岡田有希子こと佐藤佳代のバラード

もうすぐ、元アイドル歌手
岡田有希子さん(以下 敬称略)の祥月命日。
筆者は、岡田有希子と同学年に当たる年齢だ。

大学に入学したばかりの筆者が
「笑っていいとも」エンディングで流れた
【岡田有希子自死】ニュース速報を見たときの
衝撃が今も生々しい。

岡田有希子と言う名前は芸名。
彼女はデビュー前、本名の佐藤佳代としても
すでに有名だった。
「超」が付く秀才として。。。。。

アイドル歌手に憧れる普通の中学生だった彼女。
よくある話だが、親に内緒でオーディションに
応募。
決勝大会出場が親にバレた。
そうこうするうちに優勝。

親は、佳代が故郷愛知県を離れ
東京でデビューするための
条件をつけた。
愛知県下の中学生全員が受ける模擬テスト、
そこで総合成績10位以内に入ること。
もちろん、
それは彼女に芸能界入りを諦めさせるための
高いハードル、、、、、、、、
のはずだった。

ところが、、、、、
彼女は一念発起。寝ずの猛勉強に励む。
次のテストで
佐藤佳代はなんと総合6位!

全国トップクラスの教育水準を誇る愛知県。
東大合格者は、県立高校全部で毎年数十人に
のぼる。

6位という成績であれば、順調に征けば
「上位で」東大現役合格だ。

親御さんの方が根負けし、
デビューを認める結果となる。

そのデビュー前の評判を、
遠く大阪で同じ中3の筆者が知るほど
岡田有希子こと佐藤佳代は
「愛知県を代表する秀才」だった。
その稀に見る聡明さが、
結果として
親御さんらに一生の禍根を遺すこととなるとは。。。

デビュー後の岡田有希子が居た
堀越高等学校芸能コース、
同期は約40人。
岡田含め、物故者はすでに3名になる。
その中には夭折のボーカリスト本田美奈子も。

実は、筆者も20代の時最も親しい友人を
自死でおくった。
周囲の者には識るに及ばない葛藤を
本人は長らく抱えて生きた。
彼もまた、大変聡明な人物だった。

それだけに、【同級生】岡田有希子の闇ある死は
今も心深く刻まれる。

光有るところ必ず陰深い。

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