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最も厄介な現実逃避は

僕には異常なまでの現実逃避癖がある

これは小学生の頃からずっとそうだ。僕が(一応)女の子にもかかわらず、ここでの一人称が「僕」なのもきっとその一種だ。ちゃんと自分と向き合うのが嫌だからだろう。

ちなみにリアルでは「私」だから、「コイツヤバいレベルの社会不適合者なのでは…」と心配などはしないで欲しい。

一人称もそうだが、僕の現実逃避の手段は色々ある

例えば小学校低学年の時は、本。ファンタジーをひたすら読んでいた。僕は小学校から電車通学だったから、毎日の電車内と、歩きながらと、家でも、本を読んでいない時間がなかったくらいだと思う。本を読むことは、親に賞賛された。

高学年から高校生まではゲーム、ポケ〇ンやパズ〇ラ。ゲームとなると、家族は批判的になったから、ここで自室に篭もる癖がついた。平日は1日8時間、休日は16時間のプレイ時間。頭おかしい。BGMや効果音の幻聴が聞こえるのは日常茶飯事だった。

これが良くないのは、これらのツールを単なる依存ツールとして使用している点だ。「ああいまこれにハマっていて本当に楽しい!」と思いながらやっているのなら幸せだろう。

僕の場合は、惰性でそれらを続けてしまう。やるべき事を先延ばしにし、更にその事実から逃れたくて、さらに没頭してしまう。デフレスパイラル。

本やゲームを心から楽しんで、学んだ知識をどこかで生かすとか、ゲームのプロになってみるとか、そういう人になればいいのに。

最も厄介な現実逃避の種類

本とかゲームとかはまだいい。人との話題になるし。

やっかいなのは、心を病もうとする系。心を病む理由はいろいろあると思うけれど、僕の場合は、"現実のあるがままの自分"から目をそらしていることが、この精神不安定な状態を引き起こしている。

たとえば、物事を悲観的に考えすぎるとか。

僕は"5人以上の飲み会"がマジで苦手だ。5人以上の飲み会が終わった後は、恒例の自分大反省会がスタート。

あの時他人の○○という発言に対し笑えなかった。空気を悪くするような一言を挟んでしまった。なにを話せばいいかわからず微妙な表情をしてしまった。

自分の言葉や表情、場の空気を思い返す。「じゃあ次からは気をつけよ!おしまい。」には残念ながらゼッタイならない。

あの時笑えなかった私の深層心理には、低い自己肯定間や高いプライドがあって、それをきっと見抜かれただろう。ちっぽけな醜い人間だと思われたに違いない。他人を気遣う一言が離せないなんて子供から成長していないじゃないか。わがままに甘やかされて育てられたからこんなダメ人間なんだろう。あの人は何を考えているかわからない、対応に困る。そう思われたはずだ。協調性がないなんて社会を形成する動物として向いていない。

そもそも僕がそのような性格になってしまったのはいつからだろう。あの時だろうか。いや、あの時だろうか。そういえば昔にはああいう嫌な思い出もあった。ああ、あの時から僕はダメな人間だったのか。もう無理。死んだほうがいい。生まれ変わるしかない。でも死んだら家族が…

たった2時間の飲み会のあとで僕の思考はここまで落ち込む。悲観的すぎる。ここまで悲観的だと、単なるネガティブではなく現実逃避の一種なのだと思う。"飲み会を楽しめなかった自分"を認めたくない。認めたくないから、思考をずらす。反省会を行って、原因を特定しようと、改善しようとする"フリ"をして、終着点は"泣いてスッキリ"。

これは現実逃避だ。そう客観的に認知しなければ「なぜ自分はこんなに心が弱い人間なんだろう」とか、「もしかして自分病んでるのかな」、「自分は本当に死にたいと思っているのかな」など、また無駄な思考が始まってしまう。

現実の自分をちゃんと受け止めてあげないことは、「自分虐待」なんだってどこかで見た。

でも今の僕は、「うけいれてあげよう」と思ったとしても、どうしても自分への嫌悪感をぬぐえない。

いつかこの嫌悪感も、現実逃避も、なくなる日が来るのだろうか。

そう願って今日も生きる。

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