見出し画像

言葉になる前、気持ちのグラデーション

我が家の小2長男は、小さい頃からぬいぐるみが大好きである。

水族館や動物園、お出かけ先のお土産ショップで自分へのお土産を選んでいいよというとだいたいぬいぐるみを選ぶ。

それぞれのぬいぐるみに名前をつけて(ポケモンのぬいぐるみをのぞく)かわいがり、お気に入りの子はお出かけのときにリュックにいれて連れて行く。


そんな風に大切にしていた長男のぬいぐるみ、当然ながら1歳次男も興味津々になる。

長男がもっているとそれをほしがってひっぱったり、悪気はないけど勝手に持っていってしまったりで、「ぼくのだよ!次男はさわらないで!」という時期もあった。

そこからしばらくたって、次男のぬいぐるみ熱もだいぶ落ち着いてきたと思ったら、新しいサービスがはじまった。


長男による、マイぬいぐるみコレクションの貸し出しサービスである。

夜、いつもわたしと次男が先に寝室に移動して寝かしつけをする。

そのタイミングでたくさんのぬいぐるみの中から、ママ用と次男用、ふたつのぬいぐるみを長男がセレクトして「寝るときにさみしくないように」と貸してくれるようになったのだ。

しかも、今日のおすすめや、このぬいぐるみのイチオシポイントまで教えてくれるサービス付きで。


おかげで次男は最近、長男が貸してくれたぬいぐるみを抱えて寝ていてたいへんかわいい。(朝起きるとぬいぐるみはどこかに飛んでいっているけれど)

そして朝にはぬいぐるみを返却しなければいけないのだけど、ときどき忘れてしまって長男におこられる。


長男と次男がぬいぐるみの取り合いをしていたとき、とくにわたしから長男に「貸してあげなさい」と言ったことはない。

長男の「ぼくのだよ」という主張は実際その通りだったから、次男に「それは長男のだから遊びたいなら、かーしーてーしなきゃだよ」と伝えていた。

それで次男が「かーしーてー」と言って、長男が貸すときもあれば貸したくないときもあったけど、長男が「いや!」と言ったときは次男に「いまはいやみたいだよ」と説明したり、別の遊びに誘ったりしていた。


それなのに、いま、貸してとも言ってないのにぬいぐるみを貸してくれる長男。

なんでとつぜんぬいぐるみを(なかば強制的に)貸してくれるのだろうとずっと考えていて気が付いたのは、きっと、あのときから貸してあげたい気持ちもあったのだろうなということ。

でもそのときは、それよりも自分が遊びたい気持ちが大きかったり、いやな気持ちが大きいときもあって、長男なりの葛藤がそこにあったのだ。

だから、自分が買ってもらったぬいぐるみは自分のものだと安心できてはじめて、あの頃の貸してあげたかった気持ちをいま発揮しているんじゃないだろうか。

実際どうなのかも、長男自身がどこまで自己認識してるかはわからないけれど。


人の気持ちにはグラデーションがあって、貸すと言ったから100%気持ちよく貸すと言えるときばかりではなく、貸さないと言ったときに相手のことをなにも考えてないわけでもない。

その言葉になる手前にはたくさんの種類の気持ちが混ざり合っている。

だけど、言葉になったとたんにその手前にあったいろんな感情や葛藤が見えなくなってしまう。

言葉は便利だけど、言葉だけに頼りすぎてはいけない。

言葉だけで、相手の意図や気持ちを勝手に解釈してはいけないよなぁと思った出来事だった。


ちなみに今夜は、ぺんぎんのぺんちゃんと羊のめーちゃんというけっこう古株のぬいぐるみを貸してもらいました。どちらもふわふわです。


コメントやSNSなどで感想をもらえると喜びます!よかったら感想を教えてください^^