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伝えようとする気持ち、言葉に頼りすぎないこと。

「バァ!バァ!」と1歳次男が机の上を指差しながら叫ぶ。

のどがかわいたのかな?とお茶をみせるも「ヤー!」と激しく首を横にふる。

うーん、ちがうのか。

これかな?と、次男が大好きなリモコンをみせるも、「ヤー!」

もしかして、とバナナを手にとったら、やっとわかったのか!と言わんばかりに「バァ!バァ!」と目をキラキラさせる次男。


「バナナ?」と聞くと「バァ!」と言ってもう手を伸ばして、バナナをつかまれていた。

ちょっと待って、と声をかけてかわをむきバナナを食べさせながらふと気付く。

あれ?いま、めちゃくちゃ意思疎通してなかった?

なんかコミュニケーションのキャッチボールしてる感じがしたぞ。


そこから数日、1歳になったばかりの次男は独自の言葉をどんどん発している。

わたしのことは「マァマァ」である。

まだ言葉になっていないけど、シチュエーションとかけあわせるとこちらが察せるレベルで、わかる。


いままで泣くことだけで意思表示をしてきた次男。

それが、自分の意思を表示するために、言葉を発し、指を差し、実際にその場所に行ったり、それをつかんだり、一生懸命に伝えようとしている。

その一生懸命さになんだかとても心を動かされた。


言葉は便利だ。

言葉によっていろんなことをわかりやすく伝えることができる。

だけど、言葉でうまくつたわらなかったりすれ違ってしまうときもある。

それに傷ついたり、傷つけたり、伝えることをあきらめてしまうときもある。


言葉が話せなくても、次男は一生懸命伝えようとしてくれて、それが伝わる。


ふだん言葉だけに頼っていないだろうか。

相手に伝えようしているだろうか。

相手の言葉以外からも伝えたいことを受け取れているだろうか。


伝える、伝わる、というのは言葉だけじゃない。

そんなことを次男をみていて考えた。


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