「きれいに、丁寧に」が、上達の邪魔をしているかもしれない。
スポーツにも、勉強にも、基礎練習というようなものは存在する。
技術を身につけるための土台となる筋肉をつくる基礎練習は大切だけど、筋肉はすぐには身につかない。一定の量と継続が必要だ。
だから、基礎練習はハードルを下げて失敗体験をさせないこと。
「できる」の積み重ねによって継続性がうまれるのだと息子のひらがなの練習をしながら気がついた。
ひらがなの練習は、きれいに丁寧に書かなくていいのだ。
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息子は小さい頃から、絵を描くのも字を書くのもいやがった。
「自分が思うようにうまく書けない」
それが嫌な理由だった。
そんな彼が最近やっと楽しく絵や文字を書くようになったきっかけのひとつが年長の春から通った習いごとだった。
そこではなにかを書くとき「テキパキ書こう」と声かけをされていた。
自分の名前や丸やギザギザを書く運筆の練習。
ゆっくり丁寧じゃなくていいと言われた息子は盛大にはみ出してどんどん書く。
今までなにかを書いても、うまく書けなかったと消しゴムで消してしまったりしていたのに、勢いよくどんどん書く。わざとはみ出す。
だけど、そんなことを繰り返しているうちに自分が納得できる字や絵を書けるようになり、気がついたら何十分も集中して絵を描いているくらい書くことが好きになっていた。
ゴールである「きれいな字」を最初から目指すのではなくて、きれいで丁寧な字を手放して、ハードルを下げる。
それによって失敗体験をすることがなく、結果的に楽しく取り組んでいるうちに量をこなすことで上達をしていくのだと思う。
逆に最初から「きれいな字」を目指してしまうと、はみ出さずに書くのは難しいし(なぞり書きって大人でも難しいしつまらない)、うまく書けずにはみ出すしてしまい、本人も嫌になったり、大人からもっと丁寧に書きなさいと口出しされて余計に嫌になって、結果的に量が担保できなくなる。
丁寧に書くことは、「きれいな文字」というゴールに対して近道なように見えて、実は上達の邪魔になってしまうのだ。
息子を見ていると、子どもというのは遊びながら成長する。
1歳頃にやっていたティッシュの箱からティッシュを全部出すという行為も、ただそれが楽しくてやっていて、でもそれを通して「指で物をつかむ」ことができるようになるように。
新しいことを始めるとき、一直線にゴールを目指すよりもハードルを下げて今できることから始めるほうがいい。
それは大人も一緒かもしれないなぁ。
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