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約束を守ることではなく、お互いの着地点を見つけること

それを息子が自分で発見できたなら、約束を守らせることを優先しなくてよかった、と思った。


さぁもうすぐ寝る時間というとき、小2長男といま見てるYou Tubeが終わったら寝る、という約束をした。

そのYou Tubeが終わるまでと床にちらばったおもちゃを片付けたりなんやしていたら、いつの間にか終わっていて息子は次なにをみようかなみたいな雰囲気でリモコンをカチカチしていた。

まてまて、約束とちがう。

「約束覚えてる?」と聞くと、テレビ画面をみながらこれがおもしろうそうだよとなんかすごいおすすめさせる。

「ねぇ、約束、覚えてる?忘れちゃった?」ともう一度確認したら、ちいさな声で「だってこれも見たくなっちゃったんだもん」と言う。


一緒に決めた約束だから、もし約束をかえたいなら、勝手にかえるのではなく相談をしてかえてほしいと話したら、「これが気になっちゃってみたいから、これを見たら寝るに約束かえたい」と言われて話し合い、約束をかえた。


しかし、それが終わってもまだ寝たくない様子。

もう一度約束をかえたいと相談されたので、「どうしたら次ので最後にして寝れると思う?」と聞いたら、息子はすこしだまって考え込んだあとに「続きがあったりシリーズのYou Tubeを見ちゃうと次のが気になって見たくなっちゃうから、続きがないやつか最終回のYou Tubeを見る」と言った。

さっきまで見てたYou Tubeって続きものだったのか!とBGM的にYou Tubeを聞き流していたわたしはそこではじめてそれを知った。

あぁ息子が続きが見たいというのは、小説を読み始めたら続きが気になっちゃってご飯中も読みたいし、なんなら読み終わるまで寝れなくなっちゃうわたしと一緒なんだ、と理解できたらめちゃくちゃ共感した。

そして息子が自分で考えて、続きが気になるけど我慢してやめるのではなく、寝なきゃいけないときには続きが気にならないものを見る、という工夫を見つけ出したことがとてもいいなぁと思った。


息子との約束は、息子が小さい頃からずっと考えているテーマでもあって、約束といえど親と子には力関係があり完全に対等な約束ではない。

だから、約束を守らせることは権力を行使することでもあることに自覚的でありたいと思っている。


そういう中で、今回このやりとりを通して気付いたことは、約束を守らせることが大切なわけではないということ。

いろいろなところで対話の重要性が語られているのは、人と人が異なる前提をもっていることを前提にお互いを知ったり、その上で協働するためだと思う。


わたしと息子も別の人であり、でも一緒に暮らす共同体でもあり、そこにはお互いの利害が発生する。

寝てほしいわたしと、寝たくない息子。


そう考えてみると、わたしが息子に学んでほしいことは、与えられた約束を守ることではなく、話し合い、お互いが納得できる着地点を見つけるという姿勢やそのプロセスなのだ。

お互いが納得できる着地点を探す中で、息子は自分の要求を主張するだけでなく、自分ができる工夫を見つけた。

対話ってこういうことだよなと思う出来事だった。


話し合うには時間もエネルギーもかかるし、お互いになにかを譲り合わないと、着地点にたどりつけない。

仕事と子育てをしながら、毎日毎日こんな風に息子と向き合って話すよゆうがあるわけじゃないのだけど、こうやって話したり付き合ったり譲ったりできるくらい、時間と心によゆうをもっていたいものだなぁ。


息子との約束について過去のnoteを読み返してみたら、「やくそくしたじゃん」いまでもつかっちゃってるときあるなぁと反省…。


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