ナンパはクソだと言い続けなければならない、その理由
私は過去のnoteでナンパはクソだと書いた事がある。これは事実である。今後誰かに聞かれた際も、どの様な形であろうと推奨する事はない。
しかし、私は「ナンパを批判する主張」をしたり「ナンパ師やナンパ経験を語る人を軽蔑する」という事はしない。
「ナンパはクソだと言っておかなければならない」というのが重要なのであって、「私個人がクソと思っているかどうかはどうでも良いし他人のナンパ事情に興味はない」のである。
では、何故私はナンパをクソだと言わなければならないと思っているのか?という事を今回は言語化していきたい。
※「ナンパ師やナンパ経験を語る人を軽蔑しない」というのは、〝それのみを持って軽蔑はしない〟という事であり、そういった経験がある人を別の理由で軽蔑する事は普通にあります。
※今回は男性から女性へのナンパについて語り、男性から男性へ、また女性からのナンパは度外視するものとします。
お店の研修生に優しく出来るのは、研修中の名札があるから
いきなり話が明後日の方向から始まって恐縮だが、人生をそこそこ生きた経験のある人は、「研修中」のお店の人に遭遇したり、自分がなったりした事があると思う。
何も知らずにいつも以上に待たされたり、しどろもどろな回答をされたらイラつく事もあるかと思うが、研修生はその〝研修中〟というマジックワードにより「覚え中なのね」という理解や「応援したい」という温かい気持ちを呼び起こし、そこそこな頻度で粗相にお許しを貰えたりすると思う。
では、ナンパはどうだろうか?
人間は誰だって、生まれた頃からナンパの素養を持った「ナンパのサラブレッド」なる状態ではないはずである。つまり、ナンパもノウハウを身体に叩き込むまで場数を踏む必要がある。
勿論、広い世の中にはサラブレッドに近しい人材や、ジョブチェンジによる培われてきたスキルによってスタートダッシュを軽快に切るナンパ師もいると思うが、それは一握りであるはずだ。
ナンパ師の卵による劣悪な被害が想定される以上、ナンパ行為を推奨する事は出来ないというのが私の考えである。
マッチングアプリには〝異性に声を掛けられる心構え〟がある人間しか居ない
感の良い人は見出しで既にお分かりかと思うが、「恋愛しようよ!」と推奨するマッチングアプリでは、「出会いを想定している人間」しか存在しない。
では、ナンパはどうだろうか?
ナンパは、道行く人やお店の中で偶然鉢合わせた、見ず知らずの人に声を掛ける行為である。
相手が〝同性愛者〟だろうと〝無性愛者〟だろうと〝恋人持ち〟であろうと〝既婚者〟であろうと〝各種恐怖症持ち〟であろうと「無差別でエンカウントする」のがナンパである。
デートに行く最中や、ウキウキで趣味を楽しみに行ったその店で、ナンパを受けたら気分は如何だろうか。
「ナンパを受けに外出したわけじゃないんだけど?」とガンギレ舌打ち冷や水ぶっかけをされても致し方ない案件である。
そういった案件が発生する可能性がある以上、推奨する事は出来ない。
警察官や医者を信頼できるのは分かりやすい制服や看板があるから
警察官や医者が実際信頼できるかという事は置いておいて、制服というものは「分かりやすい格好がある事で見分けが付きやすい」という所で安心感があり、疑いの目を減らす事が可能である。
店員さんに商品の場所を聞きたいなという時も、制服で見分ければ誰に聞けば良いか分かって安心だろう。
では、ナンパはどうだろうか?
ナンパ師は公的な職業ではないので、ナンパという行為をするにあたって決められている格好や制服というものは無いはずである。
「ナンパ師と分かって敬遠されないのだから良いだろう」と考えるのは浅はかで、「殺人を目論みる犯罪者と疑われても仕方がない」のである。
殺人は言い過ぎだとしても、制服が無い以上「自分にとって不利益になる相手でないという保証がゼロ」であり、マルチ商法や宗教勧誘、悪徳詐欺といったヤバイ話が出てこないとは限らないのである。
「〝善良なナンパ師だ〟と思ってるのは己だけ」であり、「声掛けてきたんだけど怖……」と見ず知らずの他人に恐怖を与える可能性がある以上、推奨する事は出来ない。
ナンパと謳って加害行為を提唱する情報がある
良い例えが思いつかなくなってきたので直球で言うが、「ナンパ」という言葉は長らく使われてきた認知度の高い言葉であり、認知度の高い言葉というのは様々な人が話題に上げたり持論を展開したりする。
恋愛に関するテクニックは〝アホみたいな間違った情報〟が蔓延しやすく、ナンパもまた例外では無い。
日本では、特に男女間の恋愛において〝アップデートしきれていない世間の風潮ステレオタイプあれやこれやそれや〟がある為、ナンパを受ける側の人権を無視したテクニックが提唱される事もままあり、それらを容認する事は人権を重んじる以上は出来かねる。
「ナンパって良いらしいぞ!」と意気込んで検索して出てきた加害情報を間に受け犯罪者になる「誤情報の被害者」を生み出さない為に、ナンパはクソであると言い続けなければならないのである。
「ナンパはオールオッケー!俺はこの理論で行くぜ!」とアゲアゲで暴走するよりも、「ナンパはクソって言われてるけど……これはなんか良い気がするな……」と疑いながらも己の頭で良し悪しを判断して取り入れる方が、犯罪者になる間違いは減らせるはずである。
検索して見ましたがnanpaで通じる国もあるんですか?そいつは知らなかった。(Chikanは知ってたけど)
※日本と書いたのは私が生まれてこのかた日本から出た事がなく海外の実情を1ミリも知らないからであり、日本以外はそうで無いと主張するものでは御座いません。
私はナンパされたくは無い
若干容認している風な話をしてしまったので個人的な事を言うと、私は絶対にナンパされたくは無い。
ナンパに限らず、キャッチにしろ宗教勧誘にしろ高い壺にしろキャットコールにしろ外出する事により、知りもしない人間から声をかけられたくは無い。
それとは別に道を聞かれたら答えるし募金の声掛けには「焼肉代になるのかな」と思いながらお札を突っ込むし人の落とし物には敏感だが、とにかく私は声をかけられたく無いと主張したい。
それで心が落ち着く誰かが、救える誰かがいるのなら、私はいつでも否定したい。
※今回は推奨しない理由を完結に述べる為、女性にとってのご不快ポイント(値踏み/見下し/ジャッジ)については触れず、〝思い出台無し・ため息500%・金返せ案件〟についても言及しませんでした。
※出会い系(掲示板)からマッチングアプリという変化の様に、ナンパというワードでなく新しい定義で声掛け行為が提唱された際は、また改めて己のスタンスを判断したいと考えます。