憧れる力。
小1の息子が、プログラミング教室で開かれる発表会で自作のゲームを発表することになり、先日そのリハーサルがあった。
その日のリハーサル、自作ゲームをブース発表するメンバーの中で息子は最年少。
お兄さんたちがスクラッチやユニティでつくったよりゲームらしいゲームを見た帰り道、息子は自分のことのようにお兄さんたちがつくったゲームのおもしろさ、すごさについて目をキラキラさせて語っていた。
こんなことが(技術的に)できるんだ。
こんなゲームを小学生でつくっている人がいるんだ。
あんなゲームをつくってみたい。
そんな憧れが、新たな創作につながる。
教室でやっているのはプログラミングの知識を学ぶことではない。
自分がつくりたいものをみつけること。
そしてそれを形にすること。
そのためのプログラミングなのだ。
息子はアニメもたくさん見ているし、スイッチでゲームもたくさんしている。(先週発売したゼルダ無双をもうクリアしたらしい)
どうしても自分の小さい頃と比べたり、自分の価値観と比べたりして(ゲームはそんなに好きじゃなかった)、やりすぎなんじゃないかと思うこともある。
だけど、息子がレゴで、ダンボールで、ビスケットで、たくさんの作品をつくるようになって、たくさん遊んでいるからこそ息子の中に「つくりたいもの」がたくさんあるのだと感じる。
いままでたくさん見て遊んでインプットしたものが重なって、それを栄養にインスピレーションを得ているのだ。
大好きなポケモンみたいにかわいかったり、かっこいいキャラクター。
ゼルダに出てくるいろんな武器のかっこよさ、ダイナミックな戦いのシーン。
こんなキャラクターいたらいいのに、こんなお話、こんなゲームをつくりたい。
コンテンツに触れることをとおして、息子はたくさんの憧れを得て、それを自分の創作につなげている。
憧れの力ってすごい。
と、ここまで書いて、はて自分はどうだろうと考えてみると、最近「憧れ」みたいなものから遠ざかっているかもしれないなと気がついた。
大人になっても、もっと素直にカジュアルに憧れをもってたい。
息子みたいに目をキラキラさせて憧れを語れる人でありたいなぁ。
学びの道は続く。
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