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学びのタイミングを見逃さない

学びはタイミング。

うまく教えるより、適切なタイミングで教えるほうが学べる。


3〜4歳の頃、第ニ次料理ブームでは保育園から帰って毎日のようにクッキーをつくりたがって、大好きなスクランブルエッグを自分でつくっていた小1長男だけど、ここ1年くらいどうおだててもどう頼んでも料理の手伝いをしたがらなくなっていた。


そんな長男が、最近ご飯づくりを手伝ってくれるようになった。


きっかけはとてもささいなこと。

自分のおやつのまあるいバームクーヘンを「パパとママも食べていいよ」と分けてくれようとしたとき。

「まんまるだと食べにくいから包丁で切ってよ!」とリクエストしたことだった。

めずらしく「いいよ!」とはりきって、マイ包丁(長男が自分でつかうのはとても久しぶり)を出して、切り分けてくれた。


在宅勤務中だったパパの分はお皿にのせて、部屋に届けてとても喜ばれ、わたしもバームクーヘンを食べながら何度もありがとうと伝えた。

そうしたら自分から「ぼく、切るの上手だからごはんつくるの手伝ってあげようか?」と言い出したのだ。


まだ夕飯の準備にはすこし早かったけれど、気持ちがノッているいまがチャンス。


こまかく切る必要がなく、大きさが不揃いでもよくて、家にある材料でつくれる料理……鍋だ!!

ということで、人参、大根、白菜、しいたけ、えのきを切ってもらうことにした。

包丁の切り方の復習、それぞれの野菜の下処理の仕方、切り方の名前、切り方、説明するそばからどんどん吸収していく。


その日の夕食は長男作の鍋。

「ぼくがきったんだよ!おいしいでしょ!」と何度も何度もうれしそうに言っていた。


次の日の夕飯はりんごを切ってくれて、芯の切り方、変色のこと、1/2、1/4、1/8と切りながら分数の概念の話もした。

長男は「それはこういうことでしょ」とか「こうだからだよね」とか「それはなんで?」とすごく興味をもってくれて、りんごを切り終わると満足げにつまみぐいしてた。



一緒に料理をするのは楽しい。

そして手伝ってくれるのもありがたい。

もっとはやく手伝ってくれたらよかったのに、とも思わなくもない。


だけど長男が楽しく料理をしているのは本人がやりたい、と思ったからなのだ。


学びはどう教えるかよりもタイミング。

本人がやりたいときにしか学べない。

そのときに一番学びは大きくなるし、広がっていく。

そんなことを改めて思う。


いくら上手に教えても、本人が学びたいと思っていないときにははいっていかない。

そう考えると、子育てに限らず教える側にできることは学びのきっかけをつくること、そのタイミングを待つこと。

そのふたつなんだろうな。



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