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【初版】御伽話「人魚物語」

むかしむかし、ではない、
この世界とよく似たどこかのお話。

あるところに、人間の世界に憧れた人魚がいました。
彼女は魔女に相談しました。
「私の自慢の尾ヒレをあげる。どうか私を人間にしてほしいの」
魔女は少し悲しい顔をして、言いました。
「ごめんなさい、尾ヒレだけじゃ人間にしてあげられないの…。でも、二度と人魚に戻れなくてもいいのなら、特別に人間の足をあげましょう」
優しい魔女は、彼女の美しい尾ヒレと引き換えに、人間の足を彼女にあげました。
彼女は人魚界に別れを告げ、人間として生きることになりました。


彼女は物語を作ることが好きでした。
そこで、人間になった彼女は物書きになることにしました。

日々の生活のかたわら、物語を書き上げ、できたものをネットにアップ。彼女の物語は、たくさんの人に注目されるほどではありませんでしたが、時たまもらえる「いいね!」のリアクションが彼女の励みでした。
こんなささやかな日常だけで、彼女はとても幸せでした。

ある日、ネットにアップしていた物語に、1つのコメントがつきました。

「もしよければ舞台の脚本を書いてくれませんか?」

彼女は驚きました。
こんな、プロでもない自分に、舞台の脚本?

コメントをしてきたのは、役者の青年でした。
「あなたの生み出す世界がとても好きなんです。試しの1回だけでもいい、これから立ち上げる予定の劇団のために、脚本をお願いしたいのです」
彼からの熱いメッセージに押された彼女は、「お試しでいいのなら…」と脚本を書いてみることにしました。


2ヶ月後、彼女は初めての脚本を書き上げました。
彼はとても喜び、旗揚げ公演の舞台でこの脚本を上演することにしました。
3ヶ月後、公演当日。
彼女は内臓を全て吐き出してしまいそうな気持ちで劇場に向かいました。こんな、水の外でえら呼吸ができない時のような感覚は久しぶりだわ、なんて思いながら。

しかし、そんな不安のあぶくたちは、舞台の幕が上がると同時に弾け飛んでしまいました。幕が開けたその中には、彼女の中で駆け回っていたキャラクターたちが、彼女の中にあった世界そのものがありました。舞台は大盛況。鳴り止まない拍手、スタンディングオベーションのもと、幕を下ろしました。

終演後、彼女は興奮のままに、彼のもとへ。
「私の物語を素晴らしい舞台にしてくれてありがとう。とても感動したわ、とても幸せ。」
「君の描く物語が素晴らしいから、良いものにできたんだよ。君がもしよければ、どうかこれからも書いてくれないかい?」
「…私で、よければ」

彼女は脚本を書き続けることにしました。

その不思議な魅力を持った脚本と、一際人を惹きつける彼のお芝居が評判を呼び、彼の劇団は徐々に注目されるようになっていきました。

でも彼女にとって、注目されるなんてことはどうでいいことでした。
自分の頭の中に湧いてくるだけだった物語が、今は現実の世界にまで溢れ出して、目の前に存在している。彼女にとって、もはや十分すぎる幸せなのでした。

そしていつしか、自分の物語の中で一際輝く彼の姿に、彼女は恋をしてしまったのでした。


そんなある日、彼の劇団にとある役者の女の子が入ってきました。

その女の子も彼と同様、彼女の物語を愛する1人でした。
さらに、その中で輝く彼の姿に憧れた彼女は、
「私も物語の一部になりたい!」と、この劇団へやってきたのでした。
彼と女の子は意気投合、2人をメインキャストに置いた舞台が大成功したことも重なり、2人は名コンビとして有名になりました。

彼女を置いて、仲を深めていく2人。注目されていく2人。
彼女は筆が進まない日が続くようになりました。


数カ月後、とうとう筆が止まってしまった彼女は「脚本が思うように書けなくて、当分新作を書き上げられないかもしれない」と彼に打ち明けました。彼は優しく微笑んで、「急ぐことはないよ。君の物語あっての僕らなんだから。いつまでも待つさ」と言いました。
「ありがとう。…でも、物語がどうしても浮かんでこなくなってしまったの。また書けるようになるのかも、今はわからない…。どうしたらいい?」
泣き出してしまいそうな彼女に、彼は言います。
「それじゃあ、自分の理想の世界を物語にしてみるのはどうかな?」
「理想の、世界…?」
「そう、自分が見たいものとか、欲しいものを詰め込んだ物語」

自分の、理想の物語。
自分が求める、物語。

彼女は少し考えて、答えました。
「…人魚が、報われる話が書いてみたい」


彼女は人魚の恋物語を書くことにしました。

気持ちが定まった途端、今までの筆の重みが嘘のように、
こんこんと物語が湧いてきました。

"海辺で歌う青年に恋した人魚。
人間になる代償として声を失うも、想い実らせ、青年と結ばれる。"
・・・そんな物語。
これはまさに、彼女の求める物語でした。

しかし、物語のクライマックス、
ついに想いが実り、青年が人魚へ愛を伝える場面に差し掛かったところで、
彼女の筆が再び止まってしまいました。

青年から人魚へ。
言ってほしい言葉は決まっています。
『君を愛している』
それなのに、どうしてもこの手は、その言葉を紡ぎません。

どうして?
ここは理想の世界。
私が見たいものを、ほしいものを閉じ込めた世界。
私はこの言葉を、彼の口から聞きたくてこの物語を始めたんじゃないの。

どうして、どうして。
あぁ、原稿の文字が、水天井の月のようにぼやけていく。
鼻の奥で、かすかに海の匂いがする。

遠くの海から、誰かの声が聞こえる。

『聞きたい言葉は、私が綴るものでいいの?』

誰かの、声が聞こえる。

『私が欲しい言葉は、「私」の言葉じゃない』

『私が欲しいのは、「大好きなあなた」。その人の言葉』

『違う?』

…あぁ、そうだ。
私が欲しいのは、私が言わせる言葉じゃない。
あなたから湧き出る言葉。

―――この問いかける声は、私の声。

これは私の理想じゃない。
こんな世界はだめ。

夢を、夢とわからなくなってはだめ。

その声で聴きたい言葉を書き連ねるよりも、
ただ私の気持ちを綴る方がいい。

この言葉をあなたが口にすることで、
一瞬でも私と同じ気持ちを思ってくれるのなら、
私はその方がいい。

幻想を押し付ける虚しさよりも、
何も気づかないあなたが
私の思いを口にする皮肉の方がいい。

自分の夢に酔って喜ぶよりも、
何も気づかないふりをするあなたの
声に泣く方がいい。

―――そうだ。そうだった。


彼女は、目から溢れたしずくで小さな海ができた原稿を、
海ごと丸めて捨て、もう一度、物語を書き始めました。


半年後、待望の新作公演が上演されました。

タイトルは「歌えぬセイレーンに愛の歌を」

"海辺で歌う青年に恋し、人間になるために声を失った人魚が、
彼を振り向かせるために歌を作り続ける。"
そんな、お話。

舞台は満員御礼、大盛況。
終演後、いつものように、彼女は彼のもとへ向かいます。

舞台袖、劇後の興奮を語り合うみんなの中心に、
青年役の彼と、人魚役の女の子の姿はありました。

落ち着くまで待っていよう、そう思い、少し離れようとした瞬間。
パチリと合う視線。

すぐさまみんなをかきわけてやってきた彼は、
彼女の両手を握り、興奮冷めやらぬ様子でまくしたてます。

「不思議だ。今までも最高の脚本だったけど、今日の舞台はもっと特別だったように思う。やっぱり君の紡ぐ物語は最高だよ!」

「我儘を言っているのは重々承知だ。だけど…君が綴っていく新しい物語をもっと見たいし、もっと体験したい。どうか、また…新しい世界を見せてくれるかな?」

彼女は微笑んで、答えます。
「新しい世界を見せてくれているのは、あなたよ。私じゃない。
私は書くわ。書き続ける。それしか私にはできないから。」

彼女の言葉に喜びつつも、彼は少し困ったように答えます。
「それしかできない、だなんて言わないでおくれよ。
君が紡ぐから、特別なんだ。君じゃなきゃ、だめなんだよ」

彼女はふふふ、と笑って答えました。
「もう、セイレーンのセリフ、忘れたの?」

ぽかん、とする彼。

「『いつか彼が、この愛の歌と同じ想いを私に感じてくれたらいい。
彼に贈る愛の歌が、私のために歌われる日が来ますように。
私は歌えぬかわりに、歌を書き続ける。それしか私にはできないから。』」

セイレーンのセリフを流れるように口にする彼女は、どこか妖艶で。
さながら船人を魅了するセイレーンのようだと、彼は思いました。

「『いつまでも、いつまでも、あなたを待っている。』
…私は書き始めたわ。あなたはいつか、歌ってくれる?」

さっきまでの興奮とは違う上気で顔があからんでいく彼。
そんな彼に背を向け、彼女は舞台袖を後にします。

あぁ、なんだかふわふわして、足があることを忘れてしまいそう。

空を泳ぎだしてしまわないように。
歩き方を忘れてしまわないように。
力強い足取りで、彼女は劇場を後にしたのでした。

これは、「むかしむかし」ではない、この世界とよく似たどこかのお話。
まだ終わらない、人魚が歩む物語。

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