"話しかけても無口な人"を安易に「無視してくる人」と決めつけないで【場面緘黙症】
私は小学生~高校生の間(特に小学生の頃)、話しかけられても言葉が喉につっかえて返事ができない、家族や友達とは話せるのにそれ以外の人とうまく会話ができない、いわゆる場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)に悩まされていました。
今回はそれについて、体験談を交えつつお話したいと思います。
ちなみに私は現在克服しており、相手が誰であっても問題なく会話することができます。(話しかけられて返事ができないことも全くありません)
誤解のないように言っておきますが、私は人と会話すること自体は嫌いではありません。むしろ好きな方です。
普段は趣味を楽しんで活動している身なのでこういった自分のつらい過去を語るのはなるべく控えているポリシーなのですが、今回は以下の意図があって思い切ってこのnoteを作成しました。
もっと多くの方に知られて、同じ思いをする人が減ってほしい!
特に場面緘黙症は色々と誤解されやすいので、「配慮をしてほしい」というよりかはとにかく「そういう人もいるからどうか誤解しないでほしい」という思いで書いております。
さすがに小学生の方は見ていないと思いますが、中学生以上の方だったり親御さんだったり先生だったり、主に学校関係者に届いてほしいなと思います。(私の場合、ある程度成長して私自身が気づくまで誰も気づかなかったことなので)
■場面緘黙症とは?
場面緘黙症とは、家族や親しい友人など、特定の人物となら流暢に話せるのに、それ以外の人とは話したくても言葉が喉につっかえて話せなくなる症状です。(主に子供に起きやすい症状です)
症状の程度は人によって個人差があり、「外に出た瞬間一言も話せなくなる」「家族であっても話慣れていない人が同じ空間にいると話せなくなる」という方もいれば、「学校でも親しい友達となら話せる」という方もいます。
言葉が理解できず話せないわけではないので言語障害とは全くの別物です。
学力なども特に問題はありません。
主に強い緊張や不安によって、話せなくなってしまいます。
■一番知ってほしいこと
場面緘黙症で一番誤解されがちなのが、「無視してくる人」「人によって態度を変える人」「性格に難あり」だと思われてしまうことです。
特に、一番知ってほしいことは以下の3つ。
・話しかけて返事が返ってこないからといって「わざと無視してる」と誤解しないでほしい
・特定の人とは流暢に喋れてるのにそれ以外の人とは無口になる人を「人を選んでわざと態度を変える人」と誤解しないでほしい
・場面緘黙症だから(だったから)といって、「変な人」「普通じゃない人」扱いをしないでほしい
場面緘黙症の場合、そういった行為に全く悪意はありません。決してわざとやっているわけではありません。
想像がつかないかもしれませんが、特定の条件下において本当に言葉が喉をつっかえるようになって話せなくなるのです。
喋らないのではなく、喋れないのです。
本当は返事をしたいし、特定の人に限らず誰とでも話したかったです。
■体験談(言われて嫌だったこと・されて嫌だったこと)
まず最初に、「場面緘黙症は個人差がある」と述べましたが、当時の私がどういう状況だったのかを説明しておきます。
私はどちらかというと軽度なほうで中途半端に話せたので、そのせいで余計に気づいてもらえなかった・気づかなかったところがあるのかもしれません。
〇…問題なくできる
△…できないことはないけどうまくできない(声が小さくなってしまう等)
×…ほぼできない
家族との会話→〇
仲良しの友達との会話→〇
文章での意思表示→〇
ジェスチャー(うなずく、首を横に振る等)での意思表示→〇
家族以外の大人(先生など)との会話→△
あまり話したことのない同性の同級生との会話→△
授業での音読・発言→△
異性の同級生との会話→×
家族以外の人間に自分から話しかける・名前を呼ぶ→×(親しい子であっても)
※あまり話したことのない同性の同級生でも、二人っきりであれば流暢に話せることもありました。
上記のような状態だったので、小学生の頃、悪態をついてくる層は主に異性の同級生(私は女性なのでこの場合は男子)が多かったです。
話しかけられても全く返事ができなかったため、「シカトかよ」「おい無視すんな」と頻繁に言われました。(本当は無視したかったわけではないです)
話しかけられた時、私は決してそっぽを向いて無視するそぶりを見せたわけではありません。ただ、その場で硬直してしまい、相手の顔をじっと見つめることしかできませんでした。頑張って声をひねり出そうとするのに、必死だったのです。
※ちなみにそんな状況下でも親しい友達がいたのは、私がうまく話せなくても積極的に話しかけてくれる子がいたからです。(積極的に話しかけられていくうちにだんだんその子と打ち解け、仲良くなった)
●言われて嫌だったこと
「普通喋れるでしょ」
「○○って言ってみて」(卑猥な言葉を言わせてくる人もいた)
「シカトすんな」
「調子乗んな」
「甘えんな」
(たまに喋ったとき)「喋ったー!」「笑ったー!」(まるで動物園の珍獣が人語を話し始めたかのような扱い)
●されて嫌だったこと
・質問責め
私を責めたてる口実を作るためにどうでもいい質問をしつこくしてくる→返事がなかったら私を悪者として責め立てる
・声真似
当時は言葉が喉につっかえて話せなかったので、声が出たとしても小さく、低音の不自然な声になってしまうことが多くありました。
声を発したときの反応で特に傷ついたのが以下の反応です。
「ねえねえ、さっきの聞いた?めっちゃ声気持ち悪かった!」と私の目の前で私の声真似をして周りとゲラゲラ笑っている女子がいました。
そういうの本当にやめてほしいです。余計に自分の声がコンプレックスとなり、話せなくなってしまいます。
・やってもいない罪を押し付ける
私が何を言っても反抗できないと味をしめたのか、やってもいない罪を私のせいにしたり、「本当のことを言えよ!」と尋問したりしてくる人もいました。
また、廊下を歩いているときにわざとぶつかってきて「謝れよ!」と責めてくることも。
・目の前で悪口を言う
同様に、「こいつは何を言っても言い返せないだろう」と味をしめて、本人の目の前で悪口を言う。
・運動会の応援など、声を出さないといけない行事で必要以上に責め立てる
例:「お前が声を出さないせいで負けたんだぞ!」
これこそ、場面緘黙症という存在を知って、理解してほしいところです。
学校において、運動会の応援・合唱コンクール・発表会など、声を出さなければならない行事で、場面緘黙症の子はいじめの標的にされがちです。
中学生の頃、体育大会の応援練習で大きな声が出ず、周りの女子からひどく責め立てられたことがありました。
先生が「○○さん(私)は自分なりに頑張っている」とフォローをいれてくれても、私を責め立てた側は「でもあの子△△さん(私の友達)とは普通に大きな声で喋ってたし、絶対わざとです!」と主張していたようです。
もしもこの時、場面緘黙症という存在が知られていたら、こういう誤解も解けたのだろうか…と思ったりします。
・「甘えんな!」と厳しく叱責する
これは同級生からというより、当時大人から言われて余計に追い詰められた言葉です。
小学校~高校の一部の先生、親は「甘えんな。自分でちゃんと頑張って喋れ」と叱責するスタンスでした。
私は決して甘えていたわけではありません。自分なりにどうしたらいいか、いろいろ考えていました。
「もっと人と会話しろよ」って言われても、当時の私にはどうすれば話せるようになるのか分からなかったのです。(そもそもなぜ自分が喋れないのか分からなかった)
それができれば、何も苦労はしません。
Q.この商品なぜか売れないんですよ、どうしたらいいんでしょう?
A.じゃあ売ればいいじゃん
と言われてるくらい投げやりです。
・赤ちゃん扱い
優しさのつもりでやってるのかもしれませんが、同い年なのに年下のように扱われて嫌でした。
「○○するの楽しいでちゅか!?」みたいな
喋れない=知能が低い
ではありません
知能レベルは周りの同級生と大差ありません。
・過剰に優しくする
これに関しては人によりけりなので、あくまで"過剰に優しくされるのがかえって苦手な人もいる"と認識してほしい…というのが大前提です。
上記の「赤ちゃん扱い」と少し類似しているところですが、他の同級生とは冗談を言い合ったりしてワイワイ盛り上がっているのに、私に対してはまるで腫れ物を扱うかのように過剰に優しく接してくる人がいました。
例:「○○ちゃん、私が優しく教えてあげるよ~」「一緒に遊んであげるよ~」のように、同い年なのにまるで年下の子供をお世話するかのような語りかけをする等
もちろん、それがその人なりの善意だったことは理解していますし、その人を恨んだりはしておりません。
しかし、私の場合は、「周りと違う特別な人間」としてではなく、周りの同級生たちと同じように接してほしかったです。
実際、特定の条件下で言葉が喉をつっかえて話せないだけで、中身は周囲の人と同じように、感情があり、趣味があり、冗談を言ったり、勉強したり、遊んだり、音楽を聴いたり、歌を歌ったり……いたって何の変わりのないごく普通の人間なのですし。
だから、「変な人」「普通じゃない人」「ワケありな人」のような扱いはどうかやめてほしいのです。
※小学生の頃親しくしてた友人や、今でもつながりのある友人たちは決して私を特別扱いせず、周りと同じように接してくれて感謝しています。
「話してみると面白い子だよ」と言ってくれた人もいてとても嬉しかったです。
■配慮について
どうしても場面緘黙症の子と必要なやりとりをしなくてはならない場合、どうすればよいのか。
まずは口で話しかけてみて、話せないようだったら筆談を勧めてみてください。
最初に述べたように、場面緘黙症は言語障害ではありません。言語は理解できています。
※「話しかけて返事が返ってくるまで待つ」というのはプレッシャーになり、余計に話せなくなってしまうのでやめてください。
また、私のように「過剰に配慮されることがかえって苦手」という場合もあるので、配慮はあくまで筆談を勧める、話すことを無理に強要しない、声が小さい・うまく喋れないからといって責め立てない…等にとどめておいてほしいです。
無口で何を考えているのか分からなくても、知能の発達が遅れているわけではありません。適度な配慮はしつつ、基本的には周りの人と同じように接してください。
■どうやって克服したのか
私の場合、成長と共にだんだん喋れる相手の層が広がっていき、高校卒業後にようやく誰とも会話できるようになりました。
つまり、自然治癒なので明確な改善法を知っているわけではありません。申し訳ないです。
しかし、もしこれを読んでいる方に心当たりがある場合は、病院にかかって早めに治療をおすすめしたいです。(誰しも私のように自然治癒するとは限らないので)
私の場合はそれが難しい環境だったのである程度の年齢まで引きずってしまったのは仕方ないのですが、もしも小学生の頃に治療をしていたら…もっと早めに治っていたのかもしれません。
子供を持つ方で、「自分の子がそうかもしれない…」と思ったら、「うちの子に限ってそんなことない!ただの甘えだ!」と見栄を張らずにちゃんと支援をしてあげてください。
学校の先生で、自分のクラスにそういった子がいる場合は筆談でも良いのでその子の話を親身に聞き、クラスで話をするなど理解を浸透させてほしいです。
■最後に
体験談を中心に語りましたが、もちろん自分自身も反省している点が多くあります。
当時、話しかけてくれたのに反応できなくて、嫌な思いをさせてしまったことに関しては本当に申し訳なく思っています。
思い返してみると「あの頃もっとこうすればよかったな…」「あれはちょっとまずいことをしたな…」と、反省点ばかりです。
特に、喋れないのなら「私は喋りたくても喋れなくなるんだ」「決して悪意があってわざとやってるわけじゃない!」という意思表示をもっと積極的に文章で行えば良かったな…と今となっては思いますが…所詮は子供、当時小学生だった私にはそこまでの発想には至れなかった+それを的確な言葉で伝える語彙力もなかったため……まあ、当時のことを悔やんでも今更仕方ないのかな…というところです。
当時とは比べ物にならないほどの精神力と語彙力と身に着けた今だからこそ、こうして意思表示ができているのだと思います。
話しかけても返事がない=無視されている、と誤解してしまうのは、ある程度仕方のないことなのかもしれません。(私を責めていた人の中にも本当は悪意がなく、知らなかっただけの人もいるかもしれませんし…。)
しかし、どんなに無口であっても、感情を持った人間です。
上記でも述べましたが、
特定の条件下で言葉が喉をつっかえて話せないだけで、中身は周囲の人と同じように、感情があり、趣味があり、冗談を言ったり、勉強したり、遊んだり、音楽を聴いたり、歌を歌ったり……いたって何の変わりのないごく普通の人間なのです。
決して性格が悪い人ではありません。
変な人でもありません。
そこだけはご理解いただきたいです。
少しでも場面緘黙症への理解が進み、誤解する方・誤解されて苦しむ方が減ることを望んでおります。
※見出し画像は写真AC様(https://www.photo-ac.com/)よりお借りしました。
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