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【ひとりごと】石を拾って自己承認




今はもう全くそう思っていない、黒歴史の類だが、

「考えすぎだよ、気にしなきゃいいよ」という言葉は
視力が強くて頭痛を起こした人に「目を潰せば解決だよ」と助言するのによく似ていると思っていた。

頭を痛める私を「考えすぎだよ」と呆れたり笑ってくれる人たちはみんな私に優しかったので、

「わたしより遠くが見えない人たちに合わせて目を潰さないといけないのはなぜですか」と問うことはさすがにできず、

しばらくしてやっと、
それは多かれ少なかれ誰もが持つ苦悩だと理解して、
見えないふりができるようになったけれども、

取るべきだった選択肢、
起きたかもしれない奇跡、
既に抱えた苦悩、
退屈な縛り、
逃げたいと叫ぶ本性と
それを引っ叩いて許さない自我とか
他にもたくさん、

見ないふりをしたところで
確かにあるそれらをどうしたらよいかは、結局誰ひとり知らせてはくれなかった。

そうやってしばらく煩雑な時が過ぎて、

そして気がついた、
莫大な情報に脳を浸すあいだだけは
それらを視界から外していられるということに。



そう例えば、
指でつまめるほど小さいのに、わたしが足元にも及ばないほど長寿である地球のかけらとか。

時間をかけて層をなし、

時間をかけて削れ、

時間をかけて揺蕩い、

時間をかけて打ち上げられ、

時間をかけて積み重なり、

たまたま私の足元に

掌サイズで現れた、不思議な物質。


長大なプロセスと意味もわからない
美しさだけを重ねて、

上下も、左右も、主張も、抵抗も、

生まれた理由も、何もない。


情報が終わらない。


安らかだ。





そうか。

私は間違っていた。

見えないふりなんかしなくていい、
まして目を潰す必要なんか。

ただ諦めて、頭が痛いと泣きながら、

忘れ去られた地層とまだ知らぬ天の間で
お前しか見えていない星を
寂しく愛でていればいいと、

わたしはずっと、誰かにそう知らせてほしかったが、

その役割は、人ではなかったのだった。

嬉しいような、寂しいような、果てしなく怖いような、
石を眺めて滲んでくる自分の涙がどういう感情なのか、
いまだによくわからない。





こんなことを言葉で語るというのは、
中途半端で悔しいことだ。

でもしょうがない。これが今の精一杯だ。

少しずつ向かっていけたらいいと想う。

外世界へ、知らせを発している側へ。

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