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「葬送のフリーレン」の考察を軽く書く

アニメ『葬送のフリーレン』が放映中。
原作も売れていて大ヒット中である。

自分もアニメ化してからこの作品を観ることにした。

原作はTwitterの公告でよく流れてた覚えがある。
自分は「ふーん。」と思いながら見ていた程度で、アニメもそこまで期待しないで見始めた。

そして、実際に観てみた感想としては・・・・


「まぁ面白いかな。」ぐらいの出来なので良いと思う。

なんだろう。めっちゃ興奮するほど「好き」って作品とか、個人的にとても思い入れがあるってほどの評価ではないけど・・・
それなりに面白いと思うし、人気作品なので最後まで観ると思う。
点数でいうと「75点」みたいな感じだろうか?
今後の展開次第で80点以上に伸びることもあるかもしれないが、今の所はそんな感じの評価である。

そして、世間ではすごくヒットしてる作品なので考察してる人もいる。

考察大好きの漫画家、山田玲司さんがいつものようにヒットアニメとして『葬送のフリーレン』について語っているので、その動画を見たりもした。

しかし、これを見て「うーん?」と思うこともあったので・・・
自分も軽く考察してみることにした。

「魔王」の意味とは?

まず、『葬送のフリーレン』は「魔王討伐後の世界」の話なので…
「魔王」の意味とは何だろうか?

これに対して、社会派で考察大好きな山田玲司さんは・・・

「魔王討伐」

戦後経済成長
受験戦争・卒業・就職
デスゲーム社会・評価主義

などをキーワードを出して、
「それが終わった後の世界の話なんだ!」みたいな考察している。
(そしてそれを奥野さんに突っ込まれたりしてる。)

しかし、自分(Raimu)の考察としては・・・

「魔王」の意味は普通に「ドラクエとかに出てくる魔王」であり、「魔王討伐」の意味は普通に「ドラクエとかに出てくる勇者パーティが魔王を倒した」である。

「勇者、戦士、僧侶、魔法使い」の王道4人パーティが日本で有名になったのはドラクエⅢからなので、特にその影響が大きいだろう。
任天堂のファミリーコンピューターから『ドラゴンクエストⅢ』が発売されたのは1988年。そこからドラクエをベースにしたファンタジーの世界観が日本で一層定着するようになるし、1989年には週刊少年ジャンプで公式二次創作漫画の『ダイの大冒険』が連載されるようにもなる。

そもそも、自分が『葬送のフリーレン』を観た印象として、あの勇者パーティにはそこまでのリアリティを感じなかった。
『ダイの大冒険』では主人公のダイとその仲間達が本当に死闘を繰り広げているのでそれがメインストーリーとなっているが、『葬送のフリーレン』のヒンメル達はあまりそんな感じではない。
後でちゃんと言及するが、これは「日常系(空気系)」ジャンル特有のユルさでもあるので、そんな感じの影響を受けたものがあの勇者パーティなのではないか?と考察することもできる。

『葬送のフリーレン』が若者に人気ということは若者の心情を掴んでいるということで難しい考察もできそうだが、そうした人気要素があるからウケてる面もあるのではないだろうか?

オタクが好きそうなキャラが多い

当たり前だけど、人気が出てる漫画というものは、みんなが好きということであり、みんなが好きということは、みんなが好きそうな要素があるということである。
特に漫画の主要顧客はオタクなので、オタクが好きそうなキャラが多いとヒットする。『葬送のフリーレン』でも素直にそれを思ったので書いていこう。

まずは、フェルン。
大人しそう。敬語が丁寧。一見おしとやか。可愛い。
モチーフカラーが紫なのも良い。紫カラーは魔法使いとも親和性あるし、オタクが憧れるカリスマの色なのかもしれない。紫カラーがキマってるキャラはオタクにとって魅力的である。
一見おしとやかだが、実はSみたいに攻撃的なキャラな所も人気がある。
後述するシュタルクとの絡みも面白い。

次に、シュタルク。
「本気を出すと実はめちゃくちゃ強いのだが、性格は臆病な戦士」というコンセプトである。『鬼滅の刃』の我妻善逸がコンセプト的に近い。善逸は人気投票で一位を獲得するレベルの人気キャラなので、こういうコンセプトがウケるのは納得できる。
「戦士」みたいに身体を動かす職業だと、一般的には体育会系やスポーツマン的なノリや軍人ノリなやつが強いに決まってるというのが普通なイメージだが、オタクが好む作品ではそういう当たり前に強い感じの戦士は人気が出ない。それよりも秘かに努力はしてるし、秘かに才能はあるのだが、欠点があって決心をしないと力を発揮できないキャラクターのが応援できる。
個人的(Raimu的)に初見では「えー、男が出るのかー」みたいな感じで見ていたが、今ではシュタルクがどう動いてどう活躍するのかを見たくてこの作品を観ているかもしれない。
これほどに魅力あるキャラが出てくると、流石に観たくなってしまう。

そして、フリーレン。
唯一無二で強い。長寿だから当然のように賢い。だいたい常に冷静で余裕。
厨二病の人が好みそうな最強魔法使いキャラである。
けど、ユルい所はユルいのでたまにボケる。人間ではないので子供っぽい所もある。だからネタにもしやすく、Twitterでネットミームとして広がるから一層知名度が上がる。

改めて見ると、「こんなに人気要素を盛り込んだら人気出るに決まってる」ぐらいの面白要素があるので、それがヒットの所以になってるのもあると思う。

王道テンプレート

『葬送のフリーレン』ではよく「師匠」みたいな存在が出てくる。
まず、フェルンが勇者パーティの最強魔法使いフリーレンを師匠にしていて、シュタルクも勇者パーティの最強戦士アイゼンを師匠にしている。
あと、フリーレンは伝説の魔法使いフランメの弟子である。

フリーレンが強いのは当たり前としても・・・
フェルンとシュタルクに関しては、元々才能がある上に最強クラスの人間である師匠の弟子になることによって、他の凡人を圧倒するレベルを強さを持っている。

この辺のシナリオについて考えたら気付いたのが・・・
これはよく使われる王道テンプレートだ!ということである。

とりあえず『キノの旅』とかがそうだったので、それを連想した。

『キノの旅』の主人公のキノも、めちゃくちゃ強い師匠の元でひたすら銃の修行や戦闘の修行を積んだ経歴を持つ。そのおかげで、普通に強そうな一般戦士ぐらいだったら余裕で圧倒できるほどの強さを持っていて、それが物語の面白さになっている。

例えば、ファンタジー作品だったら城に仕える護衛兵士とかが大体いて、さらにその上には軍団長クラスの戦士がいたりする。
普通に考えると、護衛兵士だって訓練を積んで生活している人間なので、日ごろからずっと修行をしているような強さはあるはずである。軍団長クラスはそれに加えてもっと強いはずのキャラである。
しかし、こういう作品では護衛兵士レベルだとモブや雑魚として簡単にやられることが多い。軍団長クラスでも噛ませ犬のようにやられてしまうことが多い。
それでも、主人公やそれに準ずるメインキャラクターはそうした一般人よりも強くなければいけない。主人公級のキャラが一般人より強い存在でいるためには、その理由として強い説得力がいる。だから「伝説級に強い師匠の弟子」である必要があり、そういう設定だとそのキャラがめちゃくちゃ強くても納得ができる。

「めちゃくちゃ強い師匠の元で修行したキャラが無双する」ってテンプレートは、他にも探せば色々とあるのではないだろうか?
(『るろうに剣心』とか、『ダイの大冒険』もそういう要素がある)

こうしたシナリオにオタクが憧れるのは何となく分かるので・・・
だから人気が出たというのもあると思う。

現代日本カルチャーの遷移と、「不死の魔法使い」としてのフリーレン

『葬送のフリーレン』の主人公フリーレンは、千年以上生きているエルフである。だから人間とは違う存在であるし、まるで「不死の魔法使い」のような存在である。
エルフはあくまで「寿命が長い」設定なので、絶対に死なないというよりはゆっくりとは老いていく。だから厳密には「不老不死」というより「不老長寿」に該当するが・・・
ざっくりと「不死の魔法使い」を象徴するようなキャラと言えるだろう。

こうした主人公が流行る背景には、現代日本特有の時代の流れがある。

だいたい戦後以降の日本においてどの年代でどんなカルチャーが流行って、どんな作品が出てきたかざっくりまとめると、以下のようになると思う。

これをざっくりと解釈すると・・・

・・・と、このようになるのではないだろうか?

簡潔にまとめると、昔に行くほどリアルな根性で鍛えたりして強くなったやつが強いみたいな風潮があったが…
時代に進むにつれて、なんかチートみたいな魔法を使える魔法使いっぽいや
つが強い
みたいなのが出てくるようになった。

フリーレンはそんな魔法使い文化やゲーム文化の発展のなれの果てみたいなキャラなわけである。

あと、ゼロ年代(2000年代)は「セカイ系」「サヴァイブ系」「日常系(空気系)」といったジャンルが重要な要素として出てきたことをメインブログの以下の記事で説明したが・・・

だいたいそれ以降のヒット作品もそのどれかの要素を持っているか、それらの要素を複合的に持っている感じのものが多い。

勇者パーティやフリーレンパーティのユルい感じや非現実的な感じは、「日常系」要素のようであるし…
魔族討伐に専念せねばならないのは「サヴァイブ系」要素のようである。
世界が終わりそうor終わった後みたいな寂しい感じの雰囲気は、実は「セカイ系」要素に近い。

それから、「アツく戦う精神を持ったド根性熱血キャラ」よりも、「冷静に淡々と処理することに長けてるキャラ」がウケていく風潮みたいなのは、1990年代後半や2000年代からあった。
「無感情で淡々とした女性キャラ」と言ったら、『新世紀エヴァンゲリオン』綾波レイが有名だろう。
それ以降、無感情に振る舞うキャラが注目されて人気が出る事例が目立つようになった。
そして、フリーレンにもフェルンにもその要素が確実にある。

そうしたキャラの良さは自分(Raimu)も個人的には共感ができる。
それにはなんというか・・・人間でないものを好むナニカがあり、人間でないものを崇拝する美学のようなものがある。
エルフであるフリーレンの持つ「人間ではないもの」の要素も、この作品の魅力の一つである。

同じツインテールつながりだと・・・『初音ミク』とかもある意味不死の存在であるが・・・これも2000年代から続いた「人間でないもの」を崇拝するオタクカルチャーとして重要なものである。
フリーレンとは全然違うけど・・・二次創作として多様なネタにされやすい所は似てるし・・・もしかして通じているものがあるのかもしれない?

しかし、同じ「人間でないもの」同士でも、『葬送のフリーレン』の世界に出てくる「魔族」は完全に対極の存在なので・・・フリーレンはそれを殲滅するべき対象としている。
だから、フリーレンと魔族は、まさしく「人間でないもの」同士の「光と闇」の関係になっている。

こうしたキャラクターには何か時代を覆すヒントのようなものがあるのではないだろうか?と思う。

仙人モデルとしてのフリーレン

フリーレンは有名になりたがらないし、実力は常に隠しているし、地位も名誉も欲しがらないキャラである。

まるで悟っているかのようなサトリ系?のようであるため…
サトリ世代(だいたい1983~94年生まれ)やそれ以降の人間との価値観の近さもヒットの要因だったのだろうか?

そして、実際にそれと近い存在として、中国には「仙人」と呼ばれる存在が大昔からあった。
メインブログで最近扱っている老荘思想とか老子とか道教の世界の話であり、仙人の世界をつきつめるとその辺の東洋思想に行き着く。

さて、現代のファンタジー作品には「勇者」「戦士」「魔法使い」といった職業のキャラクターがいるわけだが・・・
それぞれの職業には特有の美学がある。
「勇者」は人を救うヒーローになることが美学だったり、「戦士」は強くなったり戦いの中にあるものが美学だったりする。

そして、魔法使い系の美学の一種の理想像に「仙人」がある。

これを象徴していると思うのは、奈須きのこが書いた小説『空の境界』の中に出てくる、主人公の師匠にあたる魔術師・蒼崎橙子が、たしか割と終盤あたりで敵の魔術師に対して語りかける台詞の一部である。

私の理想の超越者というのはね、仙人なんだ。卓絶した力と知識を持ちながら何もせず、ただ山奥に佇むのみ────。
その在り方に、私はずっと憧れていた。

これは「魔法使い」というより「魔術師」と呼ばれる者の台詞だが・・・
とにかく、それ系統の理想にはそういうものがある。

先ほども書いた通り、現代日本のカルチャーでは2000年代以前から2000年代にかけて、どんどん「魔法使い」みたいに超越的なものへの憧れが高まっていくわけだが・・・
そんな中で、仙人みたいに悟った存在への憧れが時代の需要とマッチして流行った面もあったのではないだろうか?

「葬送のフリーレン」の成立背景とは?

以上。『葬送のフリーレン』について色々と書いていったが・・・

とりあえず、Raimu個人にとっての『葬送のフリーレン』は・・・なんとなく「ちょっと深いけど、ちょっとぐらいの深さ」が今の所の感想である。
まだ作者インタビューとか読んでないし、作品をまだ最後までは見てないから現時点での感想になるが・・・

思うに、この作品の成立背景は・・・"現代日本の時代の流れの中で、ちょっと仙人風の「不死の魔法使い」を描くことにやたらと長けてる作者が、「魔王を倒した勇者パーティ」のネタを使ったら、非常に今風で面白い作品ができた"・・・という感じなのではないだろうか?

自分は『葬送のフリーレン』の内容に関して、「あまりリアリティがない」という感想を持ったが、ゲーム文化やなろう系アニメ文化の発展によって、むしろこういう内容の方がリアリティを感じる若者が増えていたりするのだろうか?

作者が「不死の魔法使い」を描くことにやたらと長けていることと、その心情風景と、独特な空気感を描くことに長けているのは面白いと思う。

とりあえず今後の展開にも期待して視聴を続けようと思います。

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