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はすったキラキラ女子とルー大柴

整体で電気をかけてもらいながら
やることがないので
はすってるキラキラ女子について
考えてみることにした

私はSNSが苦手だ
すごーく昔、趣味の宣伝のために使っていたことがあるが
合わなくてやめてしまった
今は宣伝することも何もないので
益々必要がない
私の食べたものや買った服なんぞ、誰が興味あるんだ

ただ行きたいイベントだったり情報がSNSで発信されることが多いので
情報収集に少し不便なことはある

情報収集をしているときに
はすったキラキラ女子によく出会う
はすったキラキラ女子はもちろん自撮りが好きだ
自分を良く見せることにアドレナリンがドバドバでているのが
透けて見える

なぜそこまで
自分がすごいでしょ?
かわいいでしょ?
素敵でしょ?
と見せなければならないのかが疑問なのだ

裏を返せば そのままの自分ではだめだということを自覚しているのか?
でもハッシュタグには
#自然体
#全ての恵みに感謝
#ありのままの自分が好き
とか鬼のようにハッシュタグをつけ
目がチカチカしてくる投稿をしている

なぜなのだ
それをセルフプロデュースというのか

「チャリで来た」


みたいなもんなのか

その盛れた自撮りを加工しているとき
すごい顔している自分のことは 見ないふりをしているのだろうか
たまに自分は何をしているんだろうと思うときはないんだろうか
素朴な疑問なのだ
そういうのを見るたびに
共感性羞恥が発動する

そしてそういう人は必ずはすっているのだ
努力をしていることを
表に出すのがダサいと思っているのか
苦しいことや髪を振り乱して頑張ったことや
一生懸命なことを隠そうとする
サラッとやり過ごすことをカッコいいと思っているのか
よくわからない

でも必死こいてカッコ悪く生きるときもあってよいのではないかなと
思う
それがあって、カッコいいときもあって、またダメダメな時もあって
ぜーんぶ含めて人生のような気がするんだけどなぁ

①わかっているけどセルフプロデュースのために仕方なくやっている
②わかっているけどセルフプロデュースのためと自己顕示欲を満たすためにわくわくしながらやっている
③周りのことは何も考えず自分は素晴らしい人間と思ってやっている

さあどれだ どれなんだ どれでもないのか

先週 歯の手術をした
口の部分以外
全て覆われていたが
局部麻酔だったので
手術中の声は全部聞こえていた
途中から 私の左側から男の人の声が聞こえた
「いいね!verygood!!だね!いいね!」
「らいまるさん、かなり順調よ!verygoodよ!!good!!」
口を開けたままの私の頭に
ずっとルー大柴が浮かんでいた



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