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片岡義男著、小説「彼のオートバイ、彼女の島」を読んで。


「彼のオートバイ、彼女の島」は、古き良き昭和の青春物語だ。
また、令和の世から見れば古典とさえ言える作品だ。
主人公の「コオ」は、都内の音大の四年生だ。しかし大学へは滅多に通わず、好きなオートバイを使ったアルバイトに明け暮れている。
そんな彼が東京を離れ、信州にいるところから話が始まる。すぐにヒロインのミーヨに出会う。
東京に戻ったコオは、抱えていた問題を解決し、しばらくしてから彼女の故郷がある島に向かう。
ここまでで「彼」「オートバイ」「彼女」「島」が出揃う。
そしてここまでが夏の話だ。ここまでで全体の半分を費やしている。
この後の4分の1が秋、次の8分の1が冬、最後の8分の1を春と二度目の夏が分け合っている。
そんなバランスだ。
夏で始まって夏で終わり、半分以上が夏であるこの物語は間違いなく夏の物語だ。

昭和40年代生まれの私から見ればこれはノスタルジーを感じるし、30年代生まれの人にはそれ以上のものがあるかもしれない。一方で昭和50年より後の生まれの人には、これは古典かもしれない。
本作はオートバイや自動車、地名など固有名詞が多く出てくる。また必然として、国鉄、固定電話と言った昭和な事物が出てくるし、決闘、暴力、器物損壊など当時から違法な行動も描かれる。またタバコの扱い方や女性差別的な感覚に現代との隔絶が感じられることもあるだろう。
また違法な行動については、当時から違法であることに変わりがないのだが、当時は校内暴力や家庭内暴力が大きな話題になっていた頃でありまた、不良文化への憧れも一定量存在していた時代だ。
著者自身がコオとミーヨは対等だと述べており、他の登場人物に比べればジェンダーレスと言えなくもないが、コオがミーヨに命令的な口をきくことも少なくない。令和の価値観からすれば、男女平等と言う感じはしない。この父権に由来するような感覚は不良性とも相まって、男らしさとされた時代なのだと思われる。

この作品は目的を感じさせない。コオとミーヨの恋愛を軸にしているが、恋愛が主題ではない。まあオートバイもほとんど出ずっぱりに出てくる。ツーリング、プレスライダー、サーキットと出てくるが、これらについて何かを成し遂げていくわけでもない。
環境に変化はあるが大きく何かが進むことはない。また、わずかにあった小さな目標についても、曖昧なままに終わっていく。そんな物語をどう終えたかということになると、脇役のナミが大きな動きを見せ、ある程度のクライマックスを迎え、主人公らふたりは、これに便乗する形で、なんとなくそれらしい結末を迎える。
こう書くと低い評価のようだが悪くない。このような物語であるなら、このぐらいの終わり方が良い。コオが死んだり、ミーヨが失踪するより、ずっと良い。

もうひとつ作品の特徴に触れて終わりにしようと思う。それは気の利いた洒落た会話だ。この作品の登場人物はいわゆる説明口調を使わない。ライディングテクニックなどについて説明するシーンはあるが、くどくない。多くのセリフは1語から数語の1センテンスぐらいだ。洒落ている。この洒落た会話のテイストや固有名詞の多さ、都会の若者感はのちに田中康夫氏が発表する「なんとなくクリスタル」と通じるところがある。後者は暴力や体育会的なノリを配して、より都会的で文化的な香りのする作品だが。
さらに作品の共通点に思いを巡らせると歌える喫茶店「道草」の店主と思しきおばさん以外の(セリフのある)登場人物は皆20代だ。たしか「なんとなくクリスタル」も中年や老人はほとんど出てこなかったと思う。そのことも会話のセンスの良さと関係あるのかもしれない。

これも、「なんとなくクリスタル」との共通点になるが、作品に強いメッセージ性も教訓もなく、ことさら美文にこだわるわけでもない、この物語に何があるのかと言うと、子どもの頃の私が憧れたヤングアダルトの理想的な姿があったのだと思う。日本の世代分類で言うとシラケ世代と言われた世代が20歳前後だった頃の物語。実際にこの作品が連載されたのは1970年代だが、私が愛する1980年代カルチャーの先駆け的作品なのだろう。だから、個人的な思い入れは強い。
その意味で、1980年代以降のお生まれの方にはピンと来づらい作品なのではないかとの危惧もあるが、思い切って古典として読むと楽しめるのではないかと思う。
機会を見つけて、映画版を見直したり、片岡氏の別の著作も読んでみたい。

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