子供に、たった1つしか離れてない弟を優先して「お前の事は眼中に無い」とばかりの、この怒号さ。

普通に考えて、怒号の方が煩かったと思うんだけどね。

だから僕は、それから声を上げずに泣く事にしたのさ。そうすれば寝室でも泣けるし、授業中でも泣けるし、いつだってバレずに泣けるんだ。泣く事を辞めなかったのは、偉かったね。
「人はそんなに他人を見てない」って分かったのも、大きかったな。他人を見てたのは、他でも無い僕達だった。

そんな話を大人になってから母親に話したら、「酷いね」って言ってくれたんだけど、時間が経ったらエピソードごと忘却されてたから、それからお母さんの記憶もあんまり信用してないよ。

「あの人」が運動会のビデオの中のキミを見ている中、当の本人であるキミが話しかけたら「今ビデオ見てるから」と言われて相手してくれなくて、「この人は虚像を見ている」とキミは思ったね。

高校の頃、弟が優秀だと電話で知人に褒め称えて伝えた後、「もう1人はねえ、何考えてるのか分からないのよ」と言う言葉を聞いた時、2階に電話の声は筒抜けなのを配慮しろよってキミは思ったね。

キミのお母さんはあんまりにもあの人がキミを下げて報告するもんだから、成績が悪いんだとばっかり思って高校に訪問したら、たまたま会った担任の先生に真相を聞いてビックリしたらしいじゃないか。実際はキミはそこそこ頭がよかったのに、学年トップレベルの弟が〝普通〟みたいに話された様なものだから、酷い話だよね。

あの人はいつだって〝自分の不安〟〝自分の主観〟〝自分の後悔〟が最優先なんだ。当人がどう思ってようが関係ない。僕たちは自分の人生を全く後悔せず幸せに思っているのに、何かあればすぐ「おばあちゃんヒストリー」の時間が始まる。

それは「小さいの時に劇団に入れたかったけど入れられず、大学にも行かせたかったけど行かせられず心残りで後悔している」というヒストリーである。本人が何度否定しようがそれは繰り返される。
あくまでも〝おばあちゃんの中でのヒストリー〟であり、そこに私は居ない。まるで壊れたラジオのように、いつだって同じ言葉で言うんだ。

そしてきっとたぶん、これからそのヒストリーにはこう続きが付け加えられる。

「33画はダメだって言うのに変えなかったからあんな不幸になったんだ。あの時もっと強く言えば良かった。本当に後悔してるんだよ。」

そもそも名前には複数の画数の捉え方があるし、それ以前に一般的に33画は良いとされる画数なのだけど、おばあちゃんにとっては33画は〝不幸の画数〟として揺るぎのないものになってしまった。

それは大昔、有名だったらしい占い師のたった1冊の本と、父の離婚と、弟の離婚、この3つですさまじく頑丈に結びつきもはや呪いになっている。

明日婚姻届を出す孫に、「やっぱり33画は良くないんじゃないか?」「良いことばっかり書いてあるけど本当なのか?」と、名前の変更を勧めるほどだ。孫の決定など眼中に無い。

本人が敬愛する占い師のサイト鑑定を印刷したのを渡してもこれなのだ、本物に直接鑑定してもらって何十回と質問を投げかけてしこりを取るまで呪いは続くだろう。


もし、33画の呪いがあるとするならば、それは貴方が私を見てくれない不幸ですと。


もし、33画の呪いがあるとするならば、それは貴方の息子が家庭を放棄したせいですと。

私たちは、そう言いたいんだ。


※子供にも親にも金をせびって金が欲しい時にしか家に来ない父とか、海外で再婚するために親族の出席が必要だから来てくれと言ったのに旅費が足りないから貸してくれと言った父とか、再婚相手は外国の、娘と3歳差の女性とか、父が勝手に財産放棄手続きした上にずーーーーーーーーーーっと何も言わず放置したせいで家が売り飛ばされそうになったのを私の130万で阻止した話とか、死んだから迅速に遺産放棄をみんなでしながら色々整理してたら中学校の頃の家族4人の携帯本体の支払い請求が来た話とか、死んだ時の旅行の日程にコンパ的なのがあったという話とか、その他様々な衝撃エピソードが割愛されています。


※父はイネイブラーである祖母に強烈に尻拭いされながら生きていた依存症疑いの人間なので、似た人物に心当たりがある方は自分が尻拭いして悪化させてないか確認しましょう。