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ママは命令ばっかり。

思えば小1の息子は、3歳とか4歳のときから自分の選択権について明確な意思があった。


「ママはいつも命令ばっかり!」と言われたときの衝撃は、いまでも覚えている。

寝る時間だよと声をかけると「なんでぼくは自分で決めれないの?ぼくはまだ寝たくないのに」と言うようなこともたびたびあった。


例えば、遅刻しないように保育園に行くこと。

早寝早起き。

バランスよくご飯を食べること。


そうしなきゃと思ってたり、そうした方がいいと思っていたりしたけれど、それまで息子に意思確認したり、同意をとったり、理由を説明したりしたことはなかった。


そのとき息子に言われてはじめて、考えた。

遅刻しないように保育園に行くのは、わたしが仕事に遅刻したくないからだ。

早く寝てほしいのも、もちろん健康のためでもあるけれど、その時間に寝てほしいのはわたしが眠いからだし、寝るのが遅くなると朝起きるのが遅くなって仕事に遅れたくないから。

野菜も食べてほしいのは、なんとなく栄養的に食べたほうがいい気がするし、せっかくつくったから食べてほしいというエゴ。


考えてみたら、そのほとんどが世の中的にいいとされてる固定観念にしばられているか、わたしの都合だった。



保育園に遅刻したっていいし、仕事に遅れるなら連絡したらいいだけだ。

わたしが遅刻は気まずいなとかよくないよなとか気にしちゃうだけで。

そういうことに息子を付き合わせているだけなのかもと、そのときはじめて自覚した。


とはいえ、一緒に暮らしているわけだから毎日好きな時間に起きて好きな時間に起きてていいよというわけにもいかないし、わたし自身にとって仕事も大切で。


そういうときはいつも、お互いの気持ちや意見を話して聞いて、お互いが納得できる形を見つける、ということを繰り返してきた。


それは息子をひとりの人として尊重したいという気持ち、私自身が自分の意思を聞かれず誰かに命令されるのはいやだという思い。

それになんだかんだで、いやがる人をむりやりどうこうさせるよりも本人が納得してやった方がお互いイライラしないしハッピーだよねという気持ちもある。


それで、それまで大人が決めていた寝る時間も、話し合って決め直した。

保育園に出発したいときは、早くして!遅れるよ!をやめて、ママ今日会議があって遅刻したくないから協力して、と言うようになった。

栄養について一緒に絵本を読んで勉強して、野菜もお肉もなぜ体に必要なのか話した。

勝手に決めないで!と怒る息子も、理由を説明するとちゃんと理解できるのだ。


それはものすごくめんどくさくてエネルギーをつかう作業だ。

いつもお互い納得できることばかりでもないし、うまくいくときばかりでもない。

だけど、できる限り息子の意見を聞き、わたしも体裁ではなく正直な気持ちを話すよう気をつけている。


ママは命令ばっかり。

そう言われて、子どもに比べて大人の方が、息子より自分の方が、力をもっていて、権力行使しやすい立場にあることには自覚的でありたいと思っている。

子どもは自分で選ぶ権利を大人に奪われがちである、ということも心にとめておきたいと思っている。


という備忘録。


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