ココがすごいよ今年のM-1(中編)
5.からし蓮根「教習所」
からし蓮根は、何と言ってもボケの強さとツッコミのワードセンス。ボケの伊織は身長もかなり高く顔も不気味で第一印象からキャラが強いので、最初の一くだりも「この前うっかり免許証燃やして」「何燃やしてんねん」でそこそこウケるはず。そこを「保険証と間違えて免許証燃やしちゃって」「まず保険証燃やそうとしたとや」にしている。こういうロジックの組み立て方が終始上手い。
さらに注目して欲しいのが二言目のツッコミ。例えば「まず免許証燃やそうとしたとや」「寒かったから」「暖取るなあれで。小せえやろ炎が」のところ。「寒かったから免許証を燃やした」というボケに対して、観客はまず「そんな理由で免許証燃やす?」と大きな違和感を抱く。それを一言目の「暖取るなあれで」と必要最小限の文字数で解消。その後、二言目で「暖を取るには免許証を燃やして出来る炎は小さすぎない?」という観客の小さな違和感に言及する。ボケを二重構造に(大きな違和感があるせいで気付きにくい小さな違和感を用意)することで、ツッコミの一言目でも二言目でもウケるようにしている。
「何聴いてたん?」「何も聴いてないです」「無音かい!ポテンシャルでここまで持って行ったとや」ここもそう。車の中でハンドルを握って頭を振っているから何か音楽を聴いていると思ったら聴いていなかったというボケに対し「無音かい」の5文字で処理。"ということは"脳内で流れるメロディにノるだけでそんなハイになれたのか?と思考を一段階進めた上でツッコんでいる。この"ということは"に言及するセンス。
「ハンドル持つ位置って何時何分でしたっけ?」「10時10分やおい。6時半やねえかお前おい。未来車(みらいぐるま)やと思われるぞ」これに関しては二言目までどういうボケかすら分からない。観客は「ハンドルの持ち方変だな」としか考えられないから、ツッコミに気づかされて笑ってしまう。ここまでで観客は杉本青空の説得力に信頼を置いているからこそ、三言目の「未来車」というトリッキーなワードに違和感を感じつつも納得して笑ってしまう。
人は少しズレている言葉の妙な説得力に押されることに快楽を覚えるのかもしれない(例:宗教)。銀兵衛というコンビの「みんなさ、頭の中に 身近な一番バナナって言ってそうな人の顔思い浮かべろ。それ重要な人間かな?」というセリフでめちゃくちゃ笑ったのも、人のそういう性によるものなのかもしれない。
「やむを得ない運転」「かもしれない運転や、なんややむを得ないて全部蹴散らして、戦車でやれそげな運転」も一言目で的確に訂正して、二言目三言目で、ボケを肯定した場合に新しく生まれるボケの意味に言及している。戦車でもやむを得ない運転はしちゃいけないのに、強引なツッコミって面白い。「爆風吹いとるやないか、大型犬顔舐められモードやろ」なんてもう二言目で完全にボケてるしな。すげえ。
そして圧巻のラスト。ツッコミの杉本が長々と大巨人伊織にキレて「思い上がるなよこのクソ野郎が!死ね!」とまで言う。ここで観客の緊張感が高まり、伊織が舌打ちして車で後ろから轢いた瞬間、緊張が弾けて爆笑が起こる。そしてその爆笑を絶やす隙を与えないまま伊織がバックで杉本から逃げる描写で爆笑を持続させる。
「緊張の緩和」という笑いが生まれるメカニズムをうまく使っている。「緊張の緩和」で爆発的な笑いを起こすためにはかなりの緊張感が必要になる。つまり観客が笑えない時間を長く引き延ばさないといけない。M-1の4分という限られた時間でフリをたっぷりと使うのは相当の勇気が必要で、見事にやり切ったからし蓮根はさすがの一言。
6.見取り図「爆竹」
去年の決勝で今までのネタのベスト盤みたいなネタをやっていたので、今年も決勝に上がってきたのはビックリだが、知れば知るほどツッコミの盛山の喋り方が面白すぎて嫌でも笑ってしまうので、去年で盛山が全国区になったということなのかもしれない。
やはりそれだけあって、今年の見取り図は盛山もめちゃくちゃボケていた。盛山のボケでウケて、リリーがボケて盛山のツッコミでウケる。通常のボケとツッコミからなる漫才ではターン数が1:1になるところを、2:1にしていた。もう全部、スーパーエースの盛山でウケてやろうという作戦が見事にハマっていた。
つまり例えば
盛山「黙って聞いとったらお前生徒に手を出すタイプの数学教師みたいな見た目しやがって。10代相手にいきがるな教育なんやと思てんねん」
リリー「オイコラ、マラドーナのはとこみたいな顔しやがって」
盛山「誰がやねん。俺が1回でもディエゴのおっちゃんって呼んでたか?」
この3ターンで1セットになっている。
リリーの「マラドーナのはとこ」というボケも充分面白いけど、敢えて盛山のコテコテの食い気味ツッコミで笑いを取っている。シンプルなツッコミをさせたら盛山の右に出る者はいない気がする。120点の誰がやねん。そしてその後も上手い。マラドーナのはとこではないことを、背理法で証明するなよ。自明なのに。
フレーズで言うと、「どこがやねん、俺らベイビーフェイスの和訳一緒かなほんまに」というツッコミがめちゃくちゃ凄い。自分の顔については具体的に触れず、相方のベイビーフェイスという言葉の用法に言及することで「自分がオッサン顔であること」を伝えきっている。あと「なでしこジャパンでボランチやってなかった?」も好き。例えにしては限定しすぎているのに正しく聞こえる。
ただ展開の美しさがなかった分、勝ち切れなかったですね。やっぱり後半にかけての盛り上がりをどう作るかがM-1では勝負になってくる。
7.ミルクボーイ「コーンフレーク」
無駄一つない完璧な漫才。コーンフレークだ、コーンフレークではないを行ったり来たりするという分かりやすい構造に則ってることによって、あるあるの羅列が平坦で単調に終わるのを防ぐばかりか波を起こしている。家のお風呂で前行ったり後ろ行ったりしたら波が段々とデカくなってついには溢れる。その波が完全に溢れたのが、「生産者さんの顔が浮かばない」の部分だった。
構造が単純だからこそ、観客が一つ一つのセリフの内容にかなりの期待感を持つことができた。そしてその期待を上回り続けるだけのワードセンスも磨きに磨かれていた。
和牛についても書いたけど、内海(角刈り)もツッコミの「常識」の軸を一般人よりもかなり「コーンフレークを下に見ている価値観」に置いているから、ツッコミでありながらボケのような役割を果たしている。そしてその内海のゆったりした優しい口調から放たれる僅かな毒気は非常に魅力的だ。あのゆったりした口調にはもう一つ効果があって、観客の笑い声が長引いたときのいわゆる「笑い待ち」でテンポを崩す必要がないということだ。観客の笑い声がまだ収まっていない段階で話し始めても、聞き取りやすく聞き逃してしまう可能性のある文字数も最小限に抑えられるから、観客がついてこれる。
序盤の「栄養バランスの五角形は得意な項目だけで勝負してると睨んでる」という部分あたりで完全に内海の虜になってしまう。みんながみんな「この人は私がうっすら思っていたことを的確に言い当ててくれる。この人について行こう」みたいな気持ちになってしまうのだ。そこからはもう内海が何を言っても盲信して笑ってしまう。「この人は次何を言ってくれるのだろう」「たしかにそうかもしれない」と。
実際は後半にかけて内海は徐々におかしなことを言っている。「食べているうちに目が覚めてくるから最後残してしまう」とか「店側がもう一段増やそうもんなら俺は動く」とか「回るテーブルの上にコーンフレーク置いたら、回したとき全部飛び散る」とか。最後残してしまうのはコーンフレークが粉々になってきて残りの甘ったるい牛乳メインになるのが不味いからだし、絶対訴訟とか起こすほどの事ではないし、中華のテーブルをそんな勢いで回すことはない。けどもう内海の説得力を信頼しきっているから、それぐらい強引な方が面白い。さっきのからし蓮根の強化版だ。
そして、ネタの本筋でありながら笑いを取りたいわけではない部分を明確にパターン化して切り離しているのがミルクボーイの最も美しいところだ。少しネタを抜粋する。
「分からへんねんだから」
「なんで分からへんのこれで」
「俺もコーンフレークやと思ってんけどな」
「そうやろ?」
「オカンが言うには、お坊さんが、修行のときも食べてるって」
「ほなコーンフレークちゃうやないか。精進料理にカタカナのメニューなんか出えへんのよ。コーンフレークはね、朝から楽して腹を満たしたいという煩悩の塊やねん、あれみんな煩悩に牛乳かけとんねんあれ。コーンフレークちゃうがな、ほなもうちょっとなんか言うてなかったか?」
「パフェとかの、カサ増しに使われてるらひい」
「コーンフレークやないかい。あれ法律スレスレぐらい入っとんやから。店側がもう一段増やそうもんなら、俺は動くよ。コーンフレークよ絶対」
「分からへんねんでも」
「何で分からへんのこれで」
「俺もコーンフレークとおもたんやけどな」
「そうやて」
この「ほなコーンフレークちゃうやないか」から始まって「ほなもうちょっとなんか言うてなかったか?」で終わり、「コーンフレークやないかい」から始まって「コーンフレークよ絶対」「分からへんねんでも」「何で分からへんのこれで」「俺もコーンフレークとおもたんやけどな」「そうやろ?」で終わる2くだりで1セット。ここのくだりの始まりと終わりのセリフをほぼ固定していること、ツッコミが4〜6センテンスと決まって長いことによりリズム感を出している。ニューヨークのネタに関して歌ネタは便利なシステムと書いたが、ミルクボーイはメロディを使わずしてAメロ+Bメロ+サビを作り上げていたのだ。
同じように内海がコーンフレーク自体をディスるときは必ず「コーンフレークはね、」「コーンフレーク側もね、」などとコーンフレークを主語に明示した上で一拍空けてからディスっている。
こうしてガチガチにパターン化することで、ウケたい部分以外で観客に無駄なストレスを与えず、観客の期待感を煽ることで、ウケたい部分に向かって大きな助走をつけることに成功している。そしてその踏み切るタイミングも明確にしている。