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ボードゲームが大好きだ

ボードゲームが好きだ。大好きだ。
10年前くらいになるかな。苫小牧に住んでいたころ、「王への誓願」というボードゲームを遊ばせてもらった。

そのゲームはサイコロをジャラジャラ振って、その出目を使ってカードを買うと、次のターンは買ったそのカードによってさらにサイコロを多く触れたりして「できることが増える」という感覚になっていく。とにかく、サイコロジャラジャラと、できることが増える(成長する)みたいな感覚が自分にはとても心地よかった。
ドンジャラ、将棋、オセロ、UNOや大富豪・・・「ボードゲーム ってそういうのだろ?」という時に、「王への誓願」というゲームと出会って本当に衝撃を受けた。し、世界にはいろんなゲームがあるんだ、と言う話もきいてめちゃめちゃ興味が湧いたのを覚えている。
もっと言えば「ボードゲームなんてこんなもの」という概念を破壊してくれた。「え、こんなに面白いゲームがあるなら他にも面白いゲームがあるのでは?」と思ってから10年近くが経過した。


面白いゲームとの出会いも多かったし、自分に合わないというか、どういう風に楽しんで良いかわからないゲームもあった。ずっと大切に持っているゲームもあれば、すぐ手放しても良いなと考える自分にも気づいたし、友達に譲ったり、壊してしまったゲームもある。ゲームを大事にする、というより、ゲームを通した体験そのものにとても高い価値を感じているんだということにも気づいた。そして、その感覚を周りの人にも求めている、ということにも。

ゲームとの出会いは人との出会いともイコールだった。それは常に新しい出会いがあったから、とは限らない。同じ人とゲームをしたとしても、遊んでいるゲームが違ったり、数人のメンバーが1人違ったりするだけでも、その場で得られるゲーム体験の内容が変わってくる。簡単なゲームでは凡庸だった人が戦略性を求められるゲームでは判断の速度や質がとても高い、なんてことがあったり、対戦型のゲームは苦手としていたけど協力型のゲームでは嬉々として進んでプレイしていたり。そういう、「人間が持っている側面が変わって見える」、「その人との出逢い直しみたいなことが起こる」ということがゲーム体験において面白さに直結する重要な要素だということにも気づいた。現職の就労支援の現場でもとても役立てることができている。

ゲームの説明を勉強した結果、職場で「アテンド講座」というのもやった。


面白いなぁ、いろんな人とボードゲームをしてみたいなぁ、と思って所構わずゲームを持ち歩くようになったり、ゲームカフェに行ったりゲーム会というコミュニティに参加したりすると、ゲームを楽しむことがとても難しい場面がある、と言うことにも気づいた。例えばゲーム会に参加すると「ゲームがしたくて参加したのにイマイチ楽しめなかった」という経験も何度もした。ゲームは楽しかったんだけど、一緒に遊ぶ人が楽しくない、みたいな。身内のノリについていけない、みたいな。楽しかった思い出もたくさんあるけど逆に怖いな、というか「楽しめない自分が悪いのかな?」という気持ちになったこともあった。
そしてゲームのルール説明やゲームのチョイスって簡単なようで簡単じゃないし、「ボードゲームで遊ぶ」「ゲームをする」ということへの捉え方、感じ方というのが多種多様にあるということにも直面した。ゲームをする、ということに緊張感を覚えると言う人がいることは衝撃でもあったし、でも前述の通り自分も緊張した場面があったので一緒だな、ととても納得もした。
自分でボードゲームで遊ぶ会を主催してみたり、職場でゲームをしてみたり、家族でも遊んでみたり、本当にたくさんの出来事があったなと思うし、本当にたくさんの失敗をしたな、とも思う。それは勉強にもなって教える、ということの勉強をしたりもした。今となってはこういう風に考えてゲームで遊ぶんだよ、というのを当時の自分に伝えてみたい気持ちにもなって、それでゲームの説明をするときやゲームの体験を豊かにするための工夫を書いたブログを始めたりもした。

ボードゲームの魅力はいろいろあるけれど、改めてボードゲームそのものやボードゲームを通した体験の時間を自分なりに大事にしてみたいと思う。

そんなこんな。

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