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育児と感情労働とドヤァと 2021年8月

※iPadを購入したのでイラストの才能を活かしやすくなった。ドヤァッ。

最近気づいたこと。8月入って1回もブログ書いてなかった、ってこと。

いやー、書いてないなーとは思ってた。

でもまさか、まさかここまでとは。


まさかここまでとは、って書くと、「思っていたお風呂が、まさか、ここまでとは」というおじさんのナレーションが入るCMを思い出しますよね。なんかのホテルのCMだったかな。



さて、育児休暇に入って、5ヶ月。三女がこの世に参上して6ヶ月。

少し生活に慣れてきたところでもあり、ふと感じたことを記載しておきます。


というのは、育児が大変、っていうじゃないですか。そう、大変なんです。大変なんですけど、育児の何が大変なんだろうって、自分なりの感覚で考えてみておこう、できればブログなどで発信しておけたらと思っていたんですね。今回はそのことについて書ける範囲で書いてみます。


それで、ちょっとずれるんですけども。僕の仕事の話を先にしておきます。

今、休暇をもらっていますが現在は障害者福祉の就労支援の業務に携わっています。約2年くらい。

今の会社に入って言われたのは、「この仕事は感情労働」という言葉なんです。これが初めて聞く言葉、ということもあり印象的だったんですね。あ、感情労働なんだぁ、って。


感情労働とは?僕が受けた説明としては

「この仕事では、業務中に自分に沸き起こる自然な感情をそのまま表出することが望ましくない場面がある。そういう時でも、そうじゃなくても適切な感情を使って他人とコミュニケーションを取るのが求められる」「自分の感情をコントロールすることが求められる」


っていう話でしたね。上記は僕が理解できた部分だけ書いてまして、福祉の業務全般に言えるのかはわかりません。もっと言えば、どの仕事にだって「感情労働」の側面は大なり小なりあるでしょうし。そして、求められる、って言われたって、我慢することがいつも正解ということではないと思いますし、求められたって、できない時は出来ないんですけど(ドヤァ)

まぁ、どういうことかもう少し言うとすれば、利用者さんと話していてそれじゃダメだな、って感じたからそのまま「それじゃあダメですよね」って言うことだけが正解じゃない、ってのはそうだし、

「淡々と話してるように見えるけど、本当はすごく嬉しいじゃないかな」って感じたら、少し自分の感情表現を、強く嬉しそうに表現してみて、相手が嬉しいって感情を出しやすくさせたりとか。それが合ってるかは相手の状況や目指している目標によっても変わることだと思うんですが。


横道が長くなりましたね。感情労働、ってなんなのか。僕もあまり分かってないので文章が長くなりますね(ドヤァ)

それで、育児は感情労働だと思ったって話に戻りましょうか。

育児休暇に入り、子供達と時間を多く過ごす中で、すごい自分の浅ましさみたいなものに出くわすようになりました。浅ましさとは書いたけど、子どもをちゃんと育てたいって気持ちからくるやつだとは思っています。


どう言うことか、以下に記載します。

1:ご飯、早く食べぇ

2:ご飯、残さず食べぇ

3:ご飯中におもちゃ触るな

4:コップ、そんな端に置いたら落とすぞ

5:ほら、言いました通りですぅ!言ったよな!父ちゃん、言ったよな!

6:テレビ、近いからもっと離れてみなさい

7;喧嘩すな。ごめんねしなさい。

8:幼稚園の準備を早くしなさい

9:遊ぶのは準備が終わってから!

10:出かける前にトイレ行ってね!

11:出かける前にトイレ行ってね!遠いから!途中にトイレないから!

12:はい、喧嘩している人は置いていきまーーすぅ

13:歯磨きしたの?お菓子食べたでしょ!!

14:じゃあ、明日のお菓子なしね?それでいいね?いいのね、それで?

15:歯磨いた後でお菓子はありません!ジュースもありません!

16:高い高いは明日までしません!

とまぁ、脅迫と怒号が飛び交うと言ったら語弊がありますが、今までに言った言葉や言った言葉に近い表現で記載しました。上記の言葉に感情が伴っていることがお察しいただけるでしょうか。

期待、失望、怒り、心配、不安、様々な感情が子供と関わってくると日常的に湧いてくる。

嬉しい、楽しい、大好き、といった感情も湧くし、ネガティブな感情も湧くのが常なのですね。

感情が湧いてくる生活の中で、ともすると常にネガティブな感情に支配され続けるのです。

あれもこれも心配だし、あのことで怒ったんだからこの事でも怒らないと辻褄が合わない、とか、そういうことを考えると常に怒っているみたいな状態になっていたことが僕にもありました(ドヤァ)。ドヤァ、ではないか。

適切な行動、言動をした時には褒めたり、嬉しく思ったことをちゃんと言うとか嬉しくなっている表現をするとかも大事だと思うし、

逆に不適切な言動が見えた時には、叱るという選択肢の他にも「なんか嫌なことあったの?」って聞いてみるとか、場合によっては「そうしちゃう時もあるよね」って受け入れの姿勢を示してみたりとか、自分の感じている気持ちを一旦置いておいて子供とコミュニケーションを取ろうとしているなーと思ったのですね。


自分はそんな感じで、子供と関わっている時も自分の感情をコントロールしようとしているんだなーと感じたわけで、あー、育児も感情労働だなーと思った次第です。

そもそもですが当然、育児方法なんて家族様々、個人でバラバラで、正解不正解を問うような類ではないと認識していますし、みんなに感情をコントロールして育児しましょう、なんて言いたいわけではありません。むしろ、福祉の本業以上に感情を揺さぶられる日々を過ごしているもんで、世の中の育児されている方々には本当に「すごいですね」と言って回りたいくらいすげえな、と思っています。


今回は負の感情を強めに記載してしまいましたが、子供と一緒にいること自体は普通に楽しかったりします。普通に、ってなんだ。最高に楽しんでいます。これ以上、やりがいのある仕事もないなあと思いながら日々を過ごしています。


さて、久しぶりに記事を更新しました。書き始めた時はまさか、ここまでとは思っていなかったのですが、書いているとここまでになりますね。ドヤァ。

「思っていたドヤァが、まさかここまでとは」


そんなこんな。

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