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鍾嵐珠のアイドル観を問う

こんにちは。かみなりひめです。

さて、さっそく本題です。

ラブライブ!
スクールアイドルフェスティバル
ALL STARS(スクスタ)
2nd Season
大荒れですね
……!

いわゆる、メインストーリー
20章というやつになります。

ニジガクμ's(とAqours)の
合宿も無事に終わったその時。

虹ヶ咲学園にはオーナーの娘だという
転校生・鍾嵐珠がやって来ます。

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(楽曲動画を観ないといけない拷問)

彼女こそ、この波乱の中心人物
また、彼女のお陰でDiverDivaの二人
朝香果林宮下愛まで叩かれる始末。

今回は、この大荒れの様相を呈する
メインストーリー20章に触れてみます。

ストーリーを読み進めていって、
嵐珠の言動や行動に「?」を抱いている
人も多くいらっしゃるはずです。

その違和感当然です。

彼女と我々とでは
「アイドル」に対する
価値観が全然違うのですから

※ 以下、ネタバレまみれです ※

1. 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会とは

本題に入る前に、まずは
私の好きな人たちが叩かれている
現状について一言申させてください。

先にも述べた通り、
DiverDiva朝香果林宮下愛
嵐珠のもたらした波乱によって
バッシングを受けているようです。

理由は簡単。

スクールアイドル同好会を去り、
嵐珠の創ったスクールアイドル部
参加することを決めたからです。

「同好会への裏切りだ!」
「奴らは同好会を捨てたんだ!」

そう断じるのは簡単です。
でも、そんな簡単な話でしょうか?

今、残された同好会のメンバーは、
嵐珠の解き放った監視委員に見張られ、
普段の練習すらままなりません。

スクールアイドルとして十全に
活動できないという状況
の中で、
彼女たちの選択は ”完全な” 間違いですか?

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」は
そもそもこういう人たちでした。

東京・お台場にある、自由な校風と専攻の多様さで人気の高校「虹ヶ咲学園」。

各分野で活躍する人材が全国から集まることで有名なこの学校に、 それぞれの夢や想いを抱いて集まってきた生徒たち。

「スクールアイドル同好会」に所属するメンバーも、 1人1人が自分の夢を追いかけながらNo.1スクールアイドルを目指し、 時にライバルとして、時に仲間として日々活動している。

ニジガクはあくまでも
ソロアイドルの集合体です。

ソロアイドル」という設定は、
最近のアニメ版アニガサキ)にも
引き継がれていこうとしています。

μ'sAqoursのように、9人で1つという
ことではないのです。

ならば、それぞれがそれぞれとして
意思を持つことは何らおかしくない
はず。

ましてや、宮下愛朝香果林の掲げる理想は
グループにまとまることが必須ではありません。

そんな愛さんに、さっきの友達が、
『スクールアイドルの世界は愛が今まで見てきたものとは全然違って見えると思うよ。
だから、挑戦してみない?』とか言ってさ。もうね、愛さんテンアゲ!
そんなこと言われたら愛さん燃えちゃうほうなんだよね。
だから! スクールアイドルの世界でナンバーワンを目指すことにしました!
今までモデルの仕事をしても
誰かと競い合うとか、
そんなこと考えたことなかったの

ナンバーワン」になるということは、
他の誰かの上に立つことに他なりません。

モデルの時は競い合うことなんて
考えたことがない、ということは、
スクールアイドルになってはじめて
誰かと競うことを知った
ということ。

確かに、彼女らの行動は情の観点としては
いささか頭を抱える話ではあります。

しかし、彼女たちの直面した現実に対し、
理想のアイドル像に到達するため、
現実的な最適解を求めただけではないか

私は、そう思っています。

ここでは触れていませんが、
しず子だって同じです。

彼女らの選択を尊重し、またみんなで
同好会」になるその日を、
待ちわびていたいと思っています。

2. 「アイドル」の定義を考える

とはいえ。
とはいえですよ。

彼女たちの行動に疑問符がつくのも当然。

自身の目的のためとはいえ、
あっさり同好会から去ってしまうのか?

この点もそうですが、
彼女たちが自身のパフォーマンスを
させてもらえていない
のも
ファンとしてはもどかしいところ。

作中では「バックダンサー」と
かすみんに称されているその通り、
さんや果林さんは嵐珠の後ろにいるだけ。

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彼女たちのパフォーマンスに魅了された
ファンであればなおさら納得はいかないはず。

その根本の原因はあまりにも簡単。

嵐珠の「アイドル」観と
我々の「アイドル」観が
全くもって合わないからです

戦うためには、まず敵を知ること。

最初に、嵐珠の発言を探りましょう。
彼女は「アイドル」をする上で大事なことを
どのように捉えているのでしょうか?

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部室の設備だけではなく、
楽曲制作までもプロの手に委ねる嵐珠

自分の友人たちアイドルとなるならば、
最高の設備と環境でやらせたいという
彼女の親切心でもあるのです。

プレイヤーたるあなたちゃんは、
この発言に違和感を覚えます。

でも、プロが用意したものじゃなくって、
やりたいことを自分で作り上げることも大切なんじゃ……。
悩んで悩んで作り上げた歌だから……みんなは……。

これに対する嵐珠の返答は、

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というものでした。

まとめてみると、

・最高の練習環境で
・最高の楽曲制作陣で
・最高のパフォーマンスが生まれる

ということになるでしょうか。

さて、みーんなに質問です。(CV:クボタ)
「アイドル」とはどんな人でしょうか?

「歌う」「踊る」「ファンを魅了する」……。
その条件は様々に挙げられることでしょう。

では、アイドルは歌も踊りも
プロ級でないといけないのでしょうか?

過去には、某音楽番組のステージで
とある男性アイドルがマイクスタンドを倒し、
それにもかかわらず声が流れ続けていた様子が
放映されてしまったことがありました。

また、某女性グループアイドルに対して
「口パクなんじゃないか?」なんて批判が
飛んでいるのはもはや当たり前の光景です。

それでも彼は、
それでも彼女らは、
アイドルであり続けたのです。

アイドルが、歌や踊りのプロである必要は
現代においてはない
と言えます。

そうでなければ、「歌手」「ダンサー」の
存在価値なんてなくなってしまいますよね。

では、「アイドル」とはどんな人なのでしょうか?
評論家の太田省一さんは、こう述べています。

未熟さを自覚し、そこから脱するために努力する姿は、アイドルならではの〈過程〉の魅力を示すことになるからである。そしてその努力は、無償のものであればあるほど、いっそう価値あるものになる。(太田省一『アイドル進化論』)
目指したゴールに到達し、それまでの過程が終わってしまえば、アイドルはアイドルでなくなるのである。だから、アイドルであり続けるためには、ゴールは永遠に訪れず、つねにその過程にあることが望ましい。アイドルは、“成長途上”の存在であり続けなければならないのである。(同上)

この論に従えば、

「アイドル」とは、常に無償の努力を
ファンに見せ続ける人のことなのです。

別に、嵐珠が用意した環境において、
各人が努力を怠る、というわけではなく。

作詞・作曲・ダンス・体力づくりなどなど、
それらの努力をファンに感じさせ
成長過程をともに歩んでいく存在こそが、
アイドル」と呼べるものなのです。

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このかすみんの姿こそ、
まさに「アイドル」なのでした。

もちろん、香月孝史さんが述べるように、
現代の「アイドル」という語の定義は
とても難しいものであるでしょう。

でも、この太田さんの述べるところに
依拠するならば、嵐珠のアイドル観は
ずれている
ものと言えるでしょう。

さらに加えるならば、
今までの「ラブライブ!」シリーズは
こういった無償の努力を見せることで
ファンを得てきたコンテンツ
です。

特にμ'sにおいては、
キャラクターたちの成長と
キャストの成長とがリンク
してゆき、
絶大なる人気を誇りました。

Aqoursについても、地元・沼津
寄り添った形での展開しかり、
逢田さんのピアノ事件にあるように、
着実に成長を重ねてきました

そんなアイドル観を持つラブライバー諸兄。
嵐珠のアイドル観到底受容できないはずです

3. 今後の展望(というか希望)

当初、同好会を廃部に追い込もうとした
三船栞子さんをも身内に取り込んだ同好会

私も、当初は嫌悪感の塊でした。

でも、そんな彼女でさえも
スクールアイドルにした同好会です。

私は、同好会の底力を信じています。
というか、信じさせてください。

あなたたちは、また一つになれる。

そう、予祝しておきたいと思います。

見守らせてください。
あなたたちの行く末を。
同好会の未来を。

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