文字を打つことはワイキキビーチである
1文字打てばこっちのものである。今日も日記を書ける。すなわち勝利である。もっと言えば、エディタを開いた時点で勝ちは決まっていたし、ブラウザを起動した時には勝機が見えていた。
勝機は見えるものでしたっけ?
まあいいとして(私は厳密性を求められる立場ではないのだし)。
キーボードを打つのは気持ちのいいことであります。自分の行いに対して、「音」が聞こえ、さらには「文字」が画面上に現れるのです。人は自分の動作にすぐにフィードバックがあることを好むのだ。
では、なぜ毎日書くことは難しいのか。それは概念と戦っているからである。日記やブログを書く、毎日書く、何文字は書くという抽象性にトライするから負けるのである(仮説として)。
本来気持ちいいはずのタイピングに意味や目的を与え、義務化することで、行うことが難しくなるのである。我々は、本来的にはただ楽しめばいいのである。
思考が、自分の指を伝って、可視化される過程を楽しめばいいのである。それは、純粋な喜び・楽しみ・ウキウキ・ワイキキビーチである。
日記を6日続けて書いただけで、この有様である。自信過剰に拍車がかかり、頼りない仮説を元に、人生の本質を解こうとしている。これが、物事が長続きしない要因である。
しかも、「日記」と銘打ちながら、日記の体をなしていない。日記を書く人、ニッカーとしては落第確定であります。
ニッカーなどという寒い造語を創りだす始末でございます(さらに、作るではなく創るを選ぶあたりが致命的でございます)。
自分の悪い癖が存分に発揮されてきたので、今日はそろそろやめにします。
(明日は日記らしい日記を書こう)
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