見出し画像

足で雑巾をかけ、袋サラダを直箸で食おう/原初のクリエイティビティに想いを馳せる(2,114文字)


ーーー


前に働いてた事務所の話だ。

そこは毎朝スタッフがオフィス全体を軽く掃除してから業務が始まるのだが、
あるスタッフは仕事場の床を這って雑巾がけするのが嫌だったらしく、足で雑巾を使っていたところを見つかって怒られてしまったらしい。

雑巾掛けをしたスタッフも、渋い顔でその話を聞かせてくれたスタッフも、一緒に働いたことがある先輩たちだ。
雑巾で怒られた先輩は大変行動力のある人だった…若干ゴーイングマイウェイなところがあり、チーム仕事だとよく矯正されてしまうようだが。

わたしはその話を聞きながら「あの人らしいオモロエピソードだな」という感想と「それで怒られる環境ではやはりわたしは働けなかったな」という一抹のほろ苦さと、

もうひとつ、

専門学校時代、お昼ご飯にコンビニの袋サラダを買ってきて、袋から直箸でモリモリ食っていた同級生に軽いショックを受けたことを思い出したのだった。

なんでこれ思い出すんだろう。
みたいなことはたまにある。

この時もそうだ。わたしの無意識がわたしより先に「その2つの話は同じカテゴリである」と紐つけた時、そういう繋がり方をするのだが、

わたしの理解は追いついていない。
何が共通するんだろうとぼんやり考えてみて、

そうか、わたしにとっての“クリエイティブ”が
その2つなんだ、と理解した。


ーーー


”クリエイティブ(創造的な・独創的な)”という言葉は現在、いわゆるデザインや動画編集など、何かしらの(商業)コンテンツを生産する人の呼称になっている。

わたしは大学を中退した後ゼロからグラフィックデザインを学び、好きになったクチだけれども
”クリエイティブ”が”専門職”を指す状態にはずっと強めの違和感があった。

あいや、違うよ。
もちろんデザインや動画編集も立派なクリエイションだ。彼らとそのコンテンツを軽視している意図は全くない。

わたしが言いたいのはむしろ逆で、
それが立派すぎる、ということだ。

世間が”クリエイティブ”と評価するアイデアやテクノロジーの範疇が、あまりにも狭義。
それはプロ/アマという区別であり、狭義だからこそ価値がある…のはもちろんわかる。

でもその“専門職”が登場するはるか昔にも、Creativity という概念は存在していたはずだ。

わたしたちが”クリエイティブだ”と感動した原初の行為。
それはいったいどういう類のものだったんだろう。縄文人の土器か、男女の交わりか、神様の創世か、はたまたその物語か…

何が言いたいかというと、
”クリエイティブ”とは本来すべての人間に潜在する、もっとありふれた性質のはずだった。
特別な人間や技術者の専売特許とかではなく(個体差はあるだろうが)。

専門家は専門家として君臨していて構わない。
でもいつのまにかそれ以外が切り離され、黙殺されていること、
「自分はセンスないから」など、個々の心理レベルでもその乖離が見受けられることは、なんとも息苦しくて寂しいことだね、と想う。


ーーー


と風呂敷を広げまくったところで、
冒頭に話を戻そう。

雑巾掛けは朝のルーティンで必要だ。
でも狭い場所を這いたくないし、腰にも負担。
じゃあ、足を使えばいいか。

別に(ほんの数分我慢して床を這えばいい)と服従するか(なんで自分が床を這わなきゃならないんだ!)と断固拒否してもよかったはずだが、
それでは「より器用に身体を使う」というアイデアは生まれなかった。

そして、

サラダを食べたいけどカップ入りは高いし、
もちろん学校に皿はない。
じゃあ、袋を皿に置き換えればいいか。

別に(サラダは器がないと食べられないよね)(紙皿を買うか…)と諦めてもよかったはずだ。
でも、それだと「置き換える」というアイデアは生まれなかった。

「現状を認めつつ、服従も全拒否もせず第三の手段で不快を回避しようとした」この2つの常識はずれは、

「いや行儀悪ッ!!」とも解釈できるし「なんてクリエティブなんだ(感動)」とも解釈できる。残念だがその2つはしばしば裏表だ。

いやまあね。当人たちは絶対そんな深いこと考えてなかったのは知ってる。
でも「深く考えずに」スッとやっちゃった…というところが、むしろ原初の創造性を色濃く感じるんですよ。


カラフルなデザインとか奇抜な形とかウィットに富んだ編集もいいけど、
そういう粗野で、しょうもなくて、だからこそ思いつかんわ、みたいなクリエイションの方が、わたしの無意識は好みのようだった。(難儀だ)

そういうわけでわたしは日々「何やってんだこいつ」という行動こそ手を叩いて喜んでいる。

おわり。



ーーー





あとこれは個人の感想なんだけど、

「足で雑巾掛け」を怒った側は、
怒るよりも「足でやらざるを得ない面倒」自体を除去する方向で考えてほしかったです。
具体的には、クイックルワイパーとか支給してよ。たいしたコストじゃないでしょ。

仕事のために氷のナイフのようにクリエイティブを研ぎ澄ませるのは素晴らしく尊敬に値することだけれども、
部下や自分自身(自分自身・ここ重要)の環境改善にもその才能を発揮してほしい…ほんのちょっとでいいから。

と常々思っていたが、経営の苦労も知らぬわたしのような弱者にそんな偉そうな口を叩く権利はないのだった。

うーん。ほろ苦い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?