見出し画像

2023年8月2週目 目的がなくても大丈夫!


無目的な飲み会をした。
仕事のつながりで初めてお会いした人、Kさんを誘って数名で飲み会をした。そういう飲み会は何か、「仕事を円滑に進めるため」的な目的が暗にあるように思う。
そういう目的で飲み会を開くこともできたのかもしれない。でも、「先のゴールを見据えて行動すること」にアレルギー反応があるので事前に何かを設定しておくのをやめた。目的がない、意味も分からない、形式もない、楽しいかどうかも分からない、そういう時間を味わってみようと思った。

逡巡はあった。

そういう時間に巻き込むのは失礼じゃないか?ましてや、初めましての人だぞ?とか。
断られるのではないか。
困らせるのではないか。
面白い時間にならないのではないか。

とか。


でもいいや、ってなった。

しらねぇ。
怒られたら怒られた、だし。

断りたかったら断れ。
困ったってその時に考えれば良い。
面白くならなかった、となったら、その感覚ってめっちゃ貴重だろうし。面白くならない時間を味わうのも悪くない。

そういう気持ちになった。
でも、どうなるかわからない、という怖さは当日になるまでずっとあった。
どうなるんだろう?という、未知の領域に足を踏み入れる気持ちもあった。


今回の飲み会をしようと思ったきっかけは、前述のとおりとある会社のKさんと出会ったから。初めましてだったが、この人と飲みに行くのも面白そうだなと思ったから。
肩書きも所属も良かった。Kさんは会社の執行役員(取締役)の人だった。数百人規模の会社の執行役員の人だったのだ。

そんな肩書きの人を誘ってはいけない、という思い込みもあった。
でもそんな思い込みも、しゃらくせえって思った。
それより大事なのは、自分が何をひらめいたのか?だ。

カッコよく見えたらすまない。とうとうここで真実を話したい。

最初はKさんから「今度はプライベートでも話しましょう」と言われたからなんだ。それで勇気をもらったに過ぎない。

飲み会は無目的というのが功を奏した。障害者とは?という話や飲み会での失敗談で盛り上がったり、ふと訪れる束の間の沈黙など全部が良かった。

その場では、「障害がない社会ってどんな社会なんでしょう?」とか「障害者とは?」という質問をされた気がする。
僕は「知らない」とか「答えたくない」とか言った気がする。僕だけが障害者と関わる仕事をしていたし、飲み会の主催者だけれども。「いや、そんな反応しちゃだめだろ」、と内心思いながらそんな反応をして楽しかった記憶がある。

飲み会もまたやりましょう、って話して終わったので良かったと思われる。
今度は「孤独」をテーマに話してみたいな。

あと、次の日に気づいたけどその日財布を持ってなかった。飲み会の主催者なのに財布を持ってないってなんなの?


そんなこんな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?