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休みたい気持ち。

小1息子が学校や習い事を休むとき、「行きたくない」と明確に言うときばかりではない。


そろそろ出発の時間だよーとなっても、聞こえぬふりをしてゲームをしてたり、ふとんに隠れたりすることもよくある。

そんなとき、だいたい最初はほら遅れちゃうよー行くよーと声をかけるのだけど、動こうとしない様子をみて、これは行きたくないなと察する。

それでつい「どうするの?」とか「どうしたいの?」と聞いてしまう。


どうにか説得しようと思っているくせに。


そのとき、息子の意思を100%尊重して息子が休みたいといったら休んでオッケー、どんな答えでも受け止めようと思っているならば聞いてもいいのだろうと思う。


だけど、そのときのわたしはやっぱり「行く」というのを期待していたり、「休みたい」と言われたときの覚悟(と書くと大げさだけど、休むとなると予定を調整したり、心の準備がいる)ができてないことが多い。


それは息子にも伝わる。

「休みたい」と言えなくなる。(ごめんよ)

答えないから何度も質問してしまって、どんどん答えられなくなってしまうのだ。(反省)


振り返って考えてみると、息子の気持ちにもグラデーションがある。


行きたくないときと休みたいときは微妙にちがう。

絶対行きたくないときもあれば、なんとなく行きたくないときもある。


「行きたくない」「休みたい」と言わないとき。

そういうときは、息子の中で行かなきゃと考えているときが多い。

行ったほうがいいと頭では思っていて、だけど心がついてこない。でも行ったほうがいいとは思うから言いにくい。


そんなときに、行けという圧込みでどうするの?と言われてしまうとよけいに休みたいと言えなくなるのだ。


ということに、休んでオッケーと思った状態で「どうしたいの?」と聞いたらさくっと「休みたい」と言われて気がついた。



相手が質問に答えない、というとき。

なぜ答えないのかと相手に理由を探してしまうけれど、実は自分がそうさせてしまっているのかもしれない。

対話というのは相互作用なのだよなぁと改めて感じる出来事だった。



ほんと息子とのやりとりで学ぶことばかり。


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